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「スパイラルタップ」「キス・マイ・アス」 杉浦美月&市ヶ谷麗華VS鏡明日香&ヴァルキリー千種

 とある軍団の常設会場。
 この無駄に映像と音響の良いことだけが取柄の小会場で、
 今日は市ヶ谷麗華引退試合が精一杯華々しく行われていた。
 相手は入団して間もない新人のサンダー龍子。
 これを普段通りの強引さで秒殺すると、
 最強のお嬢様は、感慨も何も無くマイクを握った。
「弱すぎますわ!この私の引退試合だというのに、新人を当てるなんてどういう料簡で――」
「いやいやいや」
 突然、細いスポットライトの光線が実況席を指した。
 そこには、何故か小さな馬のぬいぐるみが置かれ、
 その白い帯が入った鼻先に向かって固定マイクが据えられている。
「今のはまあ、チャレンジマッチみたいなもので。何分これが最後の機会なもんだから、
 是非新人にリングの上で市ヶ谷麗華というレスラーを体感してもらおうと思って」
 どこから音を出しているのか、わざわざぬいぐるみが喋っている風に見せる演出である。
「…それなら、私の引退試合はどうなりますの?」
 市ヶ谷がそう言い切らない内に、ダン、というドラムの音が一音鳴った。
 続いて、形容しづらい弦楽器のゆったりした音色と共に花道奥のステージがせり上がり、
 白いフード付きのジャケットを羽織った小柄な影が姿を現した。
 影は、名前のコールを受けながらトップロープを飛び越し、
 持参したマイクを無表情に取り直す。
「お久しぶりです」
「フフ、まあ杉浦さんでしたら相手に不足はありませんことよ」
「そういうことです。私の引退試合はまだ済んでいませんでしたからね」
 美月は一月ほど前に引退を決め、その後特に音沙汰無いままリングを離れていた。
 また彼女は市ヶ谷のタッグパートナーでもあったので、
 ここで登場しても意外ではなく、むしろ一種自然な流れとも言えたが。
「ああいや、待った」
 と、再びライトが馬へ。
「君ら、戦ったらどっちか壷にハマった方が一方的に押し切る試合にしかならない気がする。
 何より2人はウチを代表するタッグであったわけだし、
 ここは組んでもらうことにしたんだけども」
「組むって、相手はどうするんですか?」
「先に言っておきますけど、草薙さんと中村さんでは相手になりませんわよ」
 最前列で見ていた上2人はそれぞれ、みことは苦笑し、真帆はぷーっと膨れた。
「いや、そこで!…スペシャルゲストを呼んであってね。ウチの名タッグが引退と聞いて、
 是非相手になりたいと言ってくだすったお二方。さあ、どうぞっ!」
 やや間があって『♪跪いて お舐めよ 聖なる足』から始まる入場曲が聞こえてきた時、
 「おお」と反応したのは、おそらく旗揚げからこの軍団を見続けてきた数少ない古参たち。
 互いにニヤリと笑ってステージ上に現れたのは、鏡明日香とヴァルキリー千種、
 この軍団を旗揚げから支え、随分前に引退したはずの2人であった。
 それを見て、滅多に崩れない美月の顔が渋面を作る。
 新人の頃から我が道を行っていた市ヶ谷とは違い、
 美月は一人前になるまでに随分鏡(とまだ現役の吉原泉)に絞られた。
 それは引退を決めた今となっても忘れられない記憶であるらしかった。


「私たちの時は記念の花束一つ貰えなかったのに、
 引退試合までやってもらえるなんてずるい!!」
 そう言いいながら千種と鏡がマイクで殴りかかったのが、試合開始の合図になった。
(そんなこと、私たちに言われても)
 思う間もなく美月は場外に放り投げられ、まずは市ヶ谷が捕まる展開。
 ダブルのドロップキック、フラップジャック、スパインバスターまで決めて
 市ヶ谷を痛めつけると、千種を下がらせた鏡は“しな”をつくって見下ろし、挑発する。
「…このッ!」
 怒った市ヶ谷の力技を時にいなし、
 時に受けて立つ様子はほとんど現役時代と変わりが無い。
 この組み合わせは、軍団における新旧の女王様対決だった。
 互いに交代して千種と美月が出てくると、すぐに素早い動きからドロップキックが交錯し、
 それぞれその場飛びのムーンサルトとシューティングスターをかわし合う。
 こちらは差し詰め新旧のスピードスター、ハイフライヤーの対決と言えた。
 さらに市ヶ谷と千種が投げあい、美月と鏡がマットを這いながら技を競う光景は、
 軍団の過去と現在が交錯する、本来有り得るはずのなかった状況である。
(一体いつの間にここまで練習してたんだか)
 引退直前の2人がそう思わずにはいられないほど、
 とっくの昔に引退したはずの2人はよく動く。
 四者ともが全盛期を思わせるような戦いを披露しているリング上に、
 観客とぬいぐるみは夢中になって見入っていた。

