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 ある夕、美月と越後が並んでスポーツ新聞を眺めていたのとちょうど同じ頃、
 団体の社長秘書、井上霧子は、社長室に続く廊下を歩いていた。
 社内で唯一の木製ドアの前で止まり、ほんの少し背筋を伸ばす。
 ノックしようと手を伸ばした時、不意に内側から扉が開いた。
「あら。……失礼」
 164cmの霧子がやや見上げるほど背の高い頭が顔を出し、
 銀髪を軽く揺らして形ばかりの会釈をすると、霧子の脇を抜けてさっさと歩いて行ってしまった。
(あれは……)
「ああ霧子君、ちょうどよかった」
 呆気にとられる間もなく室内から社長の声がかかり、中に招き入れられる。
 室内には微かに先ほどの女性のものらしい残り香があった。
「うまく記事にしてもらったようで何より」
 社長は美月たちが見ていたのと同じスポーツ新聞を机上に放って示した。
「ええ、まあ」
「ま、こういう小さな話題作りも今度までだ。次からはまた大きく仕掛けられる」
「と、言いますと?」
「二人とも復帰させるよ」
 社長はそう言って机の上を指でコツコツと叩いた。
「この前の挑戦者決定戦、比較的若手の伊達かみことが勝ってくれればよしと考えていた。
 ベテランの六角でもなんとか盛り上げていけたと思う。しかし内田は厳しい。
 人気の面では現王者と大差無いからね」
 淡々と自分の見解を述べる社長に、霧子は異論を挟んでみたくなった。
「相羽さんや神田さんの成長も目覚ましいものがあると思いますが」
「まあ実力的にはそうかもしれないが……人気は」
 そう言って社長はかぶりを振った。
「何にせよ彼女ら二人ほどの知名度を持つレスラーを現状育てきれていないんだ。
 であれば、まあ……時計の針を戻した方が利口だろう。プロレス的に言えばね」
「わかりました」
 現場に近い霧子としては、美月らの姿を思い浮かべてやや思うところもあったが、
 外面は事務的に応じる。
「それで、復帰戦は誰と?」
「タッグのベルトに挑戦させる」
 この社長の一言には、霧子も眉を顰めざるをえなかった。
「それでは……あの二人を組ませると?あの二人は……」
「わかってる。ほとんど殺し合いのようなことをやらかした二人だからこそ、
 逆に手を組めばそれだけで話題になるだろう……」
 社長はそう言って軽く目を閉じた。
「……中途半端に方向修正するより、全部根底からひっくり返して一からやり直す方が楽だろう。
 あの二人はそのための、“致死量の猛毒”とでも言うか……」
 そう言ってイスごと後ろを向いた社長の、イスの背には――特に、何も書かれていなかった。
「わかりました。……ただ」
「何か?」
 珍しく、霧子は社長に食い下がった。
「越後しのぶさんから、引退の申し出がありました」
 霧子はそう言って、表情に険を表さないギリギリのところまで視線を強めた。

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by right-o | 2013-02-10 17:35 | 書き物
 相羽の試合を見たあと、美月は観客が帰り出す前にそそくさと会場を離れた。
 観客の波に揉まれる前に首尾よく「ゆりかもめ」へ乗り込んだ美月は、
 新橋から山手線に乗り換えて新宿へ。
 以前、相羽と一緒にサイン会をやった会場で、今日は写真撮影のイベントであった。
 駅出口から百貨店の内部を抜け、会場である大型書店の最上階に着くと、
 「控室」とだけ印字された紙が張ってある部屋へ案内される。
 美月は開けるのを少し躊躇った。
 個人名が表示されていないということは、ゲスト共通の控室ということだ。
 そこは気を遣えよと思わなくもないが、ここは書店のなので、
 リング上の事情を汲めという方が無理なのかもしれない。
 ゆっくりドアを開けると、やはり先客がいた。
 小上がりに置かれた炬燵に入ってスマホをいじっていた内田は、
 入って来た美月を一瞥し、すぐ視線を手元に戻す。
(……居づらい)
 今回のイベント、美月と挑戦者である内田の二人をゲストとして企画されたものであった。
 
 その後、二人はイベントの時間まで結局一言も会話しなかった。
 お互いそっぽを向きながらコスチュームへの着替えを済ませ、時間になればどちらからともなく会場へ。
 最も美月にとっては、前回のように緊張することがなかった分よかったのかもしれない。
 二つ並んだ簡易テーブルにそれぞれ着くと、
 司会者のアナウンスで参加者と美月たちを仕切るカーテンが取り払われ、
 フロアを埋め尽くした参加者から歓声が上がる。
 試合以外の場面で注目を浴びるというのは、
 何度経験してもむず痒い感じを覚えてしまう美月であった。

 イベントとしては参加者と一緒に写真を撮るだけのことだが、
 それぞれから出されるリクエストが中々凝っている。
 基本的に美月は為されるがまま。
 男性なら握手ぐらいまでで済むものの、美月ファンの中で結構な割合を占める女性からは、
 抱きつかれたり頬ずりされたりという過酷なリクエストが出され、美月は虚ろな目で応えていた。
 一方の内田はそもそもリクエストがし辛い雰囲気だったが、中には勇気のあるファンもいる。
「ヘッドロックしてください!」
 と、果敢にもある少年が言った。
 意図を察した内田は、あらあら、と、
 悪戯した弟を優しく諌める姉のような笑顔を作っておきながら、
 その実かなり本気で締め上げ、写真を撮る暇すら与えずタップさせてしまった。
 そうこうしながら一時間もする内に段々と二人の前に並んでいた列もはけていき、
 残り数人となった時、内田にヘッドロックされたのよりまだ幼い子供から、
「ベルトを巻かせてください!」
 と美月は頼まれた。
 それぐらいはお安い御用と応じかけたが、振り返ると机の上に置いたはずのベルトが無い。
「……って!」
 いつの間にか、内田がちゃっかりと肩に乗せて写真撮影に応じていた。
 横から美月が取り上げようとするも、内田も手を放さない。
「……私のベルトです」
「もうすぐ私の物になるわよ」
 結局綱引きのようにベルトを取り合った姿勢で写真を撮られ、
 ついでに何故かその写真がスポーツの新聞の紙面に載ってしまった。

