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 美月対神楽戦の舞台となったのは、神戸ワールド記念ホール。
 立地から見れば神楽寄りの会場だが、特に観客はどちら寄りということもなく、
 これから始まる試合の形式と、そこで何が起こるかに期待している者が多かった。

 美月は普段どおりの無表情でリングに入り、
 神楽もまたいつものように薄い笑みを浮かべてロープをくぐると、
 向かい合った両者の左手首に皮のストラップが巻かれる。
 それは、ちょうどリングの対角線を結んでやや余るほどの長さの鎖で、
 両者を結びつけるためのものであった。
(重い……)
 見た目アルミのように安っぽく光る鎖であったが、
 その実かなり太い鉄の輪を繋げたものであり、人間の力で断ち切ることは不可能だろう。
 先月、柳生美冬を惨たらしく痛めつけたこの凶器が、この試合形式においては鍵となる。
 神楽からの提案を受け入れる形で実現したこのチェーンデスマッチであったが、
 流石の美月も、相変わらずの無表情とは裏腹に、内心では怖いものがあった。
 それでも王者として、また一プロレスラーとしての意地から、
 もうどうにでもなれという半ば自棄に近い気持ちでリングに立っているのであった。


 しかし一度ゴングが鳴ってしまえば、内面がどうであれ身体は動く。
 ゴングと同時、手早く左拳にチェーンを巻きつけて殴りかかってきた神楽の腕をかいくぐり、
 振り向きざまに顔面へのドロップキック。
 が、神楽はドロップキックを受けて倒れながら、
 左手のチェーンを短く持って自分からリング下へ転がり落ちる。
 勢い美月も左手に引き摺られる形で前に倒れ、そのまま場外へ引っ張り出されてしまった。
「ほらほら、どきなっ!」
 すかさず美月の首にチェーンを巻きつけた神楽は、最前列に座っている観客へ手を振って非難させ、
 チェーンを持って場外フェンス越しに美月を投げ飛ばした。
 客席のイスを薙ぎ倒しながら地面に転がった美月へ、神楽はさらにイスを投げて叩きつける。
 この試合、お互いをチェーンで繋ぐこと以外ほぼノールールであり、
 一応ギブアップと3カウントをリング上で行うことの他、何も反則にならない。
 完全に神楽の土俵と思われたこの試合形式で、まずは予想通り神楽が美月を蹂躙した。
 さらに床へボディスラムで叩きつけたあと、
 神楽は再度チェーンを使って美月を場外フェンス越しに投げてリング側へ戻し、
 サードロープの下から美月をリングへ転がし入れる。
 そしてリング内へイスを放り投げておいてから、観客へ悪態を吐く余裕を見せた。
 スキを窺っていた美月はここから反撃開始。
 左手のチェーンを一気に引っ張って手繰り寄せると、場外の神楽が不意に腕を引かれて体勢を崩し、
 リングの支柱に頭から激突した。
「おお……」
 間の抜けた格好でダメージを受けて頭を抱える神楽へ、
 美月はサードロープ下をくぐって場外へのスライディングキック。
「ちっ」
 場外フェンスまで蹴り飛ばされた神楽がチェーンを巻いて殴りかかってくるのを避けつつ、
 神楽が巻いているチェーンの根元を引っ張って引き寄せ、側面から抱きつくような形で密着。
「せぃっ」
 一瞬のタメのあと、捻り式のバックドロップに切って落とした。
 体格の問題から投げ技はあまり使わない美月だが、これぐらいのことはできる。
 横方向の回転で頭頂部から場外マットに激突した神楽はぴくりとも動かず、
 美月はこれを引き起こしてリングへ入れた。
 それから一度自分もサードロープをくぐってリングインしたあと、
 トップロープを飛び越える形でエプロンに立った。
(まだまだ、いける)
 場外でいいようにやられていた美月だが、効いてないというアピールも兼ねて飛び技を狙う。
 流石にチェーンをつけたままで450°スプラッシュは無理と判断し、
 神楽が立つのを待ってからトップロープに飛び乗った。
 だがこういう場合の神楽の頭の回転は早い。
 左手のチェーンを引くことでドロップキックを狙う美月の体制を崩し
 トップロープから前のめりになったところへジャンプして飛びつく。
 ちょうど抱きつくように、右腕を美月の左首筋に巻きつけ、掌で後頭部を掴んだ。
 そのまま空中から美月ごと後ろに倒れこみ、美月の顔面を肩越しにマット――
 ではなく、自分が投げ入れたイスの上に叩きつけた。
 それから間髪入れず裏返してカバーへ。
「……うぶっ!」
 カウント3寸前で美月が肩を上げると同時、激しい呼吸に跳ね上げられた血の霧が舞った。
 顔からイスの底に突っ込んだ美月は、額と鼻から流血。
「ちっ、綺麗に決まったと思ったのに」
 指を鳴らして悔しがった神楽は、それでもすぐ次の手に移った。
 倒れている美月の首へチェーンを巻きつけ、無理矢理に身体ごと引っ張り上げる。
 後ろを向いて背中合わせになると、チェーンを両手で掴んだまま美月を自分の背中へ担ごうとした。
 半ば生命を感じた美月は担ぎ上げられる寸前、
 自分が突っ込んだイスに足を引っ掛けて放り上げ、なんとかそれを掴むことに成功。
「あんまり意地を張ると、知らないわよ……!」
 そう言って神楽は、美月の首にかかったチェーンを思い切り両手で引っ張った。
 鉄の鎖が首へ食い込むと同時、美月は神楽の背中の上で必死にイスを両手で振り上げ、
 神楽の後頭部へ一撃。
 チェーンが緩んだところで、下半身を起こして神楽の上で後方に一回転。
 丁度神楽の頭を跨ぎながらマットに両足をつき、そのままマットを蹴って逆回転。
 身体に巻きついたチェーンを空中で乱舞させながら、
 前方回転式のパイルドライバーで神楽の頭ををマットへ突き刺した。



 3カウントを奪ったあとも、美月は暫く動悸が治まらなかった。
 試合に勝った充実感や達成感は無く、まだ恐怖とそれに対する反発が胸の内で渦巻いている。
 途中までは冷静でいられたものの、スワンダイブを切り返されて以降は死に物狂いであった。
 どうにか立ち上がってベルトを受け取り、両手で掲げて誇示すると、
 客席からは、拍手と歓声に混じってスクリーンに映った血だらけの顔にどよめく声が聞かれた。
 そして赤く染まった美月の裸眼の視界には、花道を歩いて来るいくつかのぼんやりした影が見えた。
(ああ、もういい加減に……)
 汗と血と視力ためにはっきりと見えなくても、大体誰かは想像がつくし、
 用件は想像する必要もなく分かっている。
 美月はうんざりしつつ天井を仰ぐ他なかった。

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by right-o | 2012-08-16 00:13 | 書き物
 福岡での興行終了後、美月たちは新幹線で帰京の途についた。
 その車内、一つ前の座席を回転させてボックス席としたところに、
 美月、神田、相羽、そして越後の四人が向かい合って座っている。
「……美月ちゃん、次大丈夫なの?」
「……どうでしょうか」
 つい数時間前激しくやり合っていた人間から、美月は心配されていた。
「恐らくまた、今日みたいに無茶苦茶な試合形式を要求してくるに決まってますよ!」
「そしてチャンピオンであればなおのこと、挑戦者の要求を受けて立たずにはいられないわけだな」
 同じく心配顔の神田に、越後だけがそう淡々と応じる。
 四人とも、頭の中には先ほど見たリング上の無残な光景が生々しく刻まれていた。


 「参った」と言った方が負け、という、ある意味これ以上無いほど単純なルールは、
 裏を返せば当人以外は誰も試合を止められない危険なルールでもある。
 神楽が提案したルールを美冬が飲む形で決まったこの試合、事実上は何でもアリに等しい。
 その試合のゴングが鳴った瞬間、神楽は美冬に背を向け、猛ダッシュで場外へ滑り出た。
「なっ!?」
 喧嘩を売っておきながら即逃げの姿勢を見せた神楽を、美冬はバカ正直に追いかける。
 そして何やらリングの下をゴソゴソとやっている神楽の頭を、
 ロープから身を乗り出して掴もうとしたところ、
 咄嗟に体を起こした神楽が美冬へ竹刀で一撃。
 肩と頭に竹刀を打ちこみ、反対に下から掴んで美冬を場外に引き摺り出した。
「使えるものは、使わなきゃねぇッ!?」
 場外の鉄柵に美冬を振った神楽は、助走をつけて思い切り竹刀を叩きつける。
 美冬は、背にしていた鉄柵を乗り越えて観客席の中に墜落していった。

