「うわぁ……」
 会場の一番後ろで神田の試合を見ていた美月は、
 決着後も起き上がれずにいる藤原を見て、思わずそう声に出た。
 勝負は実質、フィニッシュ前の右カウンターでついていた。
 流石は神田と言うしかないが、それにしても見事な一発である。
(今後、試合で当たるようなことがあれば気をつけよう……)
 と、そんなことを考えていた時、
「よっ」
 いきなり両肩を後ろから掴まれた。
「っ……え、越後さん?」
「ファンイベントまでの暇潰しか?だったら次まで見て行けよな」
 普段着姿の越後しのぶであった。
「なんでここに?」
「それはお前と一緒だな。相棒の試合を見に」
「相棒って……」
 自分と同期の相羽がこの興行に出ているはずは無い。
 咄嗟にそう考えた美月だが、現に会場には相羽の入場曲がかかっていた。


 これから始まる試合、中堅トーナメント若手枠のもう一試合には、
 実のところ直前まで、相羽ではなく早瀬が出場するはずであった。
 ところがその早瀬は数日前の練習中に怪我をしてしまい、
 それが完治しなかったため、代わりに急遽相羽が出ることになったのである。
 当然、戦う相手は若手になるのだが、しかし楽な相手ではない。
 リングに上がった相羽と相対したのは近藤真琴。
 数ヶ月前、中堅ではなくヘビー級王座のトーナメントにエントリーされていたほどのレスラーである。
 その時は美月に敗れているが、それも楽な戦いではなかった。
 ふむ、これは、と興味深げな視線を送る美月の隣、
 相棒を見つめる越後の目には、どこか楽しそうな輝きがあった。

 それぞれのコーナーから真っ直ぐに進み出た二人は、まずがっちりと組み合った。
 上背で勝る近藤だが、上から押さえつけられる形の相羽も全く引かない。
 ややあってから、どちらも埒が明かないと見て同時に離れ、まず近藤がロープへ走る。
「おおおッ!」
 走り込んでのショルダータックル。
 これを相羽が仁王立ちで受け止め、今度は自分がロープへ。
「ってぇぇッ!」
 再度肩口をぶつけ合い、近藤をマットに倒した。
 またすぐにロープへ飛ぶ相羽に対し、近藤は冷静に仰向けからうつ伏せになり、
 自分の上を相羽に跨がせる。
 起き上がり、ロープ間を往復して戻って来る相羽に対し、ショルダースルーの姿勢で待ちうけた。
 相羽はこれを正面から飛び越しつつ近藤の胴体に両手を回し、ローリングクラッチホールドへ。
 だが近藤も、後ろに倒される勢いを利用しての後転から立ち上がり、
 上体だけ起こした姿勢の相羽へローキック一閃。
 これを相羽は正面から受け止め、近藤の右足を掴んだまま立った。
「おりゃあッ!」
 右足に肘を落としてから解放し、離れ際更に肘を近藤の頬に叩き込む。
 更に、お前も打ってこいとばかりに構えれば、
 近藤も遠慮の無いミドルキックを相羽の胸板に放っていった。
 
 相羽が仕掛け、近藤がやり返す。
 そんな単純ながらゴツゴツとした見応えのある試合は、それほど長く続かなかった。
 試合時間5分が過ぎようかというところ、ロープへ走った近藤の後ろを相羽が追いかけ、
 振り向いてロープへ背中を預けた瞬間の近藤へ串刺し式のランニングエルボー。
「ぐぅっ」
 逃げ場無く相羽の体重が乗った一発を受けた近藤がふらふらと前に出るところ、
 相羽はすかさず反対側のロープへ飛び、ラリアットを叩き込んで薙ぎ倒した。
「よっし、いくよッ!」
「……まだまだぁ!!」
 相羽が気合を入れ直そうという時だったが、倒された近藤はすぐさまマットを叩いて立ち上がる。
 向き直った相羽の左脇腹へパンチを入れて動きを止め、
 すぐさま左右の掌底で追い打ち、続け様にハイキックを放った。
 ここで近藤はコンビネーションに集中する余り、
 ハイキックの当たった感触に違和感があったことに気づけない。
 締めとばかりに裏拳を狙って近藤が背中を向けた時、
 同じく相羽も、蹴られた勢いそのままに後ろを向いていた。
「え……っ!?」
 風を切って襲ってきた近藤の拳の先端へ、こちらも回転して勢いをつけた相羽の肘が命中。
 近藤が思わず拳をおさえて怯んだスキを、相羽は見逃さない。
 組むが早いかブレーンバスターの要領で近藤を放り上げ、自分はその場に尻餅をつく。
 落下してきた近藤の顎を右肩で跳ね上げ、ロープへ。
 両膝立ちで伸びあがった姿勢の近藤へ、全体重を乗せた右肘を叩き込んだ。


 むぅ、と思わず唸ってしまいそうな畳みかけである。
「うん、センスが磨かれてきているな」
 満足げに腕組みしている越後の横で、美月は特に表情を表さない。
 近藤から文句の無い3カウントを奪った相羽は、リング上でタッグのベルトを掲げながら、
 同時にもう一本のベルトを腰に巻くアピール。
(どうなるやら)
 美月は、ひとまず相羽のことを考えないようにした。
 中堅ベルトを誰が手に入れようが、今の自分には関係の無いこと。
 将来の脅威“かもしれない”ものより、現在の脅威”かもしれない”ものに目を向ける方が、
 ずっと意味のあることだと思うことにした。

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by right-o | 2012-12-11 23:44 | 書き物
 内田が美月への挑戦権を手にした試合から一週間後、東京・ディファ有明。
 この日、通常のシリーズとは別の形で、
 日頃あまり出場機会のない若手を主体とする興行が行われていた。
 若手ということで全体的に知名度が低く、基本的にあまり注目されていないはずだったが、
 今回ある事情により、直前になってやや重要な意味を持つ大会になった。
 発端は内田が、美月への挑戦と併せて自分の持っていた中堅ベルトの返上を宣言したことにある。
 これに伴い、急遽中堅ベルト王者を決めるべくトーナメントが開催されることとなり、
 この大会で8試合ある第一回戦の内の2試合が、若手枠として行われることになったのだった。