「……という訳で」
「はは、まあそんなことだろうと思った」
 その翌日、美月と越後は道場の壁に背中を預けて件のスポーツ新聞を見ていた。
 「遺恨凄惨!」と題名がついた記事には、美月と内田の間の因縁があること無いこと書かれている。
 というか大半が無いことだったが。
「元々この煽りをやって欲しくて記者を呼んであったんだろうな」
「やっぱりそうですか……」
「まあいいじゃないか。盛り上げる手間が省けたと思えば。ところで」
 越後は、リング上で近藤をスパーリングパートナーに動き回る相羽を見やった。
「大事な試合が控えてる割には最近動いてないな。調整は大丈夫か?」
「今は体を動かすより、試合をイメージしてる方が落ち着くので」
「そういうもんか」
 私にゃわからんとばかりに越後は首を振って苦笑した。
「ま、お前たち二人の勝負は色んな意味で興味深い――」
「……失礼します」
 その時、すぐ側の入口からぬっと入って来た人影があった。
 美月よりずっと高い身長に、薄手のジーンズとパーカーの下に伺える身体は尋常でなく引き締まっている。
 長い金髪は先の方が灰色にくすんでいるものの、鼻筋の通った顔立ちと併せ十分に美人と言える。
 そういった目立つ容姿の割に表情は伏し目がちで、ややおどおどしているように見えた。
「おお」
 と目を見張った越後に対して、その女性は頭を下げて言った。
「また、お世話になります」
 一見してこの団体のプロレスラーらしい彼女だが、美月は不思議とその人物に思い当らなかった。

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by right-o | 2013-02-10 16:09 | 書き物
「うわぁ……」
 会場の一番後ろで神田の試合を見ていた美月は、
 決着後も起き上がれずにいる藤原を見て、思わずそう声に出た。
 勝負は実質、フィニッシュ前の右カウンターでついていた。
 流石は神田と言うしかないが、それにしても見事な一発である。
(今後、試合で当たるようなことがあれば気をつけよう……)
 と、そんなことを考えていた時、
「よっ」
 いきなり両肩を後ろから掴まれた。
「っ……え、越後さん?」
「ファンイベントまでの暇潰しか?だったら次まで見て行けよな」
 普段着姿の越後しのぶであった。
「なんでここに?」
「それはお前と一緒だな。相棒の試合を見に」
「相棒って……」
 自分と同期の相羽がこの興行に出ているはずは無い。
 咄嗟にそう考えた美月だが、現に会場には相羽の入場曲がかかっていた。


 これから始まる試合、中堅トーナメント若手枠のもう一試合には、
 実のところ直前まで、相羽ではなく早瀬が出場するはずであった。
 ところがその早瀬は数日前の練習中に怪我をしてしまい、
 それが完治しなかったため、代わりに急遽相羽が出ることになったのである。
 当然、戦う相手は若手になるのだが、しかし楽な相手ではない。
 リングに上がった相羽と相対したのは近藤真琴。
 数ヶ月前、中堅ではなくヘビー級王座のトーナメントにエントリーされていたほどのレスラーである。
 その時は美月に敗れているが、それも楽な戦いではなかった。
 ふむ、これは、と興味深げな視線を送る美月の隣、
 相棒を見つめる越後の目には、どこか楽しそうな輝きがあった。

 それぞれのコーナーから真っ直ぐに進み出た二人は、まずがっちりと組み合った。
 上背で勝る近藤だが、上から押さえつけられる形の相羽も全く引かない。
 ややあってから、どちらも埒が明かないと見て同時に離れ、まず近藤がロープへ走る。
「おおおッ!」
 走り込んでのショルダータックル。
 これを相羽が仁王立ちで受け止め、今度は自分がロープへ。
「ってぇぇッ!」
 再度肩口をぶつけ合い、近藤をマットに倒した。
 またすぐにロープへ飛ぶ相羽に対し、近藤は冷静に仰向けからうつ伏せになり、
 自分の上を相羽に跨がせる。
 起き上がり、ロープ間を往復して戻って来る相羽に対し、ショルダースルーの姿勢で待ちうけた。
 相羽はこれを正面から飛び越しつつ近藤の胴体に両手を回し、ローリングクラッチホールドへ。
 だが近藤も、後ろに倒される勢いを利用しての後転から立ち上がり、
 上体だけ起こした姿勢の相羽へローキック一閃。
 これを相羽は正面から受け止め、近藤の右足を掴んだまま立った。
「おりゃあッ!」
 右足に肘を落としてから解放し、離れ際更に肘を近藤の頬に叩き込む。
 更に、お前も打ってこいとばかりに構えれば、
 近藤も遠慮の無いミドルキックを相羽の胸板に放っていった。
 
 相羽が仕掛け、近藤がやり返す。
 そんな単純ながらゴツゴツとした見応えのある試合は、それほど長く続かなかった。
 試合時間5分が過ぎようかというところ、ロープへ走った近藤の後ろを相羽が追いかけ、
 振り向いてロープへ背中を預けた瞬間の近藤へ串刺し式のランニングエルボー。
「ぐぅっ」
 逃げ場無く相羽の体重が乗った一発を受けた近藤がふらふらと前に出るところ、
 相羽はすかさず反対側のロープへ飛び、ラリアットを叩き込んで薙ぎ倒した。
「よっし、いくよッ!」
「……まだまだぁ!!」
 相羽が気合を入れ直そうという時だったが、倒された近藤はすぐさまマットを叩いて立ち上がる。
 向き直った相羽の左脇腹へパンチを入れて動きを止め、
 すぐさま左右の掌底で追い打ち、続け様にハイキックを放った。
 ここで近藤はコンビネーションに集中する余り、
 ハイキックの当たった感触に違和感があったことに気づけない。
 締めとばかりに裏拳を狙って近藤が背中を向けた時、
 同じく相羽も、蹴られた勢いそのままに後ろを向いていた。
「え……っ!?」
 風を切って襲ってきた近藤の拳の先端へ、こちらも回転して勢いをつけた相羽の肘が命中。
 近藤が思わず拳をおさえて怯んだスキを、相羽は見逃さない。
 組むが早いかブレーンバスターの要領で近藤を放り上げ、自分はその場に尻餅をつく。
 落下してきた近藤の顎を右肩で跳ね上げ、ロープへ。
 両膝立ちで伸びあがった姿勢の近藤へ、全体重を乗せた右肘を叩き込んだ。


 むぅ、と思わず唸ってしまいそうな畳みかけである。
「うん、センスが磨かれてきているな」
 満足げに腕組みしている越後の横で、美月は特に表情を表さない。
 近藤から文句の無い3カウントを奪った相羽は、リング上でタッグのベルトを掲げながら、
 同時にもう一本のベルトを腰に巻くアピール。
(どうなるやら)
 美月は、ひとまず相羽のことを考えないようにした。
 中堅ベルトを誰が手に入れようが、今の自分には関係の無いこと。
 将来の脅威“かもしれない”ものより、現在の脅威”かもしれない”ものに目を向ける方が、
 ずっと意味のあることだと思うことにした。

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by right-o | 2012-12-11 23:44 | 書き物
 内田が美月への挑戦権を手にした試合から一週間後、東京・ディファ有明。
 この日、通常のシリーズとは別の形で、
 日頃あまり出場機会のない若手を主体とする興行が行われていた。
 若手ということで全体的に知名度が低く、基本的にあまり注目されていないはずだったが、
 今回ある事情により、直前になってやや重要な意味を持つ大会になった。
 発端は内田が、美月への挑戦と併せて自分の持っていた中堅ベルトの返上を宣言したことにある。
 これに伴い、急遽中堅ベルト王者を決めるべくトーナメントが開催されることとなり、
 この大会で8試合ある第一回戦の内の2試合が、若手枠として行われることになったのだった。