 奇襲に面食らった美冬だが、そこは元世界王者だけあり、
 ただやられたままというわけではなかった。
 観客席に叩きこまれた美冬に、神楽はまずイスを上から投げつける。
 二つ、三つと無造作に美冬の背中へ叩きつけたあと、
 仕上げとばかりに今度は持ったままのイスを振り下ろそうとした時、
「シィッ」
 フロアに這いつくばったままの姿勢から美冬が躍動した。
 イスを振り下ろしかけていた神楽の顔面へ、一瞬で飛び上がっての雷迅蹴。
 起死回生の瞬間を目撃し、会場は驚嘆の歓声に湧き返った。
(や、ヤバかった……)
 が、昏倒させられたかに見えた神楽は、倒されながらもまだ意識を保っている。
 イスを振り下ろしかけていたお陰で、顔の前に出ていた両腕が美冬の足をブロックする形になったようだ。
 そんな神楽をリングに戻そうと、美冬が右手で頭を掴んだが、すぐに両手で持ち直し、
 イスの倒れた観客席の中を引き摺って行く。
 おや、と神楽の唇が誰にも見えないところで歪んだ。
 神楽をリングに入れた美冬は、まずボディに膝を突き刺し、ついでミドルキックで上体を跳ね上げ、
 更に左右のローから左ハイキック。
「……っぐ」
 咄嗟に右腕を上げてガードしたものの、そのハイキックの衝撃は頭を揺らし、
 美冬にもたれかかるような形で前のめりに――倒れようとしたところで神楽は美冬の右腕を捉え、
 自分からその場に倒れ込む形のアームブリーカー。
「痛ッ」
 美冬は思わず肘を庇ってマットに転がった。
 美月戦から約一カ月だが、まだあの時の傷が完治していなかったようである。
 このスキに、神楽は再度場外に下りてごそごそとリング下を漁った。
 試合前に何か仕込んでおいたことは間違い無いが、
 そもそもこのルールでは何をしようが誰からも咎められることはない。
 けけけ……と邪悪な笑みを浮かべた神楽の腰と腕に、会場の照明を受けて光る何かが装備されていた。
「……この程度っ!」
 リングに上がった神楽へ、美冬は果敢にも痛めた右腕で掌底を放った。
「うっぐ」
 頬を捉えた一発は、腕を痛めていてさえ神楽を怯ませ、一歩退かせる。
 が、お返しとばかりに神楽が振るった右拳は一撃で美冬からダウンを奪った。
「効いたわぁ……」
 自分の頬を撫でながら美冬を見下ろす神楽の右手には、鎖が巻かれていた。
 そして仰向けに倒れた美冬の頭を左手で掴んで起こし、その額へ鎖を巻いた右拳を連打。
 最後に大きく弓を引いて殴りつけたあとには、鎖から血が滴っていた。
 それでも美冬は、半ば神楽に縋るような形になりながらも立ち上がろうとする。
「うぇ」
 触るな気持ち悪い、とばかりに神楽は膝を入れて美冬を屈ませると、
 すかさずその頭を右の脇に抱えつつ左手で腰のあたりを掴み、相手を持ち上げながら自分もジャンプ。
 自分も飛び上がることで落差と角度をつけたDDTで、美冬をマットに叩きつけた。
 そして足で美冬を裏返し、首元を右足で踏みつける。
「“参りました”は?」
「誰が……言うか……っ!」
 ボロボロになりながらも、美冬は敗北を拒否した。
「あっそ」
 神楽は、美冬の首に置いていた足を右肘の上に移し、体重をかけながら踵でぐりぐりと踏みつける。
 美冬は歯を食いしばって耐えていた。
 暫くして、神楽はその反応にも飽きた。
「あんまり酷いことしたくなかったんだけど、あんた強情だからしょうがないわよね……」
 言葉とは裏腹、神楽は何か楽しそうに美冬をコーナーまで引き摺って行く。
 そこでふと、美冬は右手首に冷たい感触を覚えた。
「!?」
 ついで右腕を引っ張られ、その先のトップロープと自分の腕が手錠で繋がれているのを見た。
 呆気にとられる暇も無く、さらに左手がコーナーを挟んだ反対側のロープへ繋がれる。
 二つの手錠は、神楽が場外から腰に手挟んで持っていたものであった。
「さーてぇ……」
 両手を後ろ手にロープへ繋がれた美冬の前で、神楽は腕に巻いていた鎖をするすると解き、
 その端を右手に持って振りかぶる。
 強烈な歓声とブーイングが半々の中、神楽はまた意地悪く微笑んだ。
「ここら辺でやめといた方がいいと思うんだけど、どうするぅ?」
「誰が……ぐッ!?」
 美冬が言い終わるのを待たず、神楽が振るった鎖が鉄の鞭となって美冬の右腕を打つ。
「じゃーあ、仕方がないわねぇ……!」
 心の底から楽しそうに、神楽が笑った。

 それから数分後。
 美冬は、両膝をついていた。
 露出の多い肌には一様に赤いみみず腫れが走り、所々丸い痣になっている箇所もある。
 それでも美冬は、勝負を投げていなかった。
「……頑張るわねぇ」
 ただし、神楽もまだ美冬を痛めつけることに飽きてはいない。
 神楽は鎖を放り投げると、動けない美冬に近づいて膝をつき、顔の高さを合わせる。
 そして神楽は、美冬の腰にある、
 胴丸のようなコスチュームにかかっている紐の結び目をしゅるりと解いた。
「なに、を……?」
「何って、勝つための手段よ」
 言うが早いか、その部分を取り外してがらりと放り投げた。
「あんたをここで丸裸にしてさぁ、それでも負けを認めないってなら、
 あたしが“まいった”って言ってやるわ」
 神楽は、美冬の耳に口をつけながらそう囁いた。
「バカな……っ!?」
 美冬が反応するより早く、神楽は短い和服状の美冬のコスチュームの襟を掴み、前を開けた。
「……っと、コスチュームの下が直に真っ裸ってことはないか」
 下は、襦袢であった。
「ん、でも汗で肌に張り付いてるってことは、この下は、と……」
 重ね合わせの隙間から、神楽の手が差し入れられようとした時、
「やめ……」
「ん?なに?」
 神楽は、差し入れかけた手を止めた。
「聞こえないんだけど」
「ッッ!?」
 焦れた神楽は、美冬の胸を襦袢の上から思いっ切り鷲掴んだ。
「やめ……やめろ」
「……やめろ?」
 不満げな神楽の指が、一層美冬の肌に食い込む。
「やめて、ください……まいりました、から……」
 こうして、いつの間にか三十分を越えていた長い試合がようやく終わりを迎えた。


「あれは暫く立ち直れんのだろうなあ」
 美冬の様子を思い返し、越後が呟いた。
 試合後、美月と神楽がやり取りしている間も手錠に繋がれたまま放置されていた美冬は、
 その後ぐったりした様子でみことに担がれて退場して行った。
 身体以上に心のダメージは相当だろう。
「やはり、先輩との試合も同じルールで……」
「いや、多分それはないな。
 多分、神楽は美冬をあんな目に遭わせることを始めから考えた上で、あの試合形式を要求した」
 心配げな神田に越後が即答した。
「え、っと……それはつまり?」
「だから、最初から美冬を辱める目的であの試合を選んだってこと」
「いや、美月ちゃんだって同じことされるかもしれないんじゃ?」
 美月より早く、相羽の方が聞きたかったことを聞いてくれた。
「んー、まあはっきり言えば、こんなちんちくりん苛めても面白くないと思う」
「……ほう」
 ウソウソ、と苦笑して誤魔化そうとする越後を、美月は思いっ切り睨みつける。
 勝利の余韻か、越後にしては珍しい冗談であった。

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by right-o | 2012-03-25 21:39 | 書き物
『実を言えば……この試合が決まる前から、今日で引退するつもりでした』
 試合後、ベルトを巻いた越後は、マイクを持ってこう切り出した。
『それをコイツが、あたしを無理矢理こんな舞台に引っ張り出した上、
 人が最後と思って感傷に浸ってるところをぶっ叩いて働かせてくれた……!』
 越後は、傍らに寄り添う相羽の、汗だくの頭を力一杯撫でまわす。
『お陰で目が覚めた!まだこんな中堅で燻ったままで終われるか!
 これからまだまだコイツと一緒に目立ってやるから、応援よろしくお願いしますッ!!』
 思いもよらないベテランの復活に対し、観客は一様に大きな声援をもって支持してくれる。
 そんな中、満身創痍の新タッグ王者は互いに寄り添う形で記念写真に収まった。
 

