美月対美冬の戦いから二週間後、後楽園ホール。
休憩開けのリング上に、美月の姿があった。
『えー……っとですね、その』
世界王座を重そうに肩に掛け、マイクを持ってリングに立つ美月の姿は、
あまり絵になっているとは言い難い。
それでも、観客はその初々しさを前向きに捉え、激励の声援を送ってくれた。
中規模程度の会場に来てくれるような層のファンからは、結構大きな支持を受けている美月である。
『とにかく、みなさんの後押しのお陰で、このベルトを獲ることができました。
そのことについては、本心からの感謝を申し上げます。どうもありがとうございました』
そう言って深く頭を下げた美月に、一際大きな歓声が送られる。
『……しかし、試合の前に言ったとおり、私にとってベルトを獲ることが目的の試合ではありませんでした。
正直、世界王者になった実感など全くありませんが、現に王者となったからには、
ベルトに恥じない存在であるよう、心がけていきます。これからも、応援よろしくお願いします』
つまらないこと言ってるなあ、という自覚はあったが、
「休憩開けにチャンピオンから挨拶を」なんて当日に振られたところで、
美月には他に思いつく言葉もなかった。
だが、そんな型通りの言葉が新鮮に聞こえたのか、
客席からもう一度大きな声援と拍手が沸き起こったところで、会場に猛々しい三味線の音が響き渡る。
西側客席の裏を通って、柳生美冬が姿を現した。
先日の試合で美月によって痛めつけられた右腕を三角巾で釣ったまま、美冬は左手でマイクを持つ。
『別に無理して王者らしくする必要は無い。
すぐにまた私がそのベルトを取り戻すんだからな。今、お互いに一勝ずつだ。
……次で決着をつけよう」
早速のリターンマッチの要求であった。
客席もまあまあ盛り上がって美冬を後押しし、美月も大体予測がついていたので、
淡々と受けるつもりでマイクを取り上げかけた時、
You think you know me……と、低い呟きから始まる耳慣れない曲がかかった。
え、と、会場の誰もが一瞬首を捻ったあと、一部の観客から『うおおおお!!』と熱狂的な声があがる。
そんな中、んー、と大きく伸びをしながら、東側の階段を上がってくる女があった。
薄手の黒いロングコートの上にウェーブがかった赤毛を垂らし、
色気のある微笑を浮かべて堂々とリングへ歩を進めた彼女は、
どよめきと歓声の中でロープをくぐり、美月と美冬を交互に見比べる。
それから、ゆったりとリングから外に手を伸ばし、自分にもマイクを要求した。
『あ~いむ、ばぁ~っく、ってね』
彼女、神楽紫苑は微笑を絶やさないまま、まずは観客と視聴者に向かって語りかけ、
それからまたリング上の二人に向き直った。
『ちょっとサービス過剰だったからってさあ、いきなり謹慎とか何とかで暫く出番無かったんだけど、
今日から出ていいって言われて来てみれば、何か面白そうなことやってんじゃないの。
お姉さんも混ぜなさいよ』
『お前には関係無い。黙ってろ』
美月が何か言う間もなく、美冬が手厳しく跳ね除けた。
『ふぅん、そういうこと言う。でも、こういうのは普通お客さんにも聞いてみるもんじゃないの?
ねえ、あんたたちはどう思う?この厳つい美冬ちゃんより、
あたしがそこのチャンピオンに挑戦した方が面白いと思わない?』
聞かれた観客は美冬には残念ながら、先ほど美冬が挑戦を口にした時よりもずっと盛り上がった。
やはり観客としては、同じ組合せよりも、神楽に感じる「何かやってくれそうな」期待感の方を支持した。
というか神楽の場合、「何かやらかしてくれそうな」と言った方が正しいのだが。
何か言いかけた美冬を手で制し、さらに神楽が続ける。
『……ふん、あたしの方が人気者みたいね。ま・あ、あんたが不満なのも分からなくないから、
ここは一つ、あたしとあんたで挑戦者決定戦ってことでどうかしらね?』
勝手に話を進められた美冬は、固定された右腕まで苛立ちに震わせ、
神楽を睨みつけながらこう絞り出すように言った。
『……いいだろう、お前を黙らせるには、それが一番早い』
『あらそう、じゃあついでに、試合形式も私が決めちゃっていいかしら』
ぬけぬけと畳みかけた神楽に対し、今すぐにでも力づくで黙らせたい美冬は、
何も言わずただ苦々しく頷いてみせ、それからすぐに踵を返して退場して行った。
『いいみたいね。それじゃあ、……期待しといてもらおうかしら』
神楽の目が妖しく光り、唇の端がやや釣り上がる。
その表情だけで、一部の観客は何事かを察して謎の盛り上がりを見せた。
『それじゃ、今日はこれで帰るわ。またねチャンピオンさん。邪魔してごめんなさい』
『ああ、いえ』
それまで完全に蚊帳の外に置かれていた美月は、投げキッスを残してリングを去る神楽を、
肩をすくめて見送る。
その様子は観客の笑いを誘った。
『まあ、あの……そういう流れらしいです』
そう言って美月が自分も帰ろうとした時、不意に全く別の入場曲がかかった。
これは美月にも誰のものかすぐわかった。
『ごめん、邪魔しちゃって』
相羽だった。
最初からマイクを持って出て来た相羽は、早速こう切り出した。
『……ベルト、もう一つ持ってるよね』
いつになく切実な表情の相羽は、デビュー以来初めて観客の前で自分の要求を口にした。