「あれ、先輩?」
「どうも。試合前にお邪魔でしたか?」
 試合を控えた神田の控室に、美月が顔を覗かせた。
「いえ。慣れてますから」
 格闘技の経験年数ではむしろ美月より先輩にあたる神田は、流石に平然としている。
 ちなみにこの大会で言う「若手」とはプロレスデビューしてから日が浅いことを指すので、
 美月より年上の神田も若手に該当する。
 ついでに言うと美月は既に、実績上はもちろん、
 デビュー以後の年月で言っても既に若手の範疇に入らない。
「それより、今日は何かイベントだったのでは?」
「ん、まあ、それまでちょっと時間があったもので」
 応援にきました、とか、激励にきました、とまで言えないのが美月だが、
 共にタッグのベルトを巻いたこともある相方には、言わなくても伝わるので問題ない。
「ありがとうございます。急に降って沸いたチャンスですが、モノにして見せますよ」
 無理に自分を奮い立たせたり気負ったりすることなく、神田はそう言ってのけ、
 入場用のフード付きコスチュームを被って控室を出て行く。
 自分などと違って、素直に真っ直ぐ成長していく年下の後輩の、後ろ姿がちょっと眩しい美月である。

 
 黒い袖なしのフード付きジャケットを来て入場した神田は、
 コールを受けると同時、目深に被っていたフードを跳ね上げた。
 視線の先、対角の青コーナーに立っているのは藤原和美。
 白地に孔雀のような赤い羽根が襟元から数本伸びた独特のガウンを纏い、
 冷静な神田に対しこちらは正に気合十分といった表情。
 共に若手ながらタッグ王者経験者という共通点のある両者、
 それぞれの相方、橘みずきはリングサイトから、そして美月はバックステージから、
 二人の戦いを見守っていた。

 ゴングと同時、藤原が神田の脇をすり抜けてバックを取る。
「やッ」
 そのまま背後から一息で持ち上げ、うつ伏せの形で神田を前に落とすと、
 すぐさま前方に回り込んで首を取り、グラウンドでのフロントヘッドロックへ。
 これに対し神田は首に巻きついてきた藤原の右手首を掴み、
 体を左に回転させて藤原の下から抜け出しつつ、立ち上がってリストロックに極めた。
 藤原も、すぐに自ら前転してマットに転がることで手首の回転を解消しつつ、
 逆に神田の右手を取りつつリストロックでやり返し、神田の背後に回る。
 取り押さえられようとしている犯罪者のような難しい体勢から、
 神田は冷静に左腕を肩越しに伸ばして藤原の頭を掴み、
 腰と背中を巧みに使って首投げで前方に投げ捨てようとする。
 が、これを察した藤原は空中で器用に体を丸めて着地。
 振り向いた藤原と立ち上がった神田は、互いに一旦距離を取って構えた。
 ここまで、わずか十秒。
 何気ない攻防ながら恐ろしく早い展開に、客席から溜息と拍手が送られた。
 
 格闘技からの転向組ながら、美月等と練習する中で基礎をみっちり学んだ神田と、
 元々基本に忠実な正統派である藤原はある程度噛み合う相手であった。
 ただ基礎的な部分以外、それぞれ打撃と投げを得意とする両者の持ち味は全く異なる。
「……ッ!?」
 何気なく、というか特に何も考えずブレーンバスターを仕掛けようとした神田は、
 藤原が全く動かないことに驚いた。
 体幹が強いとでもいうのだろうか、自分と同程度の体格であるはずの藤原の体が、
 まるでマットに根を生やしたように持ち上げられない。
「っりゃああああああ!!!」
 反対に藤原が一息で神田を持ち上げ返す。
 ブレーンバスターの体勢でリングと垂直に持ち上げた神田を、
 投げ捨てずにそのままニュートラルコーナーに向かった。
「ここで決めます!!」
 コーナー上に神田を座らせた藤原が宣言する。
 決めさせるかとばかりに神田が振るった掌底をかわして張り手一発。
 動きを止めた神田の前、トップロープに足を絡めて向かい合う形で座り込んだ藤原は、
 改めてブレーンバスターの形に組んだ。
 そこから上体の力だけで、座っている神田の体を引き抜く。
「くっ」
 抵抗しても無駄と悟った神田は、覚悟を決めて受け身に備えた。
 自分も座っているために高さはあまり無いものの、
 藤原は雪崩式ブレーンバスターで神田をマットに叩きつけ、
 そのままスパイダージャーマンと同じ原理で起き上がり、今度はコーナー上に立ち上がった。
「飛びこめっ!クライシス・ダーイブッ!!」
 という全く定着していない技名を宣言し、体を大きく反らしながら跳躍。
 空中で横に90度旋回して神田の上に落下した。
 が、大体予想していた神田はこれをカウント2でキックアウト。
「まだまだ、トドメの必殺技ッ!!」
 再度宣言する藤原の声を聞く神田の頭は冷めきっていた。
 神田の起き上がりに合わせてロープへ飛んだ藤原が戻ってきたところ、
 左のボディブローが藤原の右脇腹に突き刺さる。
 上下セパレートになっているコスチュームの間、剥き出しの皮膚が波打った。
「ふっぐ……!」
 プロレスラーであれ何であれ、これをくらって平気でいられる人間などいない。
 神田は藤原に膝をつくことを許さず、
 その左側に回り込んで右腕を反対側の首筋に回し、藤原の左腕の下に潜り込む。
 そこから背中に左手を添えて持ち上げ、両膝をつくことで落差を作りながら背中からマットに叩きつけた。
 間髪入れずに押さえ込んだが、藤原はなんとかカウント2で肩を上げた。
「ちっ」
 新技を返された神田だが、それなら別の手をと藤原を起き上がらせようとする。
 体に力が入っていない藤原を強引に引き起こそうと屈んだところで、
「負けるかぁぁぁぁぁ!!!」
 追い込まれて何かのスイッチが入った藤原は、いきなり体を起こして神田の首と左足を取り、
 一瞬でフィッシャーマンスープレックスへ。
 投げ切ったあとも放さず、横に回転して起き上がりつつもう一発。
 さらに同じ動きで起き上がり、今度は高々と持ち上げてフィッシャーマンバスターで叩きつけた。
「うぐっ……」
 ただ、投げ切った藤原も腹部のダメージからカバーには入れない。
 動けない自分を鼓舞するように、藤原は仰向けのままマットを叩いた。
(油断したか……)
 同じく天井の照明を見上げる神田は、対照的に追い込まれるほど思考がクリアになっていく。
 両者同じタイミングで仰向けからうつ伏せになり、次いで手足をついて立ち上がる。
「よっしゃあああああッ!!」
 まだまだ気持ちは折れないとばかり、気迫を込めて藤原が突進した。
 右腕を振り上げ、肘を突きだす姿勢を見せつつ、右足を大きく踏み込んでくる。
 手打ちではなく、全体重を込めた本気の一発。
 そう判断した瞬間、神田の体は前に沈み込んだ。
 藤原の右腕の下に潜り込むと同時、自分も体重を乗せた右拳を突き出す。
 神田の右拳は、無防備に突出してしまった藤原の顔面、下顎部から口にかけてへ正面から衝突。
 気力体力とは無関係に藤原の意識を断ち切った。
 このまま倒れては反則負けになりかねない神田は、
 崩れ落ちようとする藤原に膝を入れ、前傾させた姿勢で固定。
 ロープへ走り、自らも飛び上がりながらの踵落としを決めてこの試合に決着をつけた。