 一方、フラッシュと歓声を浴びる勝者たちを背に、すごすごと引き上げて来た美月たち。
「……なんか、すいませんでしたね」
「いえ、私こそ……」
 二人しかいない控室は、どんよりとしていた。
 パイプイスに向かい合って座った二人は、共にタオルを頭から被ってうなだれている。
 油断ならない相手ではあったが、正直言って負けるとは思っていなかった。
 越後によって身体的・精神的に成長を遂げた相羽の実力も、
 その越後自身の経験や勝負強さも、計算づくのつもりであったのだが。
 伊達に力づくで叩き潰された時、また美冬にレフェリーストップで不本意な敗北を喫した時とも違う、
 美月にとって腑に落ちない負け方であった。
(一人の負けじゃあ、ないってことか)
 神田と組むことで初のタッグ王者となり、防衛を重ねることその後二回。
 越後と相羽ほどではないにしろ、美月も神田に指導のようなことをし、
 互いに影響しあうことで実力を高めあってきた。
 そうしてタッグとしての自信を深めつつあった矢先の躓きである。
「……これで終わりというわけではありません。また、やり直しましょう」
「そうですね。……もう一度、挑戦しましょう」
 長い沈黙の後、ようやくそれだけの言葉を絞り出し、二人が帰り支度を始めようとした時、
「美月先輩!」
 控室の扉を勢いよく開き、慌てた早瀬が飛び込んできた。
「早く来てくださいっ!次期挑戦者に呼ばれてますっ!!」


 早瀬に引っ張られる形で入場ゲートの裏まで連れられて来た美月は、
 そのまま背中を突き飛ばされるようにして再度観客の前に姿を現すこととなる。
『遅っそいじゃないのチャンピオン!さっきからずっと呼んでたんだから』
 神楽が呼ぶリングの上を見た美月は、そのまま凍りついてしまった。
 それぐらい、リング上の勝者と敗者はあまりにも対照的だった。
 片や汗一つかかず余裕の表情で不敵な笑みを浮かべる神楽に対し、
 美冬の姿はあまりにも惨め過ぎた。
 ところどころコスチュームは破れ、露出した肌には真っ赤な痣が走っている。
 そしてその右手は、なんと手錠でトップロープと繋がれていた。
 右手を繋がれたままその場に崩おれる美冬の表情は窺えないが、
 恐らくは羞恥のために震えていることだろう。
『さあ、本番はどんな試合がいいかしらね?』
 もう一つのベルトを守るため、美月に敗戦を引き摺っている暇はなかった。

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by right-o | 2012-03-13 22:51 | 書き物
「ようし……ッ!」
 タッチを受けた越後はすぐリングに入ろうとせず、
 エプロンを伝って中央付近まで行き、リング内を向いてトップロープを掴む。
 狙うのは、顎を跳ね上げられたダメージから足元をふらつかせる美月の頭。
 エプロンから一気に飛び上がり、両足の裏でしっかりとトップロープを捉えた。
「先輩っ!!」
 神田の叫びも空しく、リング内に向けて飛び上がった越後は、
 スワンダイブ式のドロップキックで美月の後頭部を蹴り飛ばした。
 華麗さは無いが、勢いと説得力を感じさせる越後の得意技であったが、
 最近では滅多に見られなかった。
 前につんのめる形でダウンさせられた美月は、
 続けて頭部に大ダメージを負わされたため容易に起き上がれない。
「ちっ……」
 鈍く痛む頭をどうにか持ち上げかけたところで、
 越後の手が美月を無理矢理リング中央へ引き摺っていく。
 頭を押さえて前傾姿勢にさせた美月の額を、越後は容赦無くステップキックで蹴り上げた。
「ぐっ」
 靴紐の跡が残るほど強烈に蹴り上げられ、強制的に顔を上げさせられる。
 そこへ間髪入れず越後の強烈な張り手。
「どうしたっ!?」
 踏ん張って耐えた美月に対し、越後は打ってこいとばかりに挑発する。
 思わず美月が張り返し、越後もまた美月の顔を張った。
(付き合ってられるかっ)
 何度か張り手の応酬を繰り返したあと、美月は早々にこれを切り上げるべくロープを使った。
 反動をつけた美月のエルボーを仁王立ちで受け止め、今度は自分の番と越後がロープへ走る。
 その戻ってきたところを見計らい、美月は越後の膝を低空ドロップキックで打ち抜き、
 そのままさっさと神田にタッチした。
「うおおおお……っ!?」
 が、勢い良く飛び出した神田を、
 既に立ち上がっていた越後はカウンターのパワースラムで切り返した。
 これを神田はカウント2で返したが、越後はすぐさま引き起こしてコーナーに叩きつける。
 コーナーを背にした神田へ膝を入れて怯ませ、両足を払って尻餅をつかせた。
「よっしゃいくぞー!!」
 青コーナーに控える相羽と一緒に観客を煽っておいてから、
 越後は、リングシューズの側面で擦るように神田の顔を蹴る。
 おい、おい、おい、と、何度も同じように神田の顔を擦るにつれ、
 相羽と観客が声を揃えて越後を囃し、その声に後押しされた越後は、
 最後にコーナー間を往復する形で助走をつけ、思い切り神田の顔を蹴り飛ばした。
「よぉーしっ!!」
 越後しのぶ、数年来なかった好調ぶりである。

(何かあるな……)
 越後たちとは、挑戦表明からこの日まで何度か前哨戦を戦う機会があった。
 その際、相羽については元々かなり気合が入っていたが、
 越後については特段どうという感想もなく、どちからというと影が薄かった。
 気がつけばこの団体の所属レスラー中最年長となっていた越後は、
 既に半分コーチのような存在であり、特にここ最近は存在感が希薄となっている。
 そろそろ引退するのではないか――というのが大方の見方だったため、
 相羽がパートナーとして名前を上げた時は、大体の人がかなり意外だと感じたものである。
 それが本番に来てこの奮闘ぶり。
 試合開始直後の相羽とのやり取りが原因かどうかわからないが、
 ともかく何か心境の変化なり事情があったように思われる。
 が、ちょっとぐらい気合が入ったからといって、それでベルトを取られるわけにはいかない。
 タッグとしての経験で勝る美月と神田も、当然ながらやられっぱなしではなかった。