「あれ、先輩?」
「どうも。試合前にお邪魔でしたか?」
 試合を控えた神田の控室に、美月が顔を覗かせた。
「いえ。慣れてますから」
 格闘技の経験年数ではむしろ美月より先輩にあたる神田は、流石に平然としている。
 ちなみにこの大会で言う「若手」とはプロレスデビューしてから日が浅いことを指すので、
 美月より年上の神田も若手に該当する。
 ついでに言うと美月は既に、実績上はもちろん、
 デビュー以後の年月で言っても既に若手の範疇に入らない。
「それより、今日は何かイベントだったのでは?」
「ん、まあ、それまでちょっと時間があったもので」
 応援にきました、とか、激励にきました、とまで言えないのが美月だが、
 共にタッグのベルトを巻いたこともある相方には、言わなくても伝わるので問題ない。
「ありがとうございます。急に降って沸いたチャンスですが、モノにして見せますよ」
 無理に自分を奮い立たせたり気負ったりすることなく、神田はそう言ってのけ、
 入場用のフード付きコスチュームを被って控室を出て行く。
 自分などと違って、素直に真っ直ぐ成長していく年下の後輩の、後ろ姿がちょっと眩しい美月である。

 
 黒い袖なしのフード付きジャケットを来て入場した神田は、
 コールを受けると同時、目深に被っていたフードを跳ね上げた。
 視線の先、対角の青コーナーに立っているのは藤原和美。
 白地に孔雀のような赤い羽根が襟元から数本伸びた独特のガウンを纏い、
 冷静な神田に対しこちらは正に気合十分といった表情。
 共に若手ながらタッグ王者経験者という共通点のある両者、
 それぞれの相方、橘みずきはリングサイトから、そして美月はバックステージから、
 二人の戦いを見守っていた。

 ゴングと同時、藤原が神田の脇をすり抜けてバックを取る。
「やッ」
 そのまま背後から一息で持ち上げ、うつ伏せの形で神田を前に落とすと、
 すぐさま前方に回り込んで首を取り、グラウンドでのフロントヘッドロックへ。
 これに対し神田は首に巻きついてきた藤原の右手首を掴み、
 体を左に回転させて藤原の下から抜け出しつつ、立ち上がってリストロックに極めた。
 藤原も、すぐに自ら前転してマットに転がることで手首の回転を解消しつつ、
 逆に神田の右手を取りつつリストロックでやり返し、神田の背後に回る。
 取り押さえられようとしている犯罪者のような難しい体勢から、
 神田は冷静に左腕を肩越しに伸ばして藤原の頭を掴み、
 腰と背中を巧みに使って首投げで前方に投げ捨てようとする。
 が、これを察した藤原は空中で器用に体を丸めて着地。
 振り向いた藤原と立ち上がった神田は、互いに一旦距離を取って構えた。
 ここまで、わずか十秒。
 何気ない攻防ながら恐ろしく早い展開に、客席から溜息と拍手が送られた。
 
 格闘技からの転向組ながら、美月等と練習する中で基礎をみっちり学んだ神田と、
 元々基本に忠実な正統派である藤原はある程度噛み合う相手であった。
 ただ基礎的な部分以外、それぞれ打撃と投げを得意とする両者の持ち味は全く異なる。
「……ッ!?」
 何気なく、というか特に何も考えずブレーンバスターを仕掛けようとした神田は、
 藤原が全く動かないことに驚いた。
 体幹が強いとでもいうのだろうか、自分と同程度の体格であるはずの藤原の体が、
 まるでマットに根を生やしたように持ち上げられない。
「っりゃああああああ!!!」
 反対に藤原が一息で神田を持ち上げ返す。
 ブレーンバスターの体勢でリングと垂直に持ち上げた神田を、
 投げ捨てずにそのままニュートラルコーナーに向かった。
「ここで決めます!!」
 コーナー上に神田を座らせた藤原が宣言する。
 決めさせるかとばかりに神田が振るった掌底をかわして張り手一発。
 動きを止めた神田の前、トップロープに足を絡めて向かい合う形で座り込んだ藤原は、
 改めてブレーンバスターの形に組んだ。
 そこから上体の力だけで、座っている神田の体を引き抜く。
「くっ」
 抵抗しても無駄と悟った神田は、覚悟を決めて受け身に備えた。
 自分も座っているために高さはあまり無いものの、
 藤原は雪崩式ブレーンバスターで神田をマットに叩きつけ、
 そのままスパイダージャーマンと同じ原理で起き上がり、今度はコーナー上に立ち上がった。
「飛びこめっ!クライシス・ダーイブッ!!」
 という全く定着していない技名を宣言し、体を大きく反らしながら跳躍。
 空中で横に90度旋回して神田の上に落下した。
 が、大体予想していた神田はこれをカウント2でキックアウト。
「まだまだ、トドメの必殺技ッ!!」
 再度宣言する藤原の声を聞く神田の頭は冷めきっていた。
 神田の起き上がりに合わせてロープへ飛んだ藤原が戻ってきたところ、
 左のボディブローが藤原の右脇腹に突き刺さる。
 上下セパレートになっているコスチュームの間、剥き出しの皮膚が波打った。
「ふっぐ……!」
 プロレスラーであれ何であれ、これをくらって平気でいられる人間などいない。
 神田は藤原に膝をつくことを許さず、
 その左側に回り込んで右腕を反対側の首筋に回し、藤原の左腕の下に潜り込む。
 そこから背中に左手を添えて持ち上げ、両膝をつくことで落差を作りながら背中からマットに叩きつけた。
 間髪入れずに押さえ込んだが、藤原はなんとかカウント2で肩を上げた。
「ちっ」
 新技を返された神田だが、それなら別の手をと藤原を起き上がらせようとする。
 体に力が入っていない藤原を強引に引き起こそうと屈んだところで、
「負けるかぁぁぁぁぁ!!!」
 追い込まれて何かのスイッチが入った藤原は、いきなり体を起こして神田の首と左足を取り、
 一瞬でフィッシャーマンスープレックスへ。
 投げ切ったあとも放さず、横に回転して起き上がりつつもう一発。
 さらに同じ動きで起き上がり、今度は高々と持ち上げてフィッシャーマンバスターで叩きつけた。
「うぐっ……」
 ただ、投げ切った藤原も腹部のダメージからカバーには入れない。
 動けない自分を鼓舞するように、藤原は仰向けのままマットを叩いた。
(油断したか……)
 同じく天井の照明を見上げる神田は、対照的に追い込まれるほど思考がクリアになっていく。
 両者同じタイミングで仰向けからうつ伏せになり、次いで手足をついて立ち上がる。
「よっしゃあああああッ!!」
 まだまだ気持ちは折れないとばかり、気迫を込めて藤原が突進した。
 右腕を振り上げ、肘を突きだす姿勢を見せつつ、右足を大きく踏み込んでくる。
 手打ちではなく、全体重を込めた本気の一発。
 そう判断した瞬間、神田の体は前に沈み込んだ。
 藤原の右腕の下に潜り込むと同時、自分も体重を乗せた右拳を突き出す。
 神田の右拳は、無防備に突出してしまった藤原の顔面、下顎部から口にかけてへ正面から衝突。
 気力体力とは無関係に藤原の意識を断ち切った。
 このまま倒れては反則負けになりかねない神田は、
 崩れ落ちようとする藤原に膝を入れ、前傾させた姿勢で固定。
 ロープへ走り、自らも飛び上がりながらの踵落としを決めてこの試合に決着をつけた。