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by right-o | 2012-12-09 19:02 | 書き物
 パチパチパチパチ。
 右手にマイクを持ったまま、なんとも心のこもらない拍手をしながら、
 美月はリングまでゆっくりと歩を進めた。
 その左肩には、先ほど4人が挑戦権を争ったベルトが金色に輝いている。
「オメデトウゴザイマス」
 内田に相対した美月の口が機械的に動いた。
「……まあ、でも、内田先輩が挑戦者になってくれて本当に感謝してますよ。
 本当に心からです。だってこれで次は」
「「楽ができる」」
 内田が美月の発言を先読みしする。
 しかし、美月もそれがわかっていたかのように無反応だった。
「……って言うんでしょ。ひねくれたアンタの考えそうなことね」
「あなたに、いや、“お前に”ひねくれてるとか言われたくありません」
 お互い軽口の応酬だけで終わるかと思われたリング上、ここで一気に空気が悪くなった。
「さっきの4人で一番楽な相手が内田先輩だってこと、ここにいるお客さんは皆わかってますよ。
 だからこそ判官贔屓もあって応援されたんでしょうしね」
 普段それほどマイクアピールが得意でないはずの美月だが、
 何故か内田を前にするとこんなセリフがすらすらと出てくる。
「それに、さっきみたいな偶然はそうそう何度も起こりませんよ」
「……偶然、って丸め込みのこと?
 はっ、アンタなんかにわざわざ丸め込み使って勝とうなんて誰も思わないわよ」
 美月だけでなく、内田の言い分にも頷いてしまう観客たちであった。
「まあでも、そうね、そこまで言うなら予言してあげるわ。
 アンタに挑戦する王座戦、さっき伊達から3カウントを取ったのと同じ技で勝ってみせる」
 内田は真顔でそう言い切った。
「ハイハイ、そう言っておけば必殺技が決まりやすくなるとでも思ってるんでしょうけど、
 そんな見え透いたハッタリなんか誰も引っ掛かりませんよ」
 伊達に決めた丸め込みはラッキーキャプチャーと見せかけたフェイントである。
 どうせ今度は丸め込みと見せかけてラッキーキャプチャーだろ、
 というのが美月と観客の見るところであった。
「ハッタリかどうか、すぐに分からせてあげる。
 せいぜい次の防衛戦まで王者気分を満喫しておくことね。
 それと、ベルトはよく磨いておきなさい。次の持ち主のために」
 そう言って、内田はマイクを放って美月に背を向けた。
「もうちょっと気の利いたこと言うかと思いましたが、安い挑発ですね」
 リングを下りる内田の背中へ向けて美月が言う。
 勝手に言ってろ、とでも言いたげに、内田はもう美月に一瞥もくれることなく帰って行った。
(ふん)
 これまで何かにつけて皮肉の針でちくちくとやられてきた先輩相手に、
 上から目線で言いたいことを言えてスッとした美月であった。
 が、この時、美月は内田の予言が本気であることに気がついていない。
 というより、どうでもよかった。
 内田のことなので、裏の裏をかいて丸め込みを仕掛けてくることはあるかもしれない。
 といって丸め込みで自分が負けるとはとても思えない美月である。
 ただし、美月は一つ思い違いをしていた。
 「同じ技で勝つ」ということが、すなわち「丸め込みで勝つ」ということにはならないのである。

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by right-o | 2012-11-19 23:35 | 書き物
 両膝立ちの内田がゆっくりと立ち上がるのに合わせ、
 伊達はコーナーから進み出ると、仕切り直しとばかりに右足を抜き放った。
「げほっ……!」
 鞭を打ちつけるようなミドルキックを内田の胸板に放ち、
 反撃がこないと見るや再度渾身の一撃を打ち込んで内田を倒した。
 さらに肩を掴んで内田の上体を起こし、背中へのローキック。
「………!!」
 呼吸すら止まる痛みに、内田は声も上げられないまま悶える
 そこへ今度は正面から走り込んでのローキック。
 間髪入れず覆い被さってカバーへ。
 内田はなんとかギリギリで肩を上げてクリア。
 伊達の圧倒的な攻撃力の前に、以後数分にわたって内田はひたすら耐えることを強いられた。


(……これ以上は、生きてるのが嫌になりそう)
 蹴られ過ぎて痛みの感覚が麻痺してきた頃になって、逆転のチャンスはようやく訪れた。
 コーナーの前で棒立ちにさせた内田の脇を走り過ぎて行き、伊達はひとっ飛びでコーナーに飛び乗る。
 内田の粘りに業を煮やした伊達は、頭を狙って黙らせる手に出た。
 背後から三角飛び式の延髄斬り。
 しかし、コーナーを蹴ってリング内を振り向いた伊達の視界には、
 内田の後頭部はおろか姿そのものが影も形も無かった。
「っ!」
 咄嗟に着地へ切り替えようとするも足が動かない。
 逆さまになった内田が伊達の両足に張り付いていた。
「捕まえ、た……っと!」
 二人は同体となってマットを転がり、
 リング中央で止まった時には内田の膝十字固めが極まっている。
 伊達の三角飛びに合わせて自分から飛びついた内田は、始めからこれを狙っていた。
 極限まで追い込まれての見事なカウンターに会場は沸き返り、
 その熱狂の中心で、伊達がマットを掻いて必死で逃れようとしている。
 もちろん内田がこのチャンスを簡単に手放すはずもなく、伊達の右足をへし折る勢いで極め続けた。
 それでも暫く後、伊達の手はどうにかロープを掴みかける。
「ちっ」
 再度引き戻すべく内田が一瞬技を解いた隙をつき、伊達は片膝立ちのままで振り向いた。
「しまっ……た」
 と、内田が思ったのは、伊達を立たせてしまったからではなく、
 伊達を止めようとした勢いのまま前へ突っ込んでしまったからだった。
 立ち上がると同時、伊達は前のめりになっていた内田の腹部に膝を突き刺す。
 そのままブレーンバスターの体勢に入ったとことで、客席からは「あー……」という溜息が聞かれた。
 美月を仕留めた技でもある旋回式ブレーンバスタ―は、
 いくつかある伊達の必殺技の中で最も代表的な一つである。
 内田の体が垂直に持ち上げられたところで、試合は終わったと誰もが思った。
(まだまだ、勝負を急ぎ過ぎ……ッ!)
 しかし、この日の内田は終わらなかった。
 あとはマットに突き刺さるだけの姿勢から、内田逆さのまま伊達の頭頂部へ膝蹴り。
 間髪入れず体を前に倒し、首を抱え返してDDTで伊達をマットへ突き刺さした。
 伊達の頭が跳ねて仰向けになるほどの衝撃。
 再度の逆転劇に湧き返る歓声の中、満身創痍の内田は背中で這ってロープへ向かい、
 ロープを支えにようやく立ち上がる。
 息を整えた内田は、ロープによりかかって天井を仰いだ。
 目の前では、伊達が不意を突かれたダメージから立ち直りつつある。
 ほんの一瞬だけ間を置いたあと、内田は意を決して口を開いた。
「ラッキィィィィィ……!!」
 思い返せば相方から強制されて始めた必殺技宣言だったが、それがこの場面では有効に働く。
『『キャプチャー!!!』』
 基本的に判官贔屓な会場のファンたちは、一斉に声を合わせて内田に応えてくれた。
 立ち上がった伊達へ向けて踏み切り、空中で反転して背中をみせつつ、
 伊達の胴を両足で挟み込む。
 そこから上体を前傾させて伊達の股をくぐりつつ膝十字固めへ――
 いかずに、みことを降したの同じ形でくるりと丸め込んだ。