「うっぐ」
 試合時間が十五分を越えていよいよ終盤に差し掛かろうというところ、相羽対神田の局面。
 神田のボディブローが相羽の腹部に突き刺さった。
 相羽を前傾させたところで、神田は側面方向のロープに走る。
 右足を振り上げつつジャンプ、左足と右足で挟み込むような踵落としを相羽の後頭部に見舞った。
 しかし、相羽は片膝をついたものの倒れない。
「負けるかぁ……ッ!」
 すぐに立ち上がり、右→左→右とエルボーを打ちこんで神田をロープに押し込み、
 仰け反った神田をロープに張り付けるようなエルボーの連打。
「っりゃああぁぁぁ!!」
 そこから反対側のロープを背に受け、全体重を乗せた渾身のエルボー。
「……っざけるなぁッ!!」
 だが神田も意地を見せる。
 相羽が突っ込んできた勢いを背後のロープで跳ね返して相羽を突き飛ばし、
 左右の掌底を連打して中央まで押し返した。
 更に相羽もエルボーを返し、神田もまた張り返す。
(ここだっ)
 何度目かの応酬のあと、相羽の右腕の影から被せるように神田の左腕が伸びた。
 電光石火のクロスカウンター。
 過去にも相羽を斬って落とした裏技が、今回も相羽の顎先を鋭くかすめた。
「っ!?」
 が、同時に今回は相羽の拳も神田の頬にめり込んでいた。
 これを読んでいたのか、相羽はエルボーと見せかけて自分も拳を伸ばしていたのだ。
 二人は重なり合うようにして前のめりに倒れた。
「神田っ!」
「相羽ぁ!!」
 ダブルノックアウトとなった二人に、両コーナーから同時に檄が飛ぶ。
 それに応えるようにしてじりじりと自陣に這い寄った二人は、
 ほぼ同じタイミングでパートナーの手に飛びついた。
 飛び出すと同時にフロントハイキックを繰り出してきた越後をいなし、美月はバックを取る。
 越後は腰のクラッチを外そうと試みたが、既に美月の両手は越後の両肩にかかっていた。
 跳び箱の要領で越後を飛び越しつつ、その後頭部を掴んで体重をかけ、
 落差をつけたフェイスクラッシャー。
「決めるッ」
 美月は、決定事項を読み上げるように淡々と宣言した。
 と同時に、コーナーから身を乗り出していた相羽にトラースキック一閃。
「……っこの!」
 クリーンヒットしなかったものの体勢を崩した相羽が飛び出しかけたが、
 そこへすかさず神田が襲い掛かり、同体になって場外に転落した。
 邪魔者のいなくなった美月は、
 片膝をついて立ち上がる越後をその背後で静かに待ち、一気に動く。
 まずは後ろから越後の左足を踏み台にし、右膝で下からカチ上げるように後頭部を打つ。
 そのままの勢いで越後を跨ぎつつ正面のロープを背に受けた。
 そして今度は正面から越後の膝に足をかけ、体重を乗せた前蹴り。
 ここ最近の必勝パターンのようになっている二発が完璧に決まった……が、
 越後は顔面を蹴られた瞬間に立ち上がった。
「なっ!?」
 美月の前蹴りを受けた鼻から血を流しながらも、越後は美月の両足の間に頭を入れ、
 パワーボムの形で持ち上げる。
 大きなどよめきの中で美月を抱え上げきった越後は、
 体に捻りを加えることで美月を回転させながら、開脚して尻餅をつく形でパワーボムを放った。
「あ……先輩っ!?」
 場外で相羽を押さえつけていた神田が一転してカットに入ろうとしたが、
 すかさず相羽がその腰にすがりついてこれを止める。
 1、2、……と、観客とレフェリーが一体となってカウントを数えるも、
 3直前で美月は両足で越後の頭を挟み込むように打ちつつ、腰から背中を浮かすことで敗北を拒否。
 観客が一斉に足を踏み鳴らす中、またも試合は振り出しに戻った。
 二人共にしばらく立ち上がれずもがいていたが、先に立ち上がったのは美月。
 ふらつきながらも越後を引き起こした美月は、トーキックを入れて越後を前傾させる。
 やはり最後はこの技しかないとばかり、太股で越後の頭を挟み込み、パイルドライバーの姿勢。
 既に定着しきったフィニッシュホールドの姿勢に、観客は今度こそ試合の終わりを予感した。
 場外では、再度神田が相羽を押さえつける側に回っている。
「終わりです、先輩」
 思わず口をついて言葉が出たと同時に踏み切り、
 越後を真後ろのマットに突き刺すための前転に入ろうとした時、
「……お、終われるかッ」
 体が持ち上がりかけたところで、越後は美月の両膝を前に押し出し、自分の頭を抜いた。
 一瞬、宙に浮かされる形となった美月が着地した瞬間、その首を刈り取るようなラリアット。
「うおおおおおおおおおおお!!」
 身体的にはとうにボロボロのはずの越後が、心は折れていないとばかりに咆哮する。
「くっ、先輩……!」
「決めて!越後さん!!」
 場外では、またも逆転された美月を助けに向かおうとする神田を、相羽が必死で引き止めていた。
 ゆっくりと美月を引き起こした越後は、再びパワーボムの体勢へ。
 持ち上げきると、今度はその場でまず一回転したあと、
 その回転の勢いのままシッとダウンパワーボムで美月をマットへ叩きつけた。

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by right-o | 2012-03-04 18:21 | 書き物
 それぞれの挑戦表明から一ヶ月後、福岡・福岡国際センター。
 美月組対相羽組のタッグ王座戦がセミ、
 神楽対美冬の次期世界王者挑戦者決定戦がメインに据えられた今回、
 会場は代々木第二の倍以上の容量を持つ福岡国際が押さえられていた。
 前回のタイトル戦時と比べて団体側が強気に出たのは、神楽戦の話題性を見越してのことである。
 試合が決まってからこの日まで、神楽はリング内外を問わず美冬を挑発してきた。
 美月組+神楽VS相羽組+美冬みたいなカードの前哨戦がこの日まで頻繁に組まれてきたが、
 試合中はことあるごとに外から美冬にちょっかいを出し、
 そのくせタッチを受けてもまともにやり合おうとしない。
 そうすることで神楽は、フラストレーションを溜めていく美冬を楽しんでいるのだが、
 自然その試合中、苛立つ美冬の相手をやらされることになった美月たちとしては、
 たまったものではなかった。


 そうして余計な被害を被りつつ迎えた美月たちのタイトルマッチは、
 正直なところ話題性では完全にメイン戦の影に隠れていた。
「……まったく」
 出番を待つ控室で、美月は週刊のプロレス雑誌を机の上に投げつけた。
 その表紙には、立ったまま鎖で縛り上げられた神楽が、頬を上気させている。
 構図としては攻めを受けている絵なのだが、その目は力強い光を持ち、
 口元は何かを求めるように小さな舌をのぞかせていた。
 もはや何の雑誌か全くわからない。
 でも、聞くところによるとこの号は結構売れたらしい。
「そんなもの気にせず、我々は試合で注目を集めましょう!」
「もちろんです」
 正論を言う神田に、美月は一も二もなく同意した。
 神楽に利用された上に話題まで持って行かれた鬱憤は、挑戦者を痛めつけることで晴らしてやろう。
 美月は二つ、神田は一つのベルトを肩に担ぎ、二人は控室を後にした。

 挑戦者組の入場に際し、風の中、固い地面を歩く靴音が会場に流れた。
 次いで扉を開き、締める音から入場テーマが始まり、一気に盛り上がりを迎えようとしたところで、
 相羽の曲に切り替わる。
「いくぞッ!」
 気合をかけて入場ゲートから姿を現したのは、相羽と、越後しのぶであった。
 合体テーマで入場してきた二人は、揃いの白ハチマキを靡かせて花道を歩き、
 堂々とロープを跨いでリングイン。
 それぞれコーナーに上がった二人に、満員の観客はそれなりに大きな拍手を送ったが、
 続く勇壮な太鼓の音で始まる神田のテーマによって遮られる。
 まず単独で入場した神田はゲートの花道の前で立ち止まり、続く美月の入場を待つ。
 ゲートの前で横に並んだチャンピオンたちは、一瞬視線を合わせたあと、リング目指して駆け出した。
 ロープの下からリングに滑り込んだ二人は、相羽たちと同じようにコーナーに上り、
 ベルトを大きく掲げて観客に誇示。
 タッグ王者と二冠女王の登場に、観客は一際大きな声援を送る。
 見たか、と言わんばかりに、美月は相羽たちを冷たく見下ろした。

 が、試合開始早々、良くも悪くも観客の注目は一気に持って行かれることとなる。
 美月と相羽がそれぞれ先発に出、ゴングが鳴ってさあこれから激突という時、
「………かな」
 ぼそり、と青コーナーに控えた越後が呟いた。
 それを聞いた相羽は、振り向いて越後の頬を思いっ切りはたいたのだ。
 唖然とする美月たちと、騒然となった会場をよそに、
 相羽は何事もなかったように美月と向きあうため前に出る。
 美月も、とりあえず深く考えず相羽に応じた。
 どちらからともなく組み合った状態から、まず美月が素早くバックを取る。
 対して相羽が腰に回った美月の右手を取って捻じり上げると、美月は左手でトップロープを掴み、
 小さくジャンプして前に回転することで捻じりを解消し、逆に相羽の右手を捻じり上げつつ、
 そこから頭に右手を回してヘッドロックへ移行。
「……やッ」
 これを相羽は一旦ロープに押し込み、反対側に突き飛ばすことで脱出。
 跳ね返って来たところをマットに横になって自分の上を跨がせ、
 再度ロープから戻って来たところでカウンターのドロップキック――を狙ったが、
 読んでいた美月はトップロープに背中を預けたまま停止。
 単純なヤツ、と言わんばかりに自爆した相羽を引き起こそうとした時、
 相羽は片膝立ちの状態からタックルを仕掛けるように美月を押し込もうとする。
 美月はこれに逆らわず、逆に自コーナーまで相羽を誘導するように後退し、
 フロントネックロックのような形で相羽を固定したところで、その肩に神田がタッチ。
 交代した神田は、まず無防備な相羽の脇腹に拳を打ちこんだ。
「……っ!」
 思わず膝をついたところで、更に脇腹へストンピング。
 その間に美月はコーナーに控えた。
 続けて神田は、引き起こした相羽の首を捕らえてリング中央へ投げ、尻餅をつかせる。
 そして背後から相羽の左脇に首を差し入れつつ両腕を首に回し、グラウンドのコブラツイストへ。
 神田は脇腹に標的を絞ったようであった。