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by right-o | 2012-12-09 19:02 | 書き物
 両膝立ちの内田がゆっくりと立ち上がるのに合わせ、
 伊達はコーナーから進み出ると、仕切り直しとばかりに右足を抜き放った。
「げほっ……!」
 鞭を打ちつけるようなミドルキックを内田の胸板に放ち、
 反撃がこないと見るや再度渾身の一撃を打ち込んで内田を倒した。
 さらに肩を掴んで内田の上体を起こし、背中へのローキック。
「………!!」
 呼吸すら止まる痛みに、内田は声も上げられないまま悶える
 そこへ今度は正面から走り込んでのローキック。
 間髪入れず覆い被さってカバーへ。
 内田はなんとかギリギリで肩を上げてクリア。
 伊達の圧倒的な攻撃力の前に、以後数分にわたって内田はひたすら耐えることを強いられた。


(……これ以上は、生きてるのが嫌になりそう)
 蹴られ過ぎて痛みの感覚が麻痺してきた頃になって、逆転のチャンスはようやく訪れた。
 コーナーの前で棒立ちにさせた内田の脇を走り過ぎて行き、伊達はひとっ飛びでコーナーに飛び乗る。
 内田の粘りに業を煮やした伊達は、頭を狙って黙らせる手に出た。
 背後から三角飛び式の延髄斬り。
 しかし、コーナーを蹴ってリング内を振り向いた伊達の視界には、
 内田の後頭部はおろか姿そのものが影も形も無かった。
「っ!」
 咄嗟に着地へ切り替えようとするも足が動かない。
 逆さまになった内田が伊達の両足に張り付いていた。
「捕まえ、た……っと!」
 二人は同体となってマットを転がり、
 リング中央で止まった時には内田の膝十字固めが極まっている。
 伊達の三角飛びに合わせて自分から飛びついた内田は、始めからこれを狙っていた。
 極限まで追い込まれての見事なカウンターに会場は沸き返り、
 その熱狂の中心で、伊達がマットを掻いて必死で逃れようとしている。
 もちろん内田がこのチャンスを簡単に手放すはずもなく、伊達の右足をへし折る勢いで極め続けた。
 それでも暫く後、伊達の手はどうにかロープを掴みかける。
「ちっ」
 再度引き戻すべく内田が一瞬技を解いた隙をつき、伊達は片膝立ちのままで振り向いた。
「しまっ……た」
 と、内田が思ったのは、伊達を立たせてしまったからではなく、
 伊達を止めようとした勢いのまま前へ突っ込んでしまったからだった。
 立ち上がると同時、伊達は前のめりになっていた内田の腹部に膝を突き刺す。
 そのままブレーンバスターの体勢に入ったとことで、客席からは「あー……」という溜息が聞かれた。
 美月を仕留めた技でもある旋回式ブレーンバスタ―は、
 いくつかある伊達の必殺技の中で最も代表的な一つである。
 内田の体が垂直に持ち上げられたところで、試合は終わったと誰もが思った。
(まだまだ、勝負を急ぎ過ぎ……ッ!)
 しかし、この日の内田は終わらなかった。
 あとはマットに突き刺さるだけの姿勢から、内田逆さのまま伊達の頭頂部へ膝蹴り。
 間髪入れず体を前に倒し、首を抱え返してDDTで伊達をマットへ突き刺さした。
 伊達の頭が跳ねて仰向けになるほどの衝撃。
 再度の逆転劇に湧き返る歓声の中、満身創痍の内田は背中で這ってロープへ向かい、
 ロープを支えにようやく立ち上がる。
 息を整えた内田は、ロープによりかかって天井を仰いだ。
 目の前では、伊達が不意を突かれたダメージから立ち直りつつある。
 ほんの一瞬だけ間を置いたあと、内田は意を決して口を開いた。
「ラッキィィィィィ……!!」
 思い返せば相方から強制されて始めた必殺技宣言だったが、それがこの場面では有効に働く。
『『キャプチャー!!!』』
 基本的に判官贔屓な会場のファンたちは、一斉に声を合わせて内田に応えてくれた。
 立ち上がった伊達へ向けて踏み切り、空中で反転して背中をみせつつ、
 伊達の胴を両足で挟み込む。
 そこから上体を前傾させて伊達の股をくぐりつつ膝十字固めへ――
 いかずに、みことを降したの同じ形でくるりと丸め込んだ。


 最後まで無表情を貫いた伊達だが、リングを下りる際は明らかに不満そうなオーラを漂わせていた。
「……また余計な敵を作ったかしら」
 そんな伊達の姿をコーナーに座り込んで見送る内田であった。
 さて、と勝者はそこから一息吐いて立ち上がる。
 何か喋ってやろうとマイクを要求しようとしたところで、不意に美月の入場曲が鳴り響いた。

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by right-o | 2012-11-17 19:15 | 書き物
 リング上、四隅に陣取ったレスラー達は、それぞれが全く異なる表情でゴングを聞いた。
 への字口で宙空を睨みつけるみこと、不敵な薄ら笑いを口元に浮かべる六角、
 まるで能面のように無表情な伊達、そして一人じっと目を閉じ俯いた内田。
(“せいぜい頑張ってください”、ね)
 頭の中で、美月が精一杯の嫌味をこめて囁いた言葉が蘇る。
(言ってくれるじゃないのチャンピオン様)
 静かに目を開いた内田は、背中を反らせて大きく息を吸い込み、
 長く細く空気を吐き出しながら再度気持ちを落ち着けた。
 内田をこの挑戦者決定戦の場に立たせた動機は一つ。
 “アイツにできて、自分にできないはずはない”
 夜中の道場で泣いていたような出来損ないが、いつの間にか自分を見下ろしているのだ。
 内田には到底納得のいく事態ではない。
 神楽に出し抜けをくらったものの、本来ならすぐにでも美月に挑戦してやりたいところであった。
 だが今、美月と対戦するためにはこの試合で勝ち残らなければならない。
 内田にしてみれば、王座戦よりもこちらの方が余程大きな壁に思える。
 