 そんな夢の終わりの始まりは、千種のラリアットが空を切ったところから始まる。
「ッ!」
 千種の振り向き様を美月のオーバーヘッドキックが襲うと、
 ロープ際に転がった相方に手を伸ばし、鏡が入る。
 そして起き上がった美月にトーキックをくれると、
 続けて両手首を掴んで踊るように身体を半回転させ、美月を自分の背後に回しつつ、
 さらに手首の加減で下がらせた美月の後頭部に自分の尻を乗せてジャンプ。
「…ぶっ!?」
 頭の上に座られる屈辱的な形で、美月は顔面からマットに激突した。
「調子に乗るんじゃありませんわ!」
 鏡が満足気に立ち上がろうとしたところで、
 今度はその額を市ヶ谷がランニング・ビッグブートで蹴り飛ばす。
 しかしその市ヶ谷の腰にも、いつの間にか立ち上がった千種の腕が絡んでいた。
「うりゃっ!」
 控えめな気合とは裏腹に、恐ろしい角度と勢いで突き刺さった市ヶ谷の横で千種も倒れこむ。
 これで全員が一時にダウン。
 しばらく後、拍手と歓声と地響きの中で立ち上がったのは試合権利を持つ鏡と美月だった。
「終わりですわ」
 かつての弟子の腹部に膝を入れながら鏡がコーナーを目指した頃、
 残りの2人も揃って身体を起こしかかっている。
 それを知ってか知らずか、鏡は一切背後を気にしないまま美月をコーナー最上段に設置し、
 自分もゆっくりとセカンドロープに足をかけた。
 抵抗しない美月に対して雪崩式ブレーンバスターの体勢ができるのと、
 そんな鏡の背中を市ヶ谷が力任せに叩いたのが同時。
「終わりですわ!」
 鏡の両足をくぐると、コーナーから水平になるようにビューティボムで叩きつけ、
 市ヶ谷は美月にあとを託した。
 そして自分は直前に放り投げた千種を押さえにまわる。
「終わり…」
 ロープを足場に立ち上がった美月は、大の字になった師匠を見下ろすと、
 なんとなく、鏡のせいで真っ赤になった鼻の頭をさすった。
 一試合限りの復帰のためにわざわざ新技まで考えてきたこの食えないヤツに、
 入団して数ヶ月は悲鳴も出せないような目にあわされたことを思い起こす。
 ついで、周囲を眺め回した。
 視力の悪い美月にとって最後まで慣れようもない風景のはずが、
 無理矢理飛ばされている内に気がつけば好きになっていたのだった。
 これは、視界の隅で澄ましているぬいぐるみの差し金。
 ほんの数秒の間に様々なことを思い出してから、美月は目を瞑り、一息吸った。
 そして、
「終わりッ!!」
 と叫ぶと、前に4分の3回転しながら同時に身体を横に捻って一回転し、
 最終的には背中から鏡の胴体に着地し、押し潰す。
「さ、最後ぐらい……花を持たせてあげますわ」
「はいはい」
 鏡にもたれながら、美月は指を立ててカウントを数えた。


 試合後のリング上では、戦った4人全員に記念の花束が贈られている。
 途中から実況席に座っていた龍子は、
 その様子を眺めながら一人厳しい表情で思い詰めていた。
「いつか、あの人達を…」
「超えてもらわんとね」
 言い淀んだ言葉尻を、横のぬいぐるみが引き継いだ。

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by right-o | 2008-08-04 22:09 | 書き物