 赤コーナーに控えた美月は、目ではリング内の二人を注意しながらも、
 頭の中では試合開始時の出来事について考えていた。
 元々相羽がタッグ王座への挑戦を表明し、パートナーに越後の名前を上げた時から、
 何か相羽には胸に期するものがあったような気がしていた。
 それが何か、ということについて、周囲から噂は色々と聞こえてきている。
(何にせよ、知ったことじゃない)
 青コーナーから必死に身を乗り出し、相羽にタッチを要求している越後を、
 美月は冷ややかに見つめた。
 と、リング内では、グラウンドコブラを掛けられた姿勢から、
 相羽が足を畳んでどうにか起き上がろうとしている。
 釣られて自分も立ち上がりながらも、神田は通常のコブラツイストを仕掛け、相羽を放そうとしない。
「しっ」
 後ろから肘を相羽の脇腹に突き立てながら、より一層締め上げる力を強めた。
「……いッやあああああっ!」
 しかし、相羽は強引に神田の足を外してコブラツイストを解くと、
 自分に巻き付いていた神田の腕を取りアームホイップで投げ捨てた。
「神田!」
「相羽、代わってくれ!」
 両コーナーから交代を求める手が伸びたが、相羽は脇腹のダメージからすぐには動けない。
 その場に膝をついてから、どうにか立って越後の元へ戻ろうとした時、
 既に交代を終えた美月が脇に取りついて腰に手を回した。
 低いが、捻りを利かせたバックドロップ。
 相羽を投げ捨てた美月は、そう簡単に交代させるかとばかりに越後をねめつける。
 が、その背後では、
「……おおおおおおおッ」
 頭から投げ捨てられた勢いのまま後ろに回転、起き上がった相羽が仁王立ちになっていた。
 慌てて振り向いた美月へエルボーを振り切り、ふらついたところでニュートラルコーナーへ飛ばす。
 更に串刺しのエルボー攻撃を狙って突っ込んだが、これは立ち直った美月が回避し、コーナーに激突。
「このッ」
 と、一旦距離を取った美月は助走をつけ、今度は自分が串刺し攻撃を狙う。
 体の側面から背面を向け、串刺しのバックエルボーを喰らわせたが、
 相羽は喰らいながらも美月の首に腕を絡ませスリーパーホールドに捕らえた。
「……!?」
 予想外の反撃ではあったが、美月は一旦体を丸めてコーナーから前に出ると見せかけ、
 その後思い切り体重を後ろにかけて相羽を背中からコーナーに叩きつける。
 これで相羽は技を解くかに見えたが、今度は脇の下に美月の首を抱える形でドラゴンスリーパーに移行。
「まだ放さないよ……!」
 ただ、首を締めつけるでもなく、相羽はその体勢のまま後ろ向きにコーナーを上り始める。
(何を……!?)
 今までに全く見せなかった動きをする相羽に対し、美月はもがいて逃れようとするが、
 相羽は構わず美月の首を脇に抱えたままでコーナートップに腰を下ろした。
 そこから、両足を畳んでコーナー上に立ち、跳ぶ。
 前に回転しながらリング内に尻餅をつくと、小脇に抱えていた美月の頭は、相羽の肩の上にくる。
「かはッ」
 コーナーから飛び降りた衝撃は、相羽の体を抜け、肩の上にある美月の顎を跳ね上げた。
 先日のシングル戦でも相羽は似たような技を見せたが、
 とても自分で考えたとは思えない独創的な技である。
「……絶対、勝ちますから!」
「わかってるッ!!」
 ともあれ、相羽は青コーナーに辿り着き、越後と交代を果たした。

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by right-o | 2012-02-26 21:06 | 書き物
 美月対美冬の戦いから二週間後、後楽園ホール。
 休憩開けのリング上に、美月の姿があった。
『えー……っとですね、その』
 世界王座を重そうに肩に掛け、マイクを持ってリングに立つ美月の姿は、
 あまり絵になっているとは言い難い。
 それでも、観客はその初々しさを前向きに捉え、激励の声援を送ってくれた。
 中規模程度の会場に来てくれるような層のファンからは、結構大きな支持を受けている美月である。
『とにかく、みなさんの後押しのお陰で、このベルトを獲ることができました。
 そのことについては、本心からの感謝を申し上げます。どうもありがとうございました』
 そう言って深く頭を下げた美月に、一際大きな歓声が送られる。
『……しかし、試合の前に言ったとおり、私にとってベルトを獲ることが目的の試合ではありませんでした。
 正直、世界王者になった実感など全くありませんが、現に王者となったからには、
 ベルトに恥じない存在であるよう、心がけていきます。これからも、応援よろしくお願いします』
 つまらないこと言ってるなあ、という自覚はあったが、
 「休憩開けにチャンピオンから挨拶を」なんて当日に振られたところで、
 美月には他に思いつく言葉もなかった。
 だが、そんな型通りの言葉が新鮮に聞こえたのか、
 客席からもう一度大きな声援と拍手が沸き起こったところで、会場に猛々しい三味線の音が響き渡る。
 西側客席の裏を通って、柳生美冬が姿を現した。
 先日の試合で美月によって痛めつけられた右腕を三角巾で釣ったまま、美冬は左手でマイクを持つ。
『別に無理して王者らしくする必要は無い。
 すぐにまた私がそのベルトを取り戻すんだからな。今、お互いに一勝ずつだ。
 ……次で決着をつけよう」
 早速のリターンマッチの要求であった。
 客席もまあまあ盛り上がって美冬を後押しし、美月も大体予測がついていたので、
 淡々と受けるつもりでマイクを取り上げかけた時、
 You think you know me……と、低い呟きから始まる耳慣れない曲がかかった。
 え、と、会場の誰もが一瞬首を捻ったあと、一部の観客から『うおおおお!!』と熱狂的な声があがる。
 そんな中、んー、と大きく伸びをしながら、東側の階段を上がってくる女があった。
 薄手の黒いロングコートの上にウェーブがかった赤毛を垂らし、
 色気のある微笑を浮かべて堂々とリングへ歩を進めた彼女は、
 どよめきと歓声の中でロープをくぐり、美月と美冬を交互に見比べる。
 それから、ゆったりとリングから外に手を伸ばし、自分にもマイクを要求した。
『あ~いむ、ばぁ~っく、ってね』
 彼女、神楽紫苑は微笑を絶やさないまま、まずは観客と視聴者に向かって語りかけ、
 それからまたリング上の二人に向き直った。
『ちょっとサービス過剰だったからってさあ、いきなり謹慎とか何とかで暫く出番無かったんだけど、
 今日から出ていいって言われて来てみれば、何か面白そうなことやってんじゃないの。
 お姉さんも混ぜなさいよ』
『お前には関係無い。黙ってろ』
 美月が何か言う間もなく、美冬が手厳しく跳ね除けた。
『ふぅん、そういうこと言う。でも、こういうのは普通お客さんにも聞いてみるもんじゃないの?
 ねえ、あんたたちはどう思う?この厳つい美冬ちゃんより、
 あたしがそこのチャンピオンに挑戦した方が面白いと思わない?』
 聞かれた観客は美冬には残念ながら、先ほど美冬が挑戦を口にした時よりもずっと盛り上がった。
 やはり観客としては、同じ組合せよりも、神楽に感じる「何かやってくれそうな」期待感の方を支持した。
 というか神楽の場合、「何かやらかしてくれそうな」と言った方が正しいのだが。
 何か言いかけた美冬を手で制し、さらに神楽が続ける。
『……ふん、あたしの方が人気者みたいね。ま・あ、あんたが不満なのも分からなくないから、
 ここは一つ、あたしとあんたで挑戦者決定戦ってことでどうかしらね?』
 勝手に話を進められた美冬は、固定された右腕まで苛立ちに震わせ、
 神楽を睨みつけながらこう絞り出すように言った。
『……いいだろう、お前を黙らせるには、それが一番早い』
『あらそう、じゃあついでに、試合形式も私が決めちゃっていいかしら』
 ぬけぬけと畳みかけた神楽に対し、今すぐにでも力づくで黙らせたい美冬は、
 何も言わずただ苦々しく頷いてみせ、それからすぐに踵を返して退場して行った。
『いいみたいね。それじゃあ、……期待しといてもらおうかしら』
 神楽の目が妖しく光り、唇の端がやや釣り上がる。
 その表情だけで、一部の観客は何事かを察して謎の盛り上がりを見せた。
『それじゃ、今日はこれで帰るわ。またねチャンピオンさん。邪魔してごめんなさい』
『ああ、いえ』
 それまで完全に蚊帳の外に置かれていた美月は、投げキッスを残してリングを去る神楽を、
 肩をすくめて見送る。
 その様子は観客の笑いを誘った。
『まあ、あの……そういう流れらしいです』
 そう言って美月が自分も帰ろうとした時、不意に全く別の入場曲がかかった。
 これは美月にも誰のものかすぐわかった。
『ごめん、邪魔しちゃって』
 相羽だった。
 最初からマイクを持って出て来た相羽は、早速こう切り出した。
『……ベルト、もう一つ持ってるよね』
 いつになく切実な表情の相羽は、デビュー以来初めて観客の前で自分の要求を口にした。