 ゴングと同時に突っ掛かって行くような粗忽者は誰もおらず、
 四人はゆっくりとコーナーを離れ、リンの中央をぐるり囲んで拮抗した。
 さて、と内田は横にいる六角の表情を盗み見る。
 内田の見るところ、王座への挑戦権を求めてこの試合に出てきた四人の中でも、
 それぞれモチベーションには微妙に差があった。
 中でも六角は、とても今になってベルトに興味を持つとは思えない。
 それでもこの場に出てきたことについては、何かしらの事情が感じられる。
 だがそこまで思いを巡らせる暇も無く、当の六角からほんの小さくウインクが送られてきた。
(やっぱり)
 事前に申し合わせていたかのような自然さで、内田と六角は同時にまず伊達へ襲い掛かった。
 爪先を二つ伊達の腹部に蹴り込み、怯んだ伊達をあっという間に場外へ放り投げると、
 返す刀でみことにも攻撃。
 二人掛かりでロープに押し込んで反対側へ飛ばし、跳ね返ってきたところへダブルのドロップキック。
 ちっちっち、と向かい合って指を振る仕草を見せた二人には軽いブーイングが起こった。
「くっ……」
 卑怯な不意打ちを受けたみことを六角が引き起こす間に、
 内田はリングに上がろうとしていた伊達をスライディングキックで場外フェンスまで吹き飛ばす。
「さっさと仕上げるよ」
 みことを赤コーナーに振ってから、内田は対角青コーナーに控える六角の腕を掴み、
 反対側に向かって撃ち出した。
 六角から内田の順で串刺し式の連続攻撃を仕掛けようとしたのだが、
「……舐めるなッ!」
 六角とは対照的に、普段から五割増しで気合の入っているみことは、
 自分からコーナーを飛び出して六角の脇をすり抜けた。
「いッ……!?」
 ちょうど走り出したところだった内田の顎へ、かち上げるよう軌道で右の掌底一閃。
 さらに振り返ると同時、背後に迫っていた六角にも返す刀で左の賞底。
 ふん、と、一瞬で二人を片付けたみことが肩をそびやかすと、
 彼女を支持するファンからは熱狂的な声援が送られた。
「……まだ私が」
 そんなみことに、リングに上がって来ていた伊達が、後ろからわざわざ声をかけた。
 みことが完全に向き直るのを待ってから、その胸板へ強烈なミドルキック。
 歯を食いしばって耐えたみことが逆水平を返し、さらに伊達が蹴り返す。
 このやり取りが延々繰り返される様を見つつ、
 六角と内田は背中で這ってそれぞれ反対のコーナーまで後退。
「ぐぅっ……」
 ミドルと逆水平を交換すること十数回、ついにみことの動きが止まった。
 すかさず伊達は素早い左右の掌底からローキックを叩き込み、
 膝をつかせたみことへ更に強烈なミドルキック。
 上体を大きく反らしながらも、みことはこれに耐えた。
 ならばと伊達はロープに飛び、立ち上がりかけたみことの顔面に向けて右足を大きく突き出した。
 走り込んだ勢いそのままの前蹴りに、額を打ち抜かれたみことはその場で一回転。
「スキありっ、と」
 みことを倒した伊達の斜め後ろから、
 漁夫の利を伺っていた内田のフライングニールキックが側頭部を刈り取った。
 しかし、したり顔の内田が立ち上がったところへ、今度は横から六角の右足が顎を捉えた。
 無言の協力関係があっさり破棄された瞬間である。
 美月などを見よう見まねで放った六角のトラースキックは綺麗に入ったが、
 得意げな六角が長い足を見せびらかすようにゆっくりと戻しているところへ向け、
 いきなり立ち上がったみことがマットを踏み切っていた。
 空中で体を丸めて前転してつつ、振り上げた右足を六角の顔面に叩きつける。
 六角を薙ぎ倒しながら、そのみこともダメージから立ち上がることができず、
 リング上では四者全員が一時的に倒れ込んでいた。
 客席からはそれぞれに向けた声援が一斉に注がれ、
 全員が重たく痛む頭を振ってどうにか起き上がろうともがく。
「ちっ」
 ふらつきながらも内田は一番先に立ちあがる。
 顎を押さえながら千鳥足で数歩踏み出し、そしてすぐに起き上がったことを後悔した。
 背後から伸びてきた腕が、先ほど六角に蹴り飛ばされた顎を下から掴んでいた。
(げっ)
 間の悪いことに、遅れて立ち上がったみことの目の前に内田の背中があった。
 みことは迷うことなく仕留めにかかる。
 魔投などと形容されることもある、みことの必殺技、兜落としを耐えた者はいない。
 というか内田には、怪我人と死人がまだ出ていないのが不思議であった。
 相手の頭を完全に固定した上、裏投げの形で背後に真っ逆さま、という技である。
 どう考えても首が折れると思うのだが、何故か対戦相手はフォールを奪われるだけで済んでいる。
 ともあれ、この技を喰らうわけにはいかない。
 バックエルボーで振りほどく間もなく体が持ち上がりかけたので、
 内田は慌てて両足をみことの胴体に巻きつけた。
 エビ反りになりながら両足を開いて背後の相手を挟みこむ、という器用な体勢で、
 内田は必死の抵抗を試みる。
「この……ッ!」
 みことは構わず、そのままブリッジするように反り投げて内田の頭を叩きつけようとした。
 察した内田は覚悟を決めかけたが、不意に自分を持ち上げる力がゆるむのを感じ
 次いで顎を掴んでいたみことの手が離れた。
 すかさず内田は体を前傾させ、前のめりになってみことの股をくぐり抜けつつ、
 胴体を挟んでいた両足を滑らせて両脇に引っ掛ける。
 そのままみことを前方に引き倒し、目の前にきた両足を掴んで押さえ込む。
 そこへ先ほどみことの後頭部にハイキックを見舞って内田を助けた六角が、
 上から圧し掛かって加勢する。
 この体勢のまま無情にもカウント3が数えられ、みことがこの試合最初の脱落者となった。