 最後まで無表情を貫いた伊達だが、リングを下りる際は明らかに不満そうなオーラを漂わせていた。
「……また余計な敵を作ったかしら」
 そんな伊達の姿をコーナーに座り込んで見送る内田であった。
 さて、と勝者はそこから一息吐いて立ち上がる。
 何か喋ってやろうとマイクを要求しようとしたところで、不意に美月の入場曲が鳴り響いた。

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by right-o | 2012-11-17 19:15 | 書き物
 リング上、四隅に陣取ったレスラー達は、それぞれが全く異なる表情でゴングを聞いた。
 への字口で宙空を睨みつけるみこと、不敵な薄ら笑いを口元に浮かべる六角、
 まるで能面のように無表情な伊達、そして一人じっと目を閉じ俯いた内田。
(“せいぜい頑張ってください”、ね)
 頭の中で、美月が精一杯の嫌味をこめて囁いた言葉が蘇る。
(言ってくれるじゃないのチャンピオン様)
 静かに目を開いた内田は、背中を反らせて大きく息を吸い込み、
 長く細く空気を吐き出しながら再度気持ちを落ち着けた。
 内田をこの挑戦者決定戦の場に立たせた動機は一つ。
 “アイツにできて、自分にできないはずはない”
 夜中の道場で泣いていたような出来損ないが、いつの間にか自分を見下ろしているのだ。
 内田には到底納得のいく事態ではない。
 神楽に出し抜けをくらったものの、本来ならすぐにでも美月に挑戦してやりたいところであった。
 だが今、美月と対戦するためにはこの試合で勝ち残らなければならない。
 内田にしてみれば、王座戦よりもこちらの方が余程大きな壁に思える。
 

 ゴングと同時に突っ掛かって行くような粗忽者は誰もおらず、
 四人はゆっくりとコーナーを離れ、リンの中央をぐるり囲んで拮抗した。
 さて、と内田は横にいる六角の表情を盗み見る。
 内田の見るところ、王座への挑戦権を求めてこの試合に出てきた四人の中でも、
 それぞれモチベーションには微妙に差があった。
 中でも六角は、とても今になってベルトに興味を持つとは思えない。
 それでもこの場に出てきたことについては、何かしらの事情が感じられる。
 だがそこまで思いを巡らせる暇も無く、当の六角からほんの小さくウインクが送られてきた。
(やっぱり)
 事前に申し合わせていたかのような自然さで、内田と六角は同時にまず伊達へ襲い掛かった。
 爪先を二つ伊達の腹部に蹴り込み、怯んだ伊達をあっという間に場外へ放り投げると、
 返す刀でみことにも攻撃。
 二人掛かりでロープに押し込んで反対側へ飛ばし、跳ね返ってきたところへダブルのドロップキック。
 ちっちっち、と向かい合って指を振る仕草を見せた二人には軽いブーイングが起こった。
「くっ……」
 卑怯な不意打ちを受けたみことを六角が引き起こす間に、
 内田はリングに上がろうとしていた伊達をスライディングキックで場外フェンスまで吹き飛ばす。
「さっさと仕上げるよ」
 みことを赤コーナーに振ってから、内田は対角青コーナーに控える六角の腕を掴み、
 反対側に向かって撃ち出した。
 六角から内田の順で串刺し式の連続攻撃を仕掛けようとしたのだが、
「……舐めるなッ!」
 六角とは対照的に、普段から五割増しで気合の入っているみことは、
 自分からコーナーを飛び出して六角の脇をすり抜けた。
「いッ……!?」
 ちょうど走り出したところだった内田の顎へ、かち上げるよう軌道で右の掌底一閃。
 さらに振り返ると同時、背後に迫っていた六角にも返す刀で左の賞底。
 ふん、と、一瞬で二人を片付けたみことが肩をそびやかすと、
 彼女を支持するファンからは熱狂的な声援が送られた。
「……まだ私が」
 そんなみことに、リングに上がって来ていた伊達が、後ろからわざわざ声をかけた。
 みことが完全に向き直るのを待ってから、その胸板へ強烈なミドルキック。
 歯を食いしばって耐えたみことが逆水平を返し、さらに伊達が蹴り返す。
 このやり取りが延々繰り返される様を見つつ、
 六角と内田は背中で這ってそれぞれ反対のコーナーまで後退。
「ぐぅっ……」
 ミドルと逆水平を交換すること十数回、ついにみことの動きが止まった。
 すかさず伊達は素早い左右の掌底からローキックを叩き込み、
 膝をつかせたみことへ更に強烈なミドルキック。
 上体を大きく反らしながらも、みことはこれに耐えた。
 ならばと伊達はロープに飛び、立ち上がりかけたみことの顔面に向けて右足を大きく突き出した。
 走り込んだ勢いそのままの前蹴りに、額を打ち抜かれたみことはその場で一回転。
「スキありっ、と」
 みことを倒した伊達の斜め後ろから、
 漁夫の利を伺っていた内田のフライングニールキックが側頭部を刈り取った。
 しかし、したり顔の内田が立ち上がったところへ、今度は横から六角の右足が顎を捉えた。
 無言の協力関係があっさり破棄された瞬間である。
 美月などを見よう見まねで放った六角のトラースキックは綺麗に入ったが、
 得意げな六角が長い足を見せびらかすようにゆっくりと戻しているところへ向け、
 いきなり立ち上がったみことがマットを踏み切っていた。
 空中で体を丸めて前転してつつ、振り上げた右足を六角の顔面に叩きつける。
 六角を薙ぎ倒しながら、そのみこともダメージから立ち上がることができず、
 リング上では四者全員が一時的に倒れ込んでいた。
 客席からはそれぞれに向けた声援が一斉に注がれ、
 全員が重たく痛む頭を振ってどうにか起き上がろうともがく。
「ちっ」
 ふらつきながらも内田は一番先に立ちあがる。
 顎を押さえながら千鳥足で数歩踏み出し、そしてすぐに起き上がったことを後悔した。
 背後から伸びてきた腕が、先ほど六角に蹴り飛ばされた顎を下から掴んでいた。
(げっ)
 間の悪いことに、遅れて立ち上がったみことの目の前に内田の背中があった。
 みことは迷うことなく仕留めにかかる。
 魔投などと形容されることもある、みことの必殺技、兜落としを耐えた者はいない。
 というか内田には、怪我人と死人がまだ出ていないのが不思議であった。
 相手の頭を完全に固定した上、裏投げの形で背後に真っ逆さま、という技である。
 どう考えても首が折れると思うのだが、何故か対戦相手はフォールを奪われるだけで済んでいる。
 ともあれ、この技を喰らうわけにはいかない。
 バックエルボーで振りほどく間もなく体が持ち上がりかけたので、
 内田は慌てて両足をみことの胴体に巻きつけた。
 エビ反りになりながら両足を開いて背後の相手を挟みこむ、という器用な体勢で、
 内田は必死の抵抗を試みる。
「この……ッ!」
 みことは構わず、そのままブリッジするように反り投げて内田の頭を叩きつけようとした。
 察した内田は覚悟を決めかけたが、不意に自分を持ち上げる力がゆるむのを感じ
 次いで顎を掴んでいたみことの手が離れた。
 すかさず内田は体を前傾させ、前のめりになってみことの股をくぐり抜けつつ、
 胴体を挟んでいた両足を滑らせて両脇に引っ掛ける。
 そのままみことを前方に引き倒し、目の前にきた両足を掴んで押さえ込む。
 そこへ先ほどみことの後頭部にハイキックを見舞って内田を助けた六角が、
 上から圧し掛かって加勢する。
 この体勢のまま無情にもカウント3が数えられ、みことがこの試合最初の脱落者となった。