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by right-o | 2012-02-12 20:44 | 書き物
 美冬戦の翌日。
 昨夜、何度目かの病院送りをくらった美月は、すっかり日が高く上った頃に病室で目を覚ました。
「………」
 あれ、何だっけ。
 仰向けになったまま、美月は真っ白い天井を黙ってぼーっと見上げていた。
 その内になんとなく頭頂部に痒みを覚え、頭に手を伸ばそうとした時、
 それを横からにゅっと伸びて掴む手がある。
「おいおい、起きたなら声ぐらいかけてよ」
 ベッドの傍に座っていたジョーカーレディであった。
 自分を覗き込むジョーカーの顔を不思議そうに見つめてから、美月はこう、のたまった。
「あれ、あなた何でここにいるんでしたっけ?」
「何でって……」
 悪気無くスッとぼけてみせる美月に、ジョーカーは苦笑しながら肩を落とした。
「美月のタイトルマッチを見に来たんだよ。っていうか、どこまで覚えてる?」
「どこまでって……ああ」
 言われてみれば段々と思いだしてきた。
 美冬とタイトルマッチをしていて、反則負けになりかけて、何故かリングサイドにジョーカーがいて、
 言われたから仕方なく腕十字を解いて……
「あ……、そうか、頭から血が出てましたね。それでまた私は病院送りになったんですか」
「そうそう、……だから頭を触ろうとするな」
 ついまた美月の手が頭に伸びようとしたところを、ジョーカーは慌てて制した。
「前髪の生え際から頭頂部に向けてざっくり切れてた。
 傷口を縫うために髪を剃ろうとするもんだから慌てて止めたよ。
 ただその分きちんと縫えてるかわからないから、あんまり触らない方がいい」
 そう言って、ジョーカーは個室に備え付けてあった手鏡を取り上げると、
 横になっている美月の髪をそっと掻き分け、傷口を鏡越しに見せてくれた。
「さて、ちょうどよかった。そろそろ飛行機の時間だから、帰らきゃいけなかったんだ。
 その前に少しでも話せてよかったよ」
 ジョーカーは大きく伸びをしてから立ち上がり、個室の壁に掛けてあったコートを取り上げ、
 帰り仕度を始める。
「あ、もう……」
 と、ベッドから起き上がりかけた美月の上体に、ジョーカーがそっと自分の体を重ねて軽く抱きしめ、
 再びゆっくりとベッドに寝かしつけた。
「見送りとかはいいから、もうちょっと寝てなよ。あんな試合の後だしね」
 暇潰しのために読んでいた雑誌類をぽいぽいと旅行鞄に詰めたジョーカーは、
 最後に改めて美月へと向き直った。
「突然来て突然帰るようなことになって悪いと思ってる。
 実は元々日本まで来るつもりは無かったんだけど、ちょっと私にも事情があってね」
「とんでもない。少しでも会えて嬉しかったですよ」
 そう言って美月が差し出した右手を、ジョーカーはしっかりと握り返した。
「おっと、そろそろ本気で時間無いわ。それじゃ、良い試合だったよ。凄く、励みになった」
 手を振って病室のドアに手をかけたところで、ジョーカーはまた不意に美月を振り返った。
「そうそう、そこに励ましのお便りが纏めて置いてあるから、全部しっかり目を通しておくように。
 反則負けなんて望んでなかったってファンは、私だけじゃないんだよ。それじゃね」
 綺麗に片目をつぶって見せ、ジョーカーはドアの向うに姿を消した。
(……本当に行っちゃった)
 ふと寂しさを覚えた美月は、それを紛らわそうと、重たい体を起こしてベッドに腰掛ける。
 そう広くも無い個室の中、ベッドの前に置かれたテーブルの上には、
 ジョーカーが言ったように、美月宛に送られてきた激励のメールを印刷したものの束と、
 金色に輝く大きなベルトが置かれていた。
 美月は、昨夜の試合で勝ち獲ったベルトを持ち上げようとし、
 指をプレートの縁に引っ掛けただけで止めた。
 指先から伝わる感触だけでもかなり重く、疲れた体では持ち上げるのも物憂い。
 代わりに、美月はメールの束を手に取って上から読み始めた。
 と、一枚目を読み終わったところで、
 その後ろから、紙こそA4コピー紙だが明らかに手で書いたと思われるものが出てくる。
 クセの強い筆記体で書かれた英文は美月には読めなかったが、
 最後の署名だけはなんとか読むことができた。
 ジョーカーレディ、と。
「……ゆっくりしていけばよかったのに」
 紛らわせるどころか、寂しさが募ってしまった美月であった。
 が、何故ジョーカーが急に来て急に帰って行ったのか、
 実はその理由がちゃんとそこに記されているのだが、美月がそれを知るのはもう少し後の話になる。


 同じ頃、団体の社長室。
 大きな樫の机を挟んで、社長と秘書が向かい合っていた。
「昨夜の試合、ネット上などの評判はなかなかいいようです。
 DVDの売上はそれなりに期待できるのではないでしょうか」
「うん……まあ、それは何よりだが」
 秘書の報告を受けても、社長の表情は今一つ晴れない。
「話題になるほどの試合内容を残せるというのも大事なことだが、
 今我々が求めているのは、試合内容に関わりなく、名前だけで客を呼べるスターだよ。
 可能な限り、そういう人間があのベルトを巻いていなければいけない」
「しかし、今現在この団体にそういった人物はいないのではないですか」
 秘書は、正直に思った通りのことを口に出して指摘した。
「いや、いないわけじゃない。休養中なだけだ」
「鏡さんと、ライラさんのことですか」
 この団体の二枚看板であった鏡とライラは、二人揃って長期の休養中なのである。
 その間に比較的若手の中から突出して来たのが、伊達であり、美冬であり、美月であった。
「ひとまずはあの二人が戻って来るまで待っていればいい。
 それまでの間は、どうにか我々の方で仕掛けをして話題作りをするしかないよ」
「スター不在という今の状況は、新たなスターが生まれる好機とは言えませんか?」
「まあ、伊達にはその兆しがあったような気がするけどね。その後ベルトを巻いた二人は厳しい。
 その他にも特にこれという人材はいないと思うね。今のところは」
 社長は、自分の団体に辛口の評価を下した。
 直に彼女たちに接している時はまた違うが、経営者としてはこう言わざるをえないのだろう。
「わかりました。それでは、さしあたってどんな仕掛けをいたしましょうか」
「とりあえず、彼女の謹慎を解いてくれ。彼女なら出てくるだけで話題になるだろう」
「謹慎というと……ああ」
 秘書は何かに思い当った風で、ちょっと渋い表情を浮かべた。
「いいんですか?またテレビ放送中に何をやらかすか……」
「まあ、生放送は怖いが……。
 そうでなければ、最初から番組のレーティングを上げてもらうなりすればいい。
 流石に18禁は困るが、R指定までなら話題作りとして目をつぶろう」
「わかりました。それでは次の興行から参加させます」
「そうしてくれ。あとは彼女の方で勝手に目立ってくれるだろう」
 秘書が一礼して部屋を出て行ったあと、社長はイスの背もたれに体を預け、
 大きな溜息を吐いて天井を仰いだ。
「さて、当面はこれでいいとしても、その次は……」
 経営者としては、美月は頭の痛くなるタイプの王者であった。

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by right-o | 2012-02-05 21:18 | 書き物
 リング内の美月が相変わらず美冬の腕を放そうとしない一方、
 場外ではみことと神田の諍いが掴み合いに発展し、
 これを止めるため、バックステージから続々と他のレスラー達が出てきてリングを取り巻き始めた。
 そんな混沌とした状況の中、本日最後の客となった人間が、会場に足を踏み入れる。
「はぁ、はぁ……なんとか、間に合ったかな?」
 赤紫色のショートヘアをかきあげ、息を切らしながら会場に入った彼女は、
 すり鉢状になった会場の一番上からリングを見下ろし、今の状況を一瞬で理解した。
「バカっ!」
 叫ぶなり、階段通路を三段飛ばしで駆け下り、ベージュのコートを靡かせてアリーナ席を突っ切る。
 勢いのまま場外と客席の間を仕切る柵を飛び越え、
 同時にコートを脱ぎ捨てて薄いTシャツに擦り切れたジーンズという姿になった。
「ちょ、ちょっとお客さ……!?」
「関係者だ!!」
 そう言って、止めに来た早瀬を強引に押しのける。
 すわ乱入者か、と騒ぎかけた観客たちの間から、
 所々で「あれは……」「もしかして……」という声が上がり、それが全体に伝播していった。
『『ジョーカーレディか!?』』
 えっ、と、リングサイドに陣取った彼女を強引に排除しようとしていた数名が固まった。
「手を放せっ!!」
 そんな一連の流れには目もくれず、リングサイドに陣取ったジョーカーは、
 エプロンに両手を叩きつけながらリング内の美月へ声を張り上げた。