「なッ……!?」
 呆気にとられたみことの悔しげな表情を見ている暇は、内田にはなかった。
 フォールを解いて立ち上がると同時、後ろから今度は首に腕が巻き付いてくる。
「いや悪いねぇ」
 耳元で楽しそうに六角が囁きかけた。
 内田の見るとおり、六角は必死でこの試合に勝とうとしているわけではないが、
 積極的に負ける理由もない。
 内田をアシストしてみことを敗退させたあと、
 つい無防備に背中を向けていた内田に襲い掛かったのだった。
 スリーパーホールドは完全に極まっていたが、スタンディングの状態ならばまだ抵抗できる。
 が、六角は体を捻り、スリーパーを極めたまま内田に背中を向け、
 内田を背負うような体勢をとろうとしている。
 このまま相手をうつ伏せにマットへ叩きつけてバックスリーパーに移行するのが
 六角の必勝パターンであり、そうなればロープが間近にない限り脱出は不可能。
(イチか、バチか……っ)
 内田は自分からマットを蹴って六角の背中に乗った。
 そのまま両足を上げて六角の上で一回転し、反対側に着地。
「お?」
 この間も六角はスリーパーを放さなかったため、内田は頭から六角の下に潜り込むような形。
 咄嗟に内田は六角の後頭部を掴み、逆の手で足を抱え込む。
 そのまま自分の体を捻ることで六角を前に転がして両肩をつけ、足を掴んで必死に押さえつけた。
「げぇっ、ちょ……ッ!?」
 レフェリーの手が三回マットを叩くのと六角が内田を跳ね除けるのと、ほぼ同時であった。


 六角は身振り手振りで、自分がちゃんと肩を上げたことと内田が髪を掴んでいたことを
 レフェリーに抗議していたが、それでも覆らないとわかると口を尖らせて帰って行った。
「ふぅ――」
 マットに両膝をついた姿勢のまま、内田は大きく溜息を吐いた。
 こうしていても、残る一人が襲いかかってくることはない。
 その代わり、他の対戦相手という不確定要素の無い中、一対一で戦わねばならない。
 伊達は、いつの間にか一人我関せずという態度でコーナーに寄りかかっていた。
 ここからが、本番である。

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by right-o | 2012-11-11 22:41 | 書き物
 東京、国立代々木競技場第二体育館。
「さて、行きますか」
 美月は、自分の試合を終えてTシャツ姿の神田を伴い、
 これからセミファイナルのリングへ上がるところである。
「ちょっとそこの」
 控室を出、設営された入場ゲートの裏まで来た時、後ろから不躾な声がかかった。
「間違っても負けるんじゃないわよ。苦戦してもダメ。一蹴しなさい」
 内田であった。
 彼女はこの後、メインイベントへの出場を控えている。
 既に着替えを終え、手足を入念に曲げたり伸ばしたりしながら、
 内田は、自分を完全に無視した体の美月へ一方的に言葉をかけ続ける。
「もしあんたが負けたら、私の試合の意味が無くなるかもしれないんだから」
 この次のメインは美月への挑戦者決定戦であり、その出場者に内田も名を連ねているのだ。

 ここ一カ月は谷間のシリーズであった。
 最終戦の今夜、組まれているタイトルマッチはジュニアのみで、
 専らヘビーとタッグのベルトへの挑戦者を決めることがシリーズそのものの主題となっていた。
 そうなると、勢いどうしても現王者たちがカードから浮いてしまう。
 結果、美月対越後というヘビーとタッグの王者同士の対戦カードが組まれることとなった。
 特にテーマの無い試合ではあるが、それでももし越後が美月から3カウントを奪うようなことがあれば、
 その後の挑戦者決定戦の結果がどうあれ、美月としては越後を無視できなくなる。
 それが内田には少しだけ面白くなかった……のだが、
 美月に言わせれば、他人の心配の前に自分の心配をしてろというところであった。
 

 王者を迎える熱気と歓声に包まれてロープをくぐり、赤コーナーに上ってベルトを掲げる。
 まずは観客に対して、次いで大きなアームで操作され空中に浮いているテレビカメラに対し、
 右手で掲げたベルトを左手でそっと撫でて見せた。
 貫録というか慣れというか、戴冠当初に比べれば随分とベルトがサマになってきた美月である。
 空中で反転しつつコーナーから飛び降りると、
 こちらも同じようにタッグのベルトを掲げた越後の顔が目の前にあった。
 互い、無表情。
 見上げる美月も見下ろす越後も、大した試合ではないと言わんばかり、
 素っ気ない表情を崩さなかった。