「なッ……!?」
 呆気にとられたみことの悔しげな表情を見ている暇は、内田にはなかった。
 フォールを解いて立ち上がると同時、後ろから今度は首に腕が巻き付いてくる。
「いや悪いねぇ」
 耳元で楽しそうに六角が囁きかけた。
 内田の見るとおり、六角は必死でこの試合に勝とうとしているわけではないが、
 積極的に負ける理由もない。
 内田をアシストしてみことを敗退させたあと、
 つい無防備に背中を向けていた内田に襲い掛かったのだった。
 スリーパーホールドは完全に極まっていたが、スタンディングの状態ならばまだ抵抗できる。
 が、六角は体を捻り、スリーパーを極めたまま内田に背中を向け、
 内田を背負うような体勢をとろうとしている。
 このまま相手をうつ伏せにマットへ叩きつけてバックスリーパーに移行するのが
 六角の必勝パターンであり、そうなればロープが間近にない限り脱出は不可能。
(イチか、バチか……っ)
 内田は自分からマットを蹴って六角の背中に乗った。
 そのまま両足を上げて六角の上で一回転し、反対側に着地。
「お?」
 この間も六角はスリーパーを放さなかったため、内田は頭から六角の下に潜り込むような形。
 咄嗟に内田は六角の後頭部を掴み、逆の手で足を抱え込む。
 そのまま自分の体を捻ることで六角を前に転がして両肩をつけ、足を掴んで必死に押さえつけた。
「げぇっ、ちょ……ッ!?」
 レフェリーの手が三回マットを叩くのと六角が内田を跳ね除けるのと、ほぼ同時であった。


 六角は身振り手振りで、自分がちゃんと肩を上げたことと内田が髪を掴んでいたことを
 レフェリーに抗議していたが、それでも覆らないとわかると口を尖らせて帰って行った。
「ふぅ――」
 マットに両膝をついた姿勢のまま、内田は大きく溜息を吐いた。
 こうしていても、残る一人が襲いかかってくることはない。
 その代わり、他の対戦相手という不確定要素の無い中、一対一で戦わねばならない。
 伊達は、いつの間にか一人我関せずという態度でコーナーに寄りかかっていた。
 ここからが、本番である。

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by right-o | 2012-11-11 22:41 | 書き物
「ま、せいぜい頑張ってくださいよ。内田先輩」
 越後との試合を終え、バックステージに引き上げて来た美月は、
 すれ違いざまそう言って内田の肩を叩いた。
 意趣返しのつもりであったが、当の内田は意に介することなく、
 無言のまま入場ゲートの方へ向かって行く。
(なんだ、面白くない……)
 自分の試合前に余計なちょっかいをかけられた美月にしてみれば、やり返したいところであった。
「……とはいえ、本気で頑張って欲しいところではあるんですが」
「え?」
 前を向き直ってぼそりと呟いた美月の横で、神田が怪訝そうな顔をする。
「だって一番楽な相手じゃないですか。あの中では……」
 それが美月の本心であった。


 メインイベント、代々木第二のリングにカン高い三味線の音が響き、
 まずは草薙みことが入場ゲートから姿を現した。
 ガウン代わりの白い大きな羽織りをはためかせながら、唇を真一文字に結んでリングへ向かう。
 生真面目なのはいつものことだが、今夜のみことには更に厳しい覚悟が感じられた。
 これまでタッグ王座にを二度、中堅王座を一度獲得した気鋭の若手は、
 盟友である柳生美冬に代わり美月への挑戦へ手を挙げたのだった。
 続いて場内が一気に暗転すると、
 スクリーンに、灯りを消したロッカールームのベンチにタオルを被って座る女性の姿が映った。
 低い笛のような効果音から始まる入場曲が徐々に高まるにつれ、
 汗の滴る顔が次第にアップとなり、タオルの下から爛々と光る眼が覗いた。
 続いて現れた本人、六角葉月がリングを見つめてにやりと笑う。
 ジュニア以外全てのベルトを二度以上巻いた経験のある大ベテランは、
 気負った様子を微塵も感じさせず、一人悠々とロープをくぐった。
 六角がニュートラルコーナーに背中を預けると同時、
 今度はがらりと雰囲気の違う伊達の入場曲が流れ始め、
 これまで期待と興奮を押さえ静かに見守っていた客席から一斉に手拍子が鳴り響く。
 歌詞の合間。「ハ・ル・カ」の合いの手に呼び込まれるように、
 伊達遥の長身がスクリーンを背負い揺れていた。
 前々代のヘビー級王者にして現王者相手に完勝した実績のある実力者は、
 文句無くこの試合の大本命である。
 そんな伊達の入場が終わるより早く、
 本人の気負いが現れたかのように被り気味の前奏が鳴り始め、
 最後の参加者がその姿を現した。
 青い炎を象った仮面を被ったラッキー内田は、
 曲調が激しいものに変わると同時、いつになく走ってリングへと向かう。
 エプロンからひとっ飛びでトップロープを飛び越すと、
 入場用の飾りでしかないマスクを投げ捨て、厳しい視線を四方へと走らせた。
 美月への挑戦へ真っ先に手を挙げたレスラーにして唯一の現ベルト保持者は、
 さして誇る様子もなく、肩にかけていた中堅ベルトを場外の早瀬へ放って寄越した。