 勝ち負けなんぞ関係無い。
 折ってみろというなら喜んで折ってやろう。
 そんな、対戦相手意外全く目に入っていなかった美月の耳元へ、いきなり大声が叩きつけられた。
「えっ?」
 腕ひしぎを極めたまま声のした方へ目を向けると、サードロープの下から見知った顔がのぞいている。
 私服でフェイスペイントもしていないが、半年以上一緒に暮らした人間を見間違えようはずがない。
 しかし、メキシコにいるはずの彼女がここにいるはずもなかった。
 ただただジョーカーを見つめるしかない美月へ、ジョーカーは構わず呼びかけ続ける。
「今すぐその手を放せ!技を解け!!」
「え、いや……」
 何を言われているのかわからなかった。
「お前が勝つところを見るためにここまで来たんだ!ふざけるなよ!
 反則負けなんて認めないからな!!」
「…………」
 ちょうどその時、それまで完全に無視されてきたレフェリーが、
 「これが最後だぞ」と念押しをして反則カウントを数え始めた。
「………くっ」
 カウント5寸前で、美月は美冬の腕を放した。
 ロープを頼りに立ち上がり、ニュートラルコーナーに寄りかかる。
「よしっ!!」
 ジョーカーと一部の観客たちは大いに盛り上がっていたが、
 当の美月は内心で苦り切っていた。
(何をやってるんだか……くっ)
 腕ひしぎをかけていた時の緊張が解けてみると、途端に疲労が全身から湧きあがってくる。
 だが、ここで息を吐くわけにはいかなかった
 右の肘をかばいながらも、美冬は真っ直ぐに美月を睨みつけ、
 既に膝をついて立ち上がろうとしていたのだ。

(このまま畳みかけるしか……ッ)
 美冬が立ち上がるのを待たず、美月はこのまま押し切るために前へ出る。
 が、シャイニング式の前蹴り――のため、踏み台にしようとした美冬の左膝が消えた。
 腕をかばって片膝立ちの姿勢から一瞬で跳ね上がり、いつの間にか美冬はマットと水平になっていた。
 雷迅蹴。
 空足を踏んで固まった美月の頭上に刃が閃いたが、かろうじて咄嗟に頭を振って直撃は避けた。
「くっ……」
 カウンターに専念するあまり、着地にまで気を回せなかった美冬は無様にマットへ墜落。
 よろけた所をどうにか踏ん張った美月が、倒れた美冬に再度迫ろうとした時、
 その視界が突然真っ赤に染まった。
「な……っ!?」
 どんなに腕で顔をぬぐっても、その度に髪の下から際限なく赤黒い血が湧いてくる。
 さっき避け損ねた雷迅蹴で頭を切ったに違いなかった。
「美月ッ!」
 目を開こうと悪戦苦闘していた美月の脇腹へ、すかさず立ち上がった美冬の蹴りが突き刺さる。
 ジョーカーが悲鳴のような声援を送る中、続いて美冬の右足が真っ直ぐ上がり、
 美月の頭頂部へ正面から踵が叩きつけられた。
 が、血の糸を引いた美冬の足がマットに赤い線を引いても、美月は倒れない。
 ふらつきながらも、後ろではなく前に体を傾け、美冬によりかかる。
「この……!」
 美冬は強引に突き飛ばそうとしたが、美月はその前に手探りで美冬の腕を探しあてていた。
 自分の右手首を掴んで放そうとしない美月へ、美冬は左の肘を頭へ叩きつける。
 美月はそれにかまわず、自分の体を回して美冬の腕を捻じり上げ、真下に向かって引っ張った。
 普段は試合の再序盤に見られる痛め技ながら、
 右腕を破壊されかけている美冬は大きく体勢を崩す。
「……舐めるなッ!」
 だが美冬にも意地がある。
 片腕ぐらいくれてやると言わんばかりに、ついに左手で拳を作って美月の頭を殴りつけた。
 すぐに美冬の左手が血で濡れたが、それでも美月は手を放さない。
 もう一度美冬の腕を捻ると、さらに力を込めて真下に向けて引っ張った。
 釣られて美冬の上体が沈んだところで、美月はその首を太股に挟む。
(これで最後に……ッ!)
 美冬の背中に張り付いて一回転し、その頭をマットに突き刺して意識を飛ばした。


 試合後のリング上は、一見してどちらが勝者かわからなかった。
 美冬に前転式のパイルドライバーを決めると同時に美月の意識も途切れており、
 その後本能で美冬の上に覆い被さって3カウント。
 ゴングと同時にリングドクターと他のレスラー達が大挙してリング内に押しかけ、
 この惨状を収めるため各自様々に動き回った。
 右腕を散々痛めつけられた美冬は、意識が無いままリング内から担架で静かに運ばれて行く。
 同じく意識の無い美月には、ひとまずタオルで頭の傷を押さえて止血の措置が取られた。
 その間にマット上を汚した血が拭きとられ、綺麗になったリングの前にずらりとカメラが並ぶ。
「……仕方無いな」
 意識の無いままの美月の脇へ自分の頭を差し入れると、ジョーカーは強引に美月を立ち上がらせ、
 目配せされた神田と相羽は、美月の肩にベルトをかけてやりながら、
 美月を挟んでジョーカーの反対側に並んだ。
 心配する気持ちもあったが、二人もひとまず誇らしい気持ちを表情に出す。
「はい、チーズ、ってね」
 ジョーカーの肩に頭をもたせかけ、彼女の服を血で汚しながら、
 美月は試合後の記念写真に収まった。
 服のことなど全く気にかけず、ジョーカーは赤と緑が入り混じった頭へ、優しく頬ずりしてみせた。