 ゴングが鳴ってからも、二人は静かに腰を落として向かい合い、まずは落ち着いた立ち上がりと思わせる。
 じりじりと距離を詰める両者の手が触れるか触れないかという時、
 美月は越後の左側をすり抜けて越後のバックを取った。
 瞬間、越後は体を捻じって美月の首を左脇に捉え、そのまま自分の前に投げようとする。
 と同時に右腕で美月の両足を抱えみ、マットに転がした美月を上から完璧に押さえ込む。
「……くっ!」
 意表を突かれたものの美月はどうにか跳ね除けてみせた。
 しかし立ち上がりかけたところで今度は前から首を抱え込まれ、流れるように首固めへ。
 この流れはなんとなく想定できていたため、美月は冷静に重心を移動させて相手を転がし、
 逆に越後の肩をマットにつけた。
「ちっ」
 あっさりと体を解いた越後は、立ち上がった美月へやや助走をつけた強烈なエルボー。
 これが美月の顎に入った。
 ふらつきながら踏み止まった美月は、いいようにされているフラストレーションをぶつけるため、
 お返しとばかり肘を振りかぶる。
 だがここまでが越後の狙いであった。。
 美月が振るった右腕へ根元から自分の右腕を絡め、体重をかけて引き倒しつつ右足を絡めて固める。
 これは打ち合いに意識が向きつつあった美月を巧妙に陥れ、完全に不意を突いた。
「……ンのッッ」
 どうにか足を振りほどいて肩を上げ、思わず美月はレフェリーにカウントを確認する。
 目まぐるし過ぎて耳が頭についてきていないが、とりあえず目の前の手は指を2本立てていた。
 観客と同時に心の中で安堵のため息を吐きつつ、次に対戦相手へ目を向ける。
 越後はロープへ走っていた。
(もう引っ掛からない……!)
 意識して頭を急速冷凍させた美月は、
 越後が反動を受けて走り込んできたところを見計らい、カウンターのトラースキック。
「ぐっ」
 下から顎を蹴り上げられながら、越後はそのまま再度ロープまで後退し、
 もう一度反動をつけて向かって来た。
 これを美月は、地面すれすれからタックルを仕掛けるようにして越後の背後から脇の下に張り付き、
 口のマウスピースを噛み潰す勢いで全身に力を込める。
 越後に抵抗する間を与えず、捻り式バックドロップで投げ捨てた。
 更に頭からマットに叩きつけられた越後が起き上がるところへ、相手の膝を踏み台にしての顔面蹴り。
 そこから越後の首元をへ膝を乗せてカバー。
 一気呵成に攻め込まれ越後だが、どうにか美月を跳ね除けた。
 それでもダメージの残るところを、美月は掴んで引き摺り起こそうとする。
 そうしながら、これで終わりとばかりに観客席を見まわして見得を切った。
「……舐めるなッ!」
 と、次の瞬間、美月の腕を振り払った越後は、屈んだ状態から飛び上がっての延髄斬り。
 側頭部を直撃された美月は両膝を折って前に崩れ落ちた。
 すかさず越後は美月を引き起こし、パワーボムの体勢。
 高々と持ち上げてから、腰を折る形で前方へ叩きつけ、がっちりと固める。
 これはどうに美月が肩を上げたが、越後は更にもう一度パワーボムの体勢へ。
「終わりだっ!」
 越後は宣言してから美月を抱え上げ、今度は旋回式のパワーボムを狙ったが、
 上げられたところで美月は両足を越後の脇に引っ掛けながら越後の背中を滑り下り、
 前方回転エビ固めに切り返す。
 これを越後は。逆に体重の軽い美月の両足を抱え込みつつ体を起こし、
 反対に美月の上に乗る形で押さえ込んだ。
 しかし美月は再度両足に力を入れて元の体勢に戻そうとし、対して越後は逆らわず、
 自分を引き倒そうとする力を利用して後ろに転がって起き上がる。
「このッ」
 そして立ち上がろうとしている美月へローキック。
 美月はこれを正面から受け止め、左手で蹴り足を受け止めながら右手で越後の首を抱え込み、
 首固めで強引に押さえ込んだ。


 終わってみれば5分と少しの短い試合であった。
 3カウントと同時に跳ね起きた越後は流石に渋い表情を浮かべ、美月は小さく舌を出す。
「……格下のあしらい方がうまくなったな」
 そんな皮肉を言いながらも越後は試合後に自ら美月の手を掲げてくれたが、
 美月としては内心冷や汗ものの試合であった。
(まあでもこれで、ややこしいことにはならないだろうし)
 ひとまず内田の要求には応えることができたようである。

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by right-o | 2012-10-08 22:31 | 書き物
「ようし……ッ!」
 タッチを受けた越後はすぐリングに入ろうとせず、
 エプロンを伝って中央付近まで行き、リング内を向いてトップロープを掴む。
 狙うのは、顎を跳ね上げられたダメージから足元をふらつかせる美月の頭。
 エプロンから一気に飛び上がり、両足の裏でしっかりとトップロープを捉えた。
「先輩っ!!」
 神田の叫びも空しく、リング内に向けて飛び上がった越後は、
 スワンダイブ式のドロップキックで美月の後頭部を蹴り飛ばした。
 華麗さは無いが、勢いと説得力を感じさせる越後の得意技であったが、
 最近では滅多に見られなかった。
 前につんのめる形でダウンさせられた美月は、
 続けて頭部に大ダメージを負わされたため容易に起き上がれない。
「ちっ……」
 鈍く痛む頭をどうにか持ち上げかけたところで、
 越後の手が美月を無理矢理リング中央へ引き摺っていく。
 頭を押さえて前傾姿勢にさせた美月の額を、越後は容赦無くステップキックで蹴り上げた。
「ぐっ」
 靴紐の跡が残るほど強烈に蹴り上げられ、強制的に顔を上げさせられる。
 そこへ間髪入れず越後の強烈な張り手。
「どうしたっ!?」
 踏ん張って耐えた美月に対し、越後は打ってこいとばかりに挑発する。
 思わず美月が張り返し、越後もまた美月の顔を張った。
(付き合ってられるかっ)
 何度か張り手の応酬を繰り返したあと、美月は早々にこれを切り上げるべくロープを使った。
 反動をつけた美月のエルボーを仁王立ちで受け止め、今度は自分の番と越後がロープへ走る。
 その戻ってきたところを見計らい、美月は越後の膝を低空ドロップキックで打ち抜き、
 そのままさっさと神田にタッチした。
「うおおおお……っ!?」
 が、勢い良く飛び出した神田を、
 既に立ち上がっていた越後はカウンターのパワースラムで切り返した。
 これを神田はカウント2で返したが、越後はすぐさま引き起こしてコーナーに叩きつける。
 コーナーを背にした神田へ膝を入れて怯ませ、両足を払って尻餅をつかせた。
「よっしゃいくぞー!!」
 青コーナーに控える相羽と一緒に観客を煽っておいてから、
 越後は、リングシューズの側面で擦るように神田の顔を蹴る。
 おい、おい、おい、と、何度も同じように神田の顔を擦るにつれ、
 相羽と観客が声を揃えて越後を囃し、その声に後押しされた越後は、
 最後にコーナー間を往復する形で助走をつけ、思い切り神田の顔を蹴り飛ばした。
「よぉーしっ!!」
 越後しのぶ、数年来なかった好調ぶりである。

(何かあるな……)
 越後たちとは、挑戦表明からこの日まで何度か前哨戦を戦う機会があった。
 その際、相羽については元々かなり気合が入っていたが、
 越後については特段どうという感想もなく、どちからというと影が薄かった。
 気がつけばこの団体の所属レスラー中最年長となっていた越後は、
 既に半分コーチのような存在であり、特にここ最近は存在感が希薄となっている。
 そろそろ引退するのではないか――というのが大方の見方だったため、
 相羽がパートナーとして名前を上げた時は、大体の人がかなり意外だと感じたものである。
 それが本番に来てこの奮闘ぶり。
 試合開始直後の相羽とのやり取りが原因かどうかわからないが、
 ともかく何か心境の変化なり事情があったように思われる。
 が、ちょっとぐらい気合が入ったからといって、それでベルトを取られるわけにはいかない。
 タッグとしての経験で勝る美月と神田も、当然ながらやられっぱなしではなかった。