「さて、どうなるか。ここは見ものだな」
 直前の試合を終えた越後と美月はじめ、
 バックステージにいる全レスラーが、モニターの中で勢ぞろいした四人を注視していた。
 「誰が勝つと思う?」と、誰かと顔を合わせる度に聞かれたが、
 美月にもさっぱり予測がつかない。
 パートナーの美冬によく似た実力と執念深さを持つみこと、
 場数と実績では頭一つ以上抜けている六角、そして現に自分を一蹴してのけたことのある伊達。
 考えてみれば、これまでたまたま当たる機会がなかったみことを含め、
 美月はこの中の誰一人としてシングルマッチで勝ったことはない。
 とはいえ、唯一内田が、美月から見ればまだしも楽な相手に思われた。

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by right-o | 2012-10-17 23:37 | 書き物
 東京、国立代々木競技場第二体育館。
「さて、行きますか」
 美月は、自分の試合を終えてTシャツ姿の神田を伴い、
 これからセミファイナルのリングへ上がるところである。
「ちょっとそこの」
 控室を出、設営された入場ゲートの裏まで来た時、後ろから不躾な声がかかった。
「間違っても負けるんじゃないわよ。苦戦してもダメ。一蹴しなさい」
 内田であった。
 彼女はこの後、メインイベントへの出場を控えている。
 既に着替えを終え、手足を入念に曲げたり伸ばしたりしながら、
 内田は、自分を完全に無視した体の美月へ一方的に言葉をかけ続ける。
「もしあんたが負けたら、私の試合の意味が無くなるかもしれないんだから」
 この次のメインは美月への挑戦者決定戦であり、その出場者に内田も名を連ねているのだ。

 ここ一カ月は谷間のシリーズであった。
 最終戦の今夜、組まれているタイトルマッチはジュニアのみで、
 専らヘビーとタッグのベルトへの挑戦者を決めることがシリーズそのものの主題となっていた。
 そうなると、勢いどうしても現王者たちがカードから浮いてしまう。
 結果、美月対越後というヘビーとタッグの王者同士の対戦カードが組まれることとなった。
 特にテーマの無い試合ではあるが、それでももし越後が美月から3カウントを奪うようなことがあれば、
 その後の挑戦者決定戦の結果がどうあれ、美月としては越後を無視できなくなる。
 それが内田には少しだけ面白くなかった……のだが、
 美月に言わせれば、他人の心配の前に自分の心配をしてろというところであった。
 

 王者を迎える熱気と歓声に包まれてロープをくぐり、赤コーナーに上ってベルトを掲げる。
 まずは観客に対して、次いで大きなアームで操作され空中に浮いているテレビカメラに対し、
 右手で掲げたベルトを左手でそっと撫でて見せた。
 貫録というか慣れというか、戴冠当初に比べれば随分とベルトがサマになってきた美月である。
 空中で反転しつつコーナーから飛び降りると、
 こちらも同じようにタッグのベルトを掲げた越後の顔が目の前にあった。
 互い、無表情。
 見上げる美月も見下ろす越後も、大した試合ではないと言わんばかり、
 素っ気ない表情を崩さなかった。

 ゴングが鳴ってからも、二人は静かに腰を落として向かい合い、まずは落ち着いた立ち上がりと思わせる。
 じりじりと距離を詰める両者の手が触れるか触れないかという時、
 美月は越後の左側をすり抜けて越後のバックを取った。
 瞬間、越後は体を捻じって美月の首を左脇に捉え、そのまま自分の前に投げようとする。
 と同時に右腕で美月の両足を抱えみ、マットに転がした美月を上から完璧に押さえ込む。
「……くっ!」
 意表を突かれたものの美月はどうにか跳ね除けてみせた。
 しかし立ち上がりかけたところで今度は前から首を抱え込まれ、流れるように首固めへ。
 この流れはなんとなく想定できていたため、美月は冷静に重心を移動させて相手を転がし、
 逆に越後の肩をマットにつけた。
「ちっ」
 あっさりと体を解いた越後は、立ち上がった美月へやや助走をつけた強烈なエルボー。
 これが美月の顎に入った。
 ふらつきながら踏み止まった美月は、いいようにされているフラストレーションをぶつけるため、
 お返しとばかり肘を振りかぶる。
 だがここまでが越後の狙いであった。。
 美月が振るった右腕へ根元から自分の右腕を絡め、体重をかけて引き倒しつつ右足を絡めて固める。
 これは打ち合いに意識が向きつつあった美月を巧妙に陥れ、完全に不意を突いた。
「……ンのッッ」
 どうにか足を振りほどいて肩を上げ、思わず美月はレフェリーにカウントを確認する。
 目まぐるし過ぎて耳が頭についてきていないが、とりあえず目の前の手は指を2本立てていた。
 観客と同時に心の中で安堵のため息を吐きつつ、次に対戦相手へ目を向ける。
 越後はロープへ走っていた。
(もう引っ掛からない……!)
 意識して頭を急速冷凍させた美月は、
 越後が反動を受けて走り込んできたところを見計らい、カウンターのトラースキック。
「ぐっ」
 下から顎を蹴り上げられながら、越後はそのまま再度ロープまで後退し、
 もう一度反動をつけて向かって来た。
 これを美月は、地面すれすれからタックルを仕掛けるようにして越後の背後から脇の下に張り付き、
 口のマウスピースを噛み潰す勢いで全身に力を込める。
 越後に抵抗する間を与えず、捻り式バックドロップで投げ捨てた。
 更に頭からマットに叩きつけられた越後が起き上がるところへ、相手の膝を踏み台にしての顔面蹴り。
 そこから越後の首元をへ膝を乗せてカバー。
 一気呵成に攻め込まれ越後だが、どうにか美月を跳ね除けた。
 それでもダメージの残るところを、美月は掴んで引き摺り起こそうとする。
 そうしながら、これで終わりとばかりに観客席を見まわして見得を切った。
「……舐めるなッ!」
 と、次の瞬間、美月の腕を振り払った越後は、屈んだ状態から飛び上がっての延髄斬り。
 側頭部を直撃された美月は両膝を折って前に崩れ落ちた。
 すかさず越後は美月を引き起こし、パワーボムの体勢。
 高々と持ち上げてから、腰を折る形で前方へ叩きつけ、がっちりと固める。
 これはどうに美月が肩を上げたが、越後は更にもう一度パワーボムの体勢へ。
「終わりだっ!」
 越後は宣言してから美月を抱え上げ、今度は旋回式のパワーボムを狙ったが、
 上げられたところで美月は両足を越後の脇に引っ掛けながら越後の背中を滑り下り、
 前方回転エビ固めに切り返す。
 これを越後は。逆に体重の軽い美月の両足を抱え込みつつ体を起こし、
 反対に美月の上に乗る形で押さえ込んだ。
 しかし美月は再度両足に力を入れて元の体勢に戻そうとし、対して越後は逆らわず、
 自分を引き倒そうとする力を利用して後ろに転がって起き上がる。
「このッ」
 そして立ち上がろうとしている美月へローキック。
 美月はこれを正面から受け止め、左手で蹴り足を受け止めながら右手で越後の首を抱え込み、
 首固めで強引に押さえ込んだ。