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by right-o | 2012-01-28 20:02 | 書き物
 ともかくもゴングが鳴り、試合が始まった。
 と同時に、美月は半ば突進するように前へ出る。
 理性を憎悪で塗りつぶし、相手を痛めつけることしか考えない。
 すかさず美冬の右足が動く。
 不用意に近づいた美月をミドルキックが打ち、立てた爪先が脇腹へめり込んだ。
 プロレス的な見せ方を無視したこの種の打撃は、普通なら転げ回るほど痛いのだが、
 美月は血が出るほど唇を噛んでこれに耐え、逆に蹴り足を掴む。
 すぐさま左足を刈って倒し、両手で持った右足を跨ぎながら自分も倒れ込み、膝十字固めへ。
「チッ」
 美冬は冷静に、這ってロープまで辿りついた。
 対して美月は、一旦素直に技を解くかに見せ、右足を掴んだままリング中央へ美冬を引き摺り戻すと、
 足先を持ったまま右膝の側面に自分の右膝を乗せてマットに押し付け、
 そのまま足先を真上に引っ張ることで、膝から下を横方向に押し曲げる。
 足狙いか、と、美冬と観客たちは美月の狙いを推察した。
 前回肘を徹底して痛めつけられた意趣返し、
 かつ美冬の武器である足を集中的に攻撃することは、理に叶った攻めでもある。
 ただ、美月の取った体勢は、相手が這って逃げようとしてもすぐに引き戻すことができる代わり、
 押さえつけている右足以外は、仰向けの状態からほぼ自由に動かすことができる。
 そのため、美冬は左足で美月を蹴って逃れようとした。
 最初は前に蹴り飛ばそうと試みたが、美月は容易に放さず、さらに右足を曲げる手に力を込める。
 埒が明かないと見た美冬は、寝た状態から勢いをつけて左足を振り回した。
「くっ」
 足先が鼻をかすめ、思わず美月は体勢を崩す。
 強引に右足を捻ることとなり多少痛みを伴ったが、美冬は振り回した左足を軸に素早く立ち上がった。
 そして、慌てて立ち上がろうとした美月の側頭部へ、右足が一閃する。
 こめかみが波打つような蹴りだった。
 わぁっ、と客席が沸き返り、その後正しく糸の切れた人形のように、
 美月は膝を折り、その場に崩れ落ちる。
 美冬がカバーに行こうとしないのを見て、レフェリーはダウンカウントを数え始めた。
「っぐ……!」
 一部観客が熱狂的な声援を送り、相羽と神田がエプロンを叩いて必死に声を張り上げる中、
 1、2、3……と、カウントは淡々と数えられていく。
 5が数えられた時、美月はマットに手をつき、ついで膝を立てて立ち上がる気配を見せる。
 その様子を、美冬は一歩下がって冷ややかに見つめていた。
(今度は、腕では済まさん)
 朦朧とする頭を振りながら、歯を食いしばって立った美月を見てカウントが止んだ瞬間、
 美冬のソバットが美月の腹部を抉った。
 声にならない呻きを上げ、美月は再び膝をつく。
 それでも、美月が必死で顔を上げて反攻の意思を見せようとした時、美冬は既に背中を向けていた。
 直後、全く同じ軌道のソバットが、今度は先ほど蹴ったのと同じ位置にあった美月の額に炸裂。
 弾き飛ばされた美月の頭がマットを打ち、完全に大の字の状態でダウン。
 同時に、踵が額を切ったらしく血が飛んでいた。
 あまりに非情な攻撃に会場中が凍りつく中、再びダウンカウントが数えられ始める。
 誰もが終わりを予感したが、カウント3の時点で美月の上体が不意に起き上がった。
(目が覚めた……!)
 朦朧としていた意識が、額の痛みで一気に覚めた感じだった。
 額から血を流しながらも、美月はまるでダメージが無いかのように立ち上がる。
 だが美冬も動じない。
 だったら息の根を止めてやるとばかりに、トドメを狙ってロープへ背中を預けた。
 助走をつけた、顔面への雷迅蹴。
 先日のトーナメント初戦で上戸をKOした一撃である。
 しかしロープから数歩踏み出した時点で、美月の姿が消えた。
 絶妙なタイミングと速度で低空ドロップキックを放った美月は、
 美冬の右膝を打ち抜き、マットへ前のめりに倒すことに成功した。
 すぐに立ち上がり、美冬と平行方向のロープへ走る。
 ちょうど美冬が両手をついて頭を持ち上げたところへ、さらに低空ドロップキック――というのが、
 美月を含めてよく使われる一連の流れであったが、
「鳴けッ」
 美月は、マットについていた美冬の右腕を思いっ切り蹴り飛ばした。
「がぁっ……!?」
 右腕を蹴られた勢いで回転して仰向けになった美冬が、咄嗟に右腕を左手で庇おうとするところ、
 その手を強引に引き剥がし、美月は即座に腕ひしぎ十字固めを極めてみせた。
 ほんの数瞬の逆転で呆気に取られながらも、観客は美月の意図を理解した。
 最初に足を攻めると見せておきながら、裏ではずっと腕を狙っていたに違いない。
「さあ、タップか、ギブアップか、選べ……!」
 蹴りの威力は比べるべくもないが、その代わり追撃は徹底している。
 美冬の腕は完全に伸びきっていた。
 ただ、激痛に苛まれながらも、美冬はきつく目を瞑ってこれに耐えた。
 ああそうかい、とばかりに、美月はほんの一瞬だけ体を浮かせると、
 両手で掴んでいた美冬の右腕を自分の左脇の下に差し入れ、
 左の前腕を支点にして体を反らした。
「くっ、あああぁっ……!」
 体を浮かせて逃れようとする美冬を両足で押さえつけ、
 腕をへし折らんばかりに容赦無く全体重を後ろに預ける。
 それでも美冬は、前回の美月がそうであったように、顔面を痛みで蒼白にしながら耐えてみせた。
 ギブアップの意思を確認するため、
 傍らで膝をついて美冬を覗きこんでいたレフェリーが、ここで不意に立ち上がろうとする。
 この状況を見るに見兼ね、前回と同じくストップをかけようとするためである。
 だが、これを察した美冬はレフェリーの胸倉を掴んで引き寄せた。
「止めるな……っ!」
 断れば殺すと言わんばかりに睨みつけられ、流石にレフェリーも躊躇する。
 そして、狙ってやったかはわからないが、こうして若干体が浮いたのを利用し、
 美冬はロープ際ににじり寄っていた。
「卑怯だ!!」
 場外で自分のことのようにエキサイトしている相羽と神田が、
 思わず抗議の声を上げてエプロンを拳で乱打する。
「もう少しっ!」
 逆に、少しずつロープに近づく美冬に、みことが声援を送っていた。
 そしてついに、レフェリーを掴んだまま美冬は足先でロープに触れた。
 しかし美月は技を解かない。
 すかさずレフェリーが反則のカウントを数え始めるが、それでも意に介さず、
 美月は美冬の腕を脇の下に絡め取ったまま。
「放しなさい!!」
 これに対して、今度はみことが抗議する。
「そっちがズルをしたんじゃないか!!」
 思わず神田が、エプロンに膝をついて上がろうとしたみことの肩を掴んで引き摺り下ろした。
「なんですかっ!?」
「なんだよっ!?」
 相羽と神田にみことが相対し、場外でも一触即発の状態となった。
 一方、リング上では相変わらず技を解こうとしない美月に対し、
 レフェリーが何度も目の前で指を立てて反則カウントを取っているが、
 元から勝ち負けを度外視しているかのように、美月は平然と腕を固め続ける。
 試合は混沌としつつあった。

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by right-o | 2012-01-12 22:56 | 書き物
 東京・国立代々木競技場第二体育館。
 手頃な広さかつ、すり鉢状に座席が配置されているため、
 安い外側の席でも不自由なくリングまで見通せる。
 そういった理由でプロレス観戦には適しているが、収容人数は三千人をすこし越える程度の
 最高位タイトルを争うには小さすぎる会場が、美月と美冬が二度目に戦う舞台であった。

 しかし、美月にはそんなことを気にしている余裕が無かった。
 最低限のウォームアップを終えた美月は、
 タオルを被ってベンチに座り込み、ただただ目を瞑ってその時を待っている。
 怖くなってきた。
 美冬をギプスでぶん殴って挑発したのは、半分はただ勢いに任せた行為であった。
 感情を表に出さない美月であっても、というより、表に出さないからこそ、
 美冬戦は大きな屈辱として内面に黒々と渦巻いていた。
 同じ目にあわせてやる、と美冬に言った言葉は本心からのものである。
 ただし、今すぐに行動を起こすべきなのか、
 そして行動を起こしたとしてそれがどういう結果になるのか、
 冷静に考えようとする部分も頭の中には存在した。
 この一カ月間、美月はそういった冷静な心の声を無理矢理感情で押し殺してきたのだった。
 試合が近づくにつれて余計なことは考えなくなったが、今度は感情がマイナスの方向に働き始めた。
 前回と違って連戦による疲労の無い状態で、
 前回以上に気持ちの入った柳生美冬を相手にしてどうなるか。
 一度悪い方向に想像が傾くとキリが無かった。
 だがもう後には引けない。
(悲鳴を上げさせてやる……っ)
 怖気を憎しみで塗りつぶし、美月はタオルを取って立ち上がった。

「よし、行こう美月ちゃん!」
「行きましょう先輩!」
 控室を出ると、相羽と神田が待ち構えていた。
 二人はこれからセコンドについてくれることになっている。
 今回ばかりは、この二人の善意と無邪気な声援がありがたかったが、
 もう一人、傍の壁に背中をあずけて美月を待っていた人物がいた。
「美月」
 内田は、入場ゲートの方へ足を踏み出しかけた美月の背中へ声をかけた。
「あんなの相手に意地を張って怪我をしても、何もいいことは無いのよ」
 美月は、普段以上に感情の無い顔をして肩越しに振り返り、去って行った。
 わざと無表情を通したのではなく、沸き起こった感情に顔の方が反応しきれなかったのだ。
 何で、人が必死で忘れようとしていることを今更思い出させるのか。
 老婆心に対する非難と、内心を見透かされていることへの諦観と、
 ほんの少しの感謝がない混ぜになった表情などはとても作れなかったし、
 この内のどれを優先して表すべきか咄嗟に選択することもできなかった。

 
 入場ゲートをくぐるなり、物凄い熱気と歓声の風が美月たちを包んだ。
 収容人数が少ないだけに、客席は立ち見まで含めて完売となっているだけでなく、
 こんな一般受けしづらいカードを観に集まった観客たちだけあって、普段よりずっと客層が濃い。
 両脇からひっきりなしに声援が飛ぶ中、美月は一歩一歩ゆっくりとリングへ向かい、
 一つ大きく息を吐いてからロープを跨いだ。
 美月が、神田と相羽を左右に従えてコーナーに落ち着くと同時に、
 真剣を切り結ぶ音が会場に響き渡った。
 それから三味線による前奏が始まり、柳生美冬の入場が始まる。
 ガウンの代わりに陣羽織を羽織り、伊達から奪ったベルトを右肩に掛けた美冬は、
 こちらも同期の草薙みことを従えて入場して来た。
 美月以上に表情の乏しい美冬は、いつも通りに堂々と、だが無感動に、初めての防衛戦へ挑む。
 対して、美月の冷静さは上辺だけのものであった。

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by right-o | 2012-01-09 21:55 | 書き物