「うっぐ」
 試合時間が十五分を越えていよいよ終盤に差し掛かろうというところ、相羽対神田の局面。
 神田のボディブローが相羽の腹部に突き刺さった。
 相羽を前傾させたところで、神田は側面方向のロープに走る。
 右足を振り上げつつジャンプ、左足と右足で挟み込むような踵落としを相羽の後頭部に見舞った。
 しかし、相羽は片膝をついたものの倒れない。
「負けるかぁ……ッ!」
 すぐに立ち上がり、右→左→右とエルボーを打ちこんで神田をロープに押し込み、
 仰け反った神田をロープに張り付けるようなエルボーの連打。
「っりゃああぁぁぁ!!」
 そこから反対側のロープを背に受け、全体重を乗せた渾身のエルボー。
「……っざけるなぁッ!!」
 だが神田も意地を見せる。
 相羽が突っ込んできた勢いを背後のロープで跳ね返して相羽を突き飛ばし、
 左右の掌底を連打して中央まで押し返した。
 更に相羽もエルボーを返し、神田もまた張り返す。
(ここだっ)
 何度目かの応酬のあと、相羽の右腕の影から被せるように神田の左腕が伸びた。
 電光石火のクロスカウンター。
 過去にも相羽を斬って落とした裏技が、今回も相羽の顎先を鋭くかすめた。
「っ!?」
 が、同時に今回は相羽の拳も神田の頬にめり込んでいた。
 これを読んでいたのか、相羽はエルボーと見せかけて自分も拳を伸ばしていたのだ。
 二人は重なり合うようにして前のめりに倒れた。
「神田っ!」
「相羽ぁ!!」
 ダブルノックアウトとなった二人に、両コーナーから同時に檄が飛ぶ。
 それに応えるようにしてじりじりと自陣に這い寄った二人は、
 ほぼ同じタイミングでパートナーの手に飛びついた。
 飛び出すと同時にフロントハイキックを繰り出してきた越後をいなし、美月はバックを取る。
 越後は腰のクラッチを外そうと試みたが、既に美月の両手は越後の両肩にかかっていた。
 跳び箱の要領で越後を飛び越しつつ、その後頭部を掴んで体重をかけ、
 落差をつけたフェイスクラッシャー。
「決めるッ」
 美月は、決定事項を読み上げるように淡々と宣言した。
 と同時に、コーナーから身を乗り出していた相羽にトラースキック一閃。
「……っこの!」
 クリーンヒットしなかったものの体勢を崩した相羽が飛び出しかけたが、
 そこへすかさず神田が襲い掛かり、同体になって場外に転落した。
 邪魔者のいなくなった美月は、
 片膝をついて立ち上がる越後をその背後で静かに待ち、一気に動く。
 まずは後ろから越後の左足を踏み台にし、右膝で下からカチ上げるように後頭部を打つ。
 そのままの勢いで越後を跨ぎつつ正面のロープを背に受けた。
 そして今度は正面から越後の膝に足をかけ、体重を乗せた前蹴り。
 ここ最近の必勝パターンのようになっている二発が完璧に決まった……が、
 越後は顔面を蹴られた瞬間に立ち上がった。
「なっ!?」
 美月の前蹴りを受けた鼻から血を流しながらも、越後は美月の両足の間に頭を入れ、
 パワーボムの形で持ち上げる。
 大きなどよめきの中で美月を抱え上げきった越後は、
 体に捻りを加えることで美月を回転させながら、開脚して尻餅をつく形でパワーボムを放った。
「あ……先輩っ!?」
 場外で相羽を押さえつけていた神田が一転してカットに入ろうとしたが、
 すかさず相羽がその腰にすがりついてこれを止める。
 1、2、……と、観客とレフェリーが一体となってカウントを数えるも、
 3直前で美月は両足で越後の頭を挟み込むように打ちつつ、腰から背中を浮かすことで敗北を拒否。
 観客が一斉に足を踏み鳴らす中、またも試合は振り出しに戻った。
 二人共にしばらく立ち上がれずもがいていたが、先に立ち上がったのは美月。
 ふらつきながらも越後を引き起こした美月は、トーキックを入れて越後を前傾させる。
 やはり最後はこの技しかないとばかり、太股で越後の頭を挟み込み、パイルドライバーの姿勢。
 既に定着しきったフィニッシュホールドの姿勢に、観客は今度こそ試合の終わりを予感した。
 場外では、再度神田が相羽を押さえつける側に回っている。
「終わりです、先輩」
 思わず口をついて言葉が出たと同時に踏み切り、
 越後を真後ろのマットに突き刺すための前転に入ろうとした時、
「……お、終われるかッ」
 体が持ち上がりかけたところで、越後は美月の両膝を前に押し出し、自分の頭を抜いた。
 一瞬、宙に浮かされる形となった美月が着地した瞬間、その首を刈り取るようなラリアット。
「うおおおおおおおおおおお!!」
 身体的にはとうにボロボロのはずの越後が、心は折れていないとばかりに咆哮する。
「くっ、先輩……!」
「決めて!越後さん!!」
 場外では、またも逆転された美月を助けに向かおうとする神田を、相羽が必死で引き止めていた。
 ゆっくりと美月を引き起こした越後は、再びパワーボムの体勢へ。
 持ち上げきると、今度はその場でまず一回転したあと、
 その回転の勢いのままシッとダウンパワーボムで美月をマットへ叩きつけた。

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by right-o | 2012-03-04 18:21 | 書き物
 それぞれの挑戦表明から一ヶ月後、福岡・福岡国際センター。
 美月組対相羽組のタッグ王座戦がセミ、
 神楽対美冬の次期世界王者挑戦者決定戦がメインに据えられた今回、
 会場は代々木第二の倍以上の容量を持つ福岡国際が押さえられていた。
 前回のタイトル戦時と比べて団体側が強気に出たのは、神楽戦の話題性を見越してのことである。
 試合が決まってからこの日まで、神楽はリング内外を問わず美冬を挑発してきた。
 美月組+神楽VS相羽組+美冬みたいなカードの前哨戦がこの日まで頻繁に組まれてきたが、
 試合中はことあるごとに外から美冬にちょっかいを出し、
 そのくせタッチを受けてもまともにやり合おうとしない。
 そうすることで神楽は、フラストレーションを溜めていく美冬を楽しんでいるのだが、
 自然その試合中、苛立つ美冬の相手をやらされることになった美月たちとしては、
 たまったものではなかった。