 終わってみれば5分と少しの短い試合であった。
 3カウントと同時に跳ね起きた越後は流石に渋い表情を浮かべ、美月は小さく舌を出す。
「……格下のあしらい方がうまくなったな」
 そんな皮肉を言いながらも越後は試合後に自ら美月の手を掲げてくれたが、
 美月としては内心冷や汗ものの試合であった。
(まあでもこれで、ややこしいことにはならないだろうし)
 ひとまず内田の要求には応えることができたようである。

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by right-o | 2012-10-08 22:31 | 書き物
「……っりゃぁッ!」
 リング上、美月の背後を取った相羽は躊躇無くジャーマンを放った。
 一息で背後へ放り投げられ、美月は頭からマットへ真っ逆さま――と思いきや、
 投げられた勢いのまま後方へ一回転して立ち上がる。
「……せぇッ!」
 美月より遅れて立ち上がった相羽の脇へぴたりと張り付き、
 お返しとばかりに半円を描く捻り式のバックドロップ。
 相羽も頭から突き刺さったように見えたが、こちらも即立ち上がって渾身のエルボー。
 美月も飛び掛かる様に肘を突き出し、二人はリング中央で交錯。
 どちらもばったりと天井を向いて仰向けにダウンした。

「熱心なのはいいんだが、練習で頭から落とすのは感心しない」
 道場のリング下、本番さながらのスパーリングを終えた相羽の後頭部を氷嚢で冷やしながら、
 越後しのぶがやんわりと二人に苦言を呈した。
 隣のベンチでは美月が、同じように神田から首筋へ冷却スプレーを噴射されている。
「すいません、つい熱くなっちゃって」
「すいません、ついイラッときて」
 え、ちょ、と素直に凹んでくれる相羽が面白くてついこんなことを言ってしまう美月は、
 すぐにウソウソとばかりに左手を振ってみせた。
「まあちょっと試合に近い感じで試したいことがあったので、
 なるべく遠慮しないよう事前に和希さんに頼んでたんですよ」
「ひょっとしてそれか、試したかった物って」
 べっ、と美月が口から出して端にくわえた物を見て越後が聞いた。
「……何それ?」
「あ、マウスピースですか」
 元ボクサーの神田には当然見慣れたものである。
「そう」
 美月はくわえていたマウスピースをタオルの上に吐き出した。
「噛み合わせをしっかりすることで普段以上の筋力を発揮できるとか聞いたもので、試してみました。
 確かに効果があった……ような気がします」
 マウスピースは、ボクシング等の格闘技においては口中の保護、
 特に舌を噛むことを防止するために着用が義務づけられている。
 だがそれ以外にも、美月の言うように普段以上の筋力ないし瞬発力を引き出せる効果もあるとか。
「ま、非力なもんですから、これぐらいの小細工はね」
 そう言って美月は、プロレスラーのイメージとはかけ離れた自分の細腕を撫でた。
「と言ってもお前、この前の試合で神楽を投げ切っただろう。あれぐらいできれば十分だと思うが」
「あれは腕力というよりタイミングですから」
「あ、神楽さんって言えばさ、何か今日膝に巻いて歩いてたよ」
 首を左右に回して具合を確認しながら相羽が口を挟んだ。
「膝って……この前の試合では痛めたような素振りはなかったですけど」
 んー、と相羽は顎に人指し指を当てて思い出し顔。
「でも何かかなりガチガチに固めてるっぽっかったなあ。何て言うんだろアレ?」
「ひょっとしてニーブレイスじゃないですか?」
 神田の言うニーブレイスとは、膝と周辺の損傷部位を固定するための装具である。
 しかし美月が思ったように神楽は怪我などしておらず、
 膝に装着したそれを凶器として使用することを企んでいるだけなのだが、
 神楽が使うにはちょっと地味で陰湿な凶器かもしれない。
「ニーブレイスとか、まあテーピングもそうだが、
 個人的にはああいうものをしたままリングに上がるヤツの気が知れない。
 “ここが弱点です”って相手に向かって言ってるようなもんじゃないか」
「まあそれもそうですけどね」
「あ、そうそう、ところで前から思ってたんだけどさ、
 神田さんってオープンフィンガーグローブは着けないの?」
「オープンフィンガーグローブですか……」
「うん。だってあれ着けたら拳で殴っても反則にならないんじゃなかったっけ?」
 相羽に聞かれた神田はちょっと考えて答えた。
「私は元々ボクシングですからオープンフィンガーは慣れませんし、
 ……それに一応、プロレスで勝負しようと思ってますから」
「そうそう、パンチはここぞという時に使えばいいんですよ。安売りしてはダメ」
「といっても素手じゃ殴った方も殴られた方も無用な切り傷なんかをつけてしまうので、
 バンテージは巻くようにしています」
「……同じことを柳生美冬に聞かせてやりたい」
 神田と同じく強烈な打撃、特に蹴り技を使いながら、
 あえて足に保護のレガースを着けない主義の柳生美冬。
 恐らく自分の足は徹底的に痛めつける修練をしたことで既に痛みを感じないレベルなんだろうが、
 蹴られる方は全くたまったものではない。
「その辺、凝る人間はリストバンドから靴下まで凝るからな。
 ある意味それはそれでプロレスラーとして正しい姿勢だが」
「私も大事な試合では勝負ネクタイをするようにしていますよ」
 さらっと冗談を言ってみた。
「っていうかさ、あれ何か意味あるの?何でコスチュームでネクタイなの?」
「いつかその内引っ張られたりするんじゃないですか?首締まって危ないですよ?」。
「実際あれ何なんだ?胸の谷間を強調してるのか?」
「……さあ」
 本当のところ、デビュー時からそういう風に用地されていただけで、
 美月も自身あれが何のためにあるのかは知らなかった。

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by right-o | 2012-10-02 00:27 | 書き物