この夜、準決勝・決勝と続けて行われるトーナメント戦の、まずは準決勝第一試合に美月が姿を現した。
気負いなくリングに上がり、青コーナーを背にして対戦相手を待つ。
ほどなくして入場曲が鋭いギター音に切り替わると同時に、
入場ゲート付近からドライアイスの煙が噴出した。
『YEAAAAAAAHHHHHHHH!!!!!』
絶叫音が会場に轟いたあと、次第に煙が晴れていくにつれ、
ゲート下で片膝をついた近藤真琴の姿が明らかになってくる。
胸の前で交差させて両手の、前腕部半ばまで巻きつけたバンテージの上、
手の甲に当たる部分には禁欲を表す「X」のマーク。
ストイックなその性格とは裏腹、赤毛のポニーテールを靡かせたスタイルの良い長身は、
同時に華やかさをも併せ持っている。
彼女は神田と同期の格闘技経験者にして、神田以上の将来性を期待される逸材であった。
デビュー以来初めて迎える大舞台にも動じることなく、
むしろその両目は一層ぎらぎらと貪欲な輝きを増しているように見える。
(……可愛げの無い後輩だなあ)
美月にとって、なかなかに厄介な相手となりそうであった。
とはいえ、同じ打撃主体の伊達と戦ったことを思えば、まだいくらもマシな相手。
加えてこのあとに決勝戦が控えていることを考えれば、あまり悠長な試合はできないため、
美月は自分から積極的に仕掛けていくことにした。
見合った状態から、ゴングと同時に脇をすり抜けるようにして背後に回り、バックを取る。
「くっ」
ほぼ反射的にクラッチを切った近藤は、
自分の腰に回っていた美月の右手を取って捻り上げようとする。
これを見越していた美月は、自分から前転してマットに倒れることで腕の捻りを解消しつつ、
掴んでいた美月の手に引っ張られる形で下を向いた近藤の顔を、
寝転がった体勢から両足を真上に突き上げて蹴り飛ばした。
基礎的な練習がしっかりしていたばっかりに、近藤は美月に釣り込まれる形になってしまったのだ。
素早く立ち上がった美月は、同時に立ち上がりかけていた近藤の頭をヘッドロックで捕らえ、
そのまま腰投げの要領で前方に投げ捨てつつ、グラウンドでのサイドヘッドロックへ移行。
「くそっ!」
逸る近藤の勢いを挫き、10cm以上身長で優る相手をひとまずはコントロールして見せた。
が、流石に期待のルーキーだけあって、近藤もペースを渡したままにはしておかない。
組んだ状態から膝を入れ、美月を強引にコーナーへ振ると、
躊躇無く、その背後を追いかけて自らもコーナーへ突進した。
「こんのぉぉぉッ!!」
美月がコーナーを背にした瞬間、近藤はその脇のサードロープに左足をかけると、
右膝を突き出して美月の顎を跳ね上げた。
「がっ……!?」
反動で前に出掛かった美月の頭をヘッドロックの形に固定し、
そのままリング中央に向かい、自分の両足を投げ出すようにして尻餅をつく。
こうすることで、美月を顔面からマットに叩きつけた。
しかしここでカバーには行かず、近藤は美月が立ち上がるのを待つ。
「せいッ」
立ち上がったところへ左の掌底を脇腹にめり込ませ、
続けざま顔面へ左右の掌底、さらにその場で回転して右バックブローの一撃。
怒涛のコンビネーションから、仕上げの左ハイで側頭部を打ち抜いた。
が、何度も脳を揺さぶられながら、美月は倒れず踏みとどまる。
(流石は、先輩……っ)
好戦的な笑みを浮かべた近藤は、足元をふらつかせる美月の懐に潜り込み、
自分の両肩の上へその身体をうつ伏せに担ぎ上げた。
会場からどよめきが起こったことは、この体勢が試合の終わりを予告するものである証拠だった。
「これで、終わりだッ!!」
肩の上に乗せている美月の身体を、前方にふわりと浮くように投げ捨てる。
同時に右膝を突き上げ、空中で無防備な状態にある美月の顔面を思い切り蹴り飛ばした。
蹴られた反動を受けて後頭部から倒れた美月の上に覆い被さり、勝利を確信したカバー。
ここで興奮の余り手応えの無さに気づかなかったことが、経験の違いと言えなくもない。
意外に危なげなく、美月はカウント2で近藤の必殺技をクリアして見せる。
実のところ、この技で決まった神田との試合を見ていたため、事前に対処を考えていたのだった。
空中に放り出されたところで上体をできるだけ反らせつつ、
膝頭を避けて受けることでダメージを軽減させていた。
しかし、ここで美月はダメージが残っているように見せかけ、すぐには起き上がらない。
(まだまだ、手はある……!)
必殺技を返された近藤は、呆けていたのも束の間、
すぐ次の攻め手に移るべくロープをくぐってエプロンへ出た。
この前向きさと引き出しの多さが、今回は逆に仇となってしまう。
どうにか気力だけで動いているという体でふらふらと立ち上がった美月を見届けると、
近藤はエプロンからトップロープに飛び乗り、さらにリング内へジャンプ。
上体を前に出す形で、スワンダイブ式のラリアットを敢行しようとした。
(ジョーカーの見様見真似でっ……!)
直前まで足元が覚束ない様子だった美月は、途端にしっかとマットを踏みしめ、
飛んでくる近藤に半ば背中を向けるような形で踏み切る。
空中で近藤の首に右手を巻きつけ、肩の上に固定。
そのまま自分は背中からマットに落下し、フライングラリアットをダイヤモンドカッターで切り返した。
すかさず息を吹き返した美月は、
朦朧としながら膝をついて起き上がりかけた近藤の背後からシャイニングウィザード。
近藤の後頭部を蹴り上げながら跨ぐように飛び越し、そのまま正面のロープで反動を受けると、
続けざま正調のシャイニング式前蹴り。
気鋭の後輩を文字通り一蹴して見せたのだった。
「ありがとうございました。どうせなら、次も勝っちゃってください」
試合後は潔く握手を求めてきた近藤に応えながら、美月はそそくさとリングを後にした。
これでまた、もう一試合上がらなければならなくなった。
(さて、どうかな)
準決勝第二試合はこの直後に開始される。
美冬とみこと、どちらも楽な相手ではないため、
美月としてはなるべく互いに潰しあってくれることを祈るしかない。