休憩開けのリング上に、美月の姿があった。
『えー……っとですね、その』
世界王座を重そうに肩に掛け、マイクを持ってリングに立つ美月の姿は、
あまり絵になっているとは言い難い。
それでも、観客はその初々しさを前向きに捉え、激励の声援を送ってくれた。
中規模程度の会場に来てくれるような層のファンからは、結構大きな支持を受けている美月である。
『とにかく、みなさんの後押しのお陰で、このベルトを獲ることができました。
そのことについては、本心からの感謝を申し上げます。どうもありがとうございました』
そう言って深く頭を下げた美月に、一際大きな歓声が送られる。
『……しかし、試合の前に言ったとおり、私にとってベルトを獲ることが目的の試合ではありませんでした。
正直、世界王者になった実感など全くありませんが、現に王者となったからには、
ベルトに恥じない存在であるよう、心がけていきます。これからも、応援よろしくお願いします』
つまらないこと言ってるなあ、という自覚はあったが、
「休憩開けにチャンピオンから挨拶を」なんて当日に振られたところで、
美月には他に思いつく言葉もなかった。
だが、そんな型通りの言葉が新鮮に聞こえたのか、
客席からもう一度大きな声援と拍手が沸き起こったところで、会場に猛々しい三味線の音が響き渡る。
西側客席の裏を通って、柳生美冬が姿を現した。
先日の試合で美月によって痛めつけられた右腕を三角巾で釣ったまま、美冬は左手でマイクを持つ。
『別に無理して王者らしくする必要は無い。
すぐにまた私がそのベルトを取り戻すんだからな。今、お互いに一勝ずつだ。
……次で決着をつけよう」
早速のリターンマッチの要求であった。
客席もまあまあ盛り上がって美冬を後押しし、美月も大体予測がついていたので、
淡々と受けるつもりでマイクを取り上げかけた時、
You think you know me……と、低い呟きから始まる耳慣れない曲がかかった。
え、と、会場の誰もが一瞬首を捻ったあと、一部の観客から『うおおおお!!』と熱狂的な声があがる。
そんな中、んー、と大きく伸びをしながら、東側の階段を上がってくる女があった。
薄手の黒いロングコートの上にウェーブがかった赤毛を垂らし、
色気のある微笑を浮かべて堂々とリングへ歩を進めた彼女は、
どよめきと歓声の中でロープをくぐり、美月と美冬を交互に見比べる。
それから、ゆったりとリングから外に手を伸ばし、自分にもマイクを要求した。
『あ~いむ、ばぁ~っく、ってね』
彼女、神楽紫苑は微笑を絶やさないまま、まずは観客と視聴者に向かって語りかけ、
それからまたリング上の二人に向き直った。
『ちょっとサービス過剰だったからってさあ、いきなり謹慎とか何とかで暫く出番無かったんだけど、
今日から出ていいって言われて来てみれば、何か面白そうなことやってんじゃないの。
お姉さんも混ぜなさいよ』
『お前には関係無い。黙ってろ』
美月が何か言う間もなく、美冬が手厳しく跳ね除けた。
『ふぅん、そういうこと言う。でも、こういうのは普通お客さんにも聞いてみるもんじゃないの?
ねえ、あんたたちはどう思う?この厳つい美冬ちゃんより、
あたしがそこのチャンピオンに挑戦した方が面白いと思わない?』
聞かれた観客は美冬には残念ながら、先ほど美冬が挑戦を口にした時よりもずっと盛り上がった。
やはり観客としては、同じ組合せよりも、神楽に感じる「何かやってくれそうな」期待感の方を支持した。
というか神楽の場合、「何かやらかしてくれそうな」と言った方が正しいのだが。
何か言いかけた美冬を手で制し、さらに神楽が続ける。
『……ふん、あたしの方が人気者みたいね。ま・あ、あんたが不満なのも分からなくないから、
ここは一つ、あたしとあんたで挑戦者決定戦ってことでどうかしらね?』
勝手に話を進められた美冬は、固定された右腕まで苛立ちに震わせ、
神楽を睨みつけながらこう絞り出すように言った。
『……いいだろう、お前を黙らせるには、それが一番早い』
『あらそう、じゃあついでに、試合形式も私が決めちゃっていいかしら』
ぬけぬけと畳みかけた神楽に対し、今すぐにでも力づくで黙らせたい美冬は、
何も言わずただ苦々しく頷いてみせ、それからすぐに踵を返して退場して行った。
『いいみたいね。それじゃあ、……期待しといてもらおうかしら』
神楽の目が妖しく光り、唇の端がやや釣り上がる。
その表情だけで、一部の観客は何事かを察して謎の盛り上がりを見せた。
『それじゃ、今日はこれで帰るわ。またねチャンピオンさん。邪魔してごめんなさい』
『ああ、いえ』
それまで完全に蚊帳の外に置かれていた美月は、投げキッスを残してリングを去る神楽を、
肩をすくめて見送る。
その様子は観客の笑いを誘った。
『まあ、あの……そういう流れらしいです』
そう言って美月が自分も帰ろうとした時、不意に全く別の入場曲がかかった。
これは美月にも誰のものかすぐわかった。
『ごめん、邪魔しちゃって』
相羽だった。
最初からマイクを持って出て来た相羽は、早速こう切り出した。
『……ベルト、もう一つ持ってるよね』
いつになく切実な表情の相羽は、デビュー以来初めて観客の前で自分の要求を口にした。
▲
by right-o
| 2012-02-12 20:44
| 書き物