 そうして余計な被害を被りつつ迎えた美月たちのタイトルマッチは、
 正直なところ話題性では完全にメイン戦の影に隠れていた。
「……まったく」
 出番を待つ控室で、美月は週刊のプロレス雑誌を机の上に投げつけた。
 その表紙には、立ったまま鎖で縛り上げられた神楽が、頬を上気させている。
 構図としては攻めを受けている絵なのだが、その目は力強い光を持ち、
 口元は何かを求めるように小さな舌をのぞかせていた。
 もはや何の雑誌か全くわからない。
 でも、聞くところによるとこの号は結構売れたらしい。
「そんなもの気にせず、我々は試合で注目を集めましょう!」
「もちろんです」
 正論を言う神田に、美月は一も二もなく同意した。
 神楽に利用された上に話題まで持って行かれた鬱憤は、挑戦者を痛めつけることで晴らしてやろう。
 美月は二つ、神田は一つのベルトを肩に担ぎ、二人は控室を後にした。

 挑戦者組の入場に際し、風の中、固い地面を歩く靴音が会場に流れた。
 次いで扉を開き、締める音から入場テーマが始まり、一気に盛り上がりを迎えようとしたところで、
 相羽の曲に切り替わる。
「いくぞッ!」
 気合をかけて入場ゲートから姿を現したのは、相羽と、越後しのぶであった。
 合体テーマで入場してきた二人は、揃いの白ハチマキを靡かせて花道を歩き、
 堂々とロープを跨いでリングイン。
 それぞれコーナーに上がった二人に、満員の観客はそれなりに大きな拍手を送ったが、
 続く勇壮な太鼓の音で始まる神田のテーマによって遮られる。
 まず単独で入場した神田はゲートの花道の前で立ち止まり、続く美月の入場を待つ。
 ゲートの前で横に並んだチャンピオンたちは、一瞬視線を合わせたあと、リング目指して駆け出した。
 ロープの下からリングに滑り込んだ二人は、相羽たちと同じようにコーナーに上り、
 ベルトを大きく掲げて観客に誇示。
 タッグ王者と二冠女王の登場に、観客は一際大きな声援を送る。
 見たか、と言わんばかりに、美月は相羽たちを冷たく見下ろした。

 が、試合開始早々、良くも悪くも観客の注目は一気に持って行かれることとなる。
 美月と相羽がそれぞれ先発に出、ゴングが鳴ってさあこれから激突という時、
「………かな」
 ぼそり、と青コーナーに控えた越後が呟いた。
 それを聞いた相羽は、振り向いて越後の頬を思いっ切りはたいたのだ。
 唖然とする美月たちと、騒然となった会場をよそに、
 相羽は何事もなかったように美月と向きあうため前に出る。
 美月も、とりあえず深く考えず相羽に応じた。
 どちらからともなく組み合った状態から、まず美月が素早くバックを取る。
 対して相羽が腰に回った美月の右手を取って捻じり上げると、美月は左手でトップロープを掴み、
 小さくジャンプして前に回転することで捻じりを解消し、逆に相羽の右手を捻じり上げつつ、
 そこから頭に右手を回してヘッドロックへ移行。
「……やッ」
 これを相羽は一旦ロープに押し込み、反対側に突き飛ばすことで脱出。
 跳ね返って来たところをマットに横になって自分の上を跨がせ、
 再度ロープから戻って来たところでカウンターのドロップキック――を狙ったが、
 読んでいた美月はトップロープに背中を預けたまま停止。
 単純なヤツ、と言わんばかりに自爆した相羽を引き起こそうとした時、
 相羽は片膝立ちの状態からタックルを仕掛けるように美月を押し込もうとする。
 美月はこれに逆らわず、逆に自コーナーまで相羽を誘導するように後退し、
 フロントネックロックのような形で相羽を固定したところで、その肩に神田がタッチ。
 交代した神田は、まず無防備な相羽の脇腹に拳を打ちこんだ。
「……っ!」
 思わず膝をついたところで、更に脇腹へストンピング。
 その間に美月はコーナーに控えた。
 続けて神田は、引き起こした相羽の首を捕らえてリング中央へ投げ、尻餅をつかせる。
 そして背後から相羽の左脇に首を差し入れつつ両腕を首に回し、グラウンドのコブラツイストへ。
 神田は脇腹に標的を絞ったようであった。

 赤コーナーに控えた美月は、目ではリング内の二人を注意しながらも、
 頭の中では試合開始時の出来事について考えていた。
 元々相羽がタッグ王座への挑戦を表明し、パートナーに越後の名前を上げた時から、
 何か相羽には胸に期するものがあったような気がしていた。
 それが何か、ということについて、周囲から噂は色々と聞こえてきている。
(何にせよ、知ったことじゃない)
 青コーナーから必死に身を乗り出し、相羽にタッチを要求している越後を、
 美月は冷ややかに見つめた。
 と、リング内では、グラウンドコブラを掛けられた姿勢から、
 相羽が足を畳んでどうにか起き上がろうとしている。
 釣られて自分も立ち上がりながらも、神田は通常のコブラツイストを仕掛け、相羽を放そうとしない。
「しっ」
 後ろから肘を相羽の脇腹に突き立てながら、より一層締め上げる力を強めた。
「……いッやあああああっ!」
 しかし、相羽は強引に神田の足を外してコブラツイストを解くと、
 自分に巻き付いていた神田の腕を取りアームホイップで投げ捨てた。
「神田!」
「相羽、代わってくれ!」
 両コーナーから交代を求める手が伸びたが、相羽は脇腹のダメージからすぐには動けない。
 その場に膝をついてから、どうにか立って越後の元へ戻ろうとした時、
 既に交代を終えた美月が脇に取りついて腰に手を回した。
 低いが、捻りを利かせたバックドロップ。
 相羽を投げ捨てた美月は、そう簡単に交代させるかとばかりに越後をねめつける。
 が、その背後では、
「……おおおおおおおッ」
 頭から投げ捨てられた勢いのまま後ろに回転、起き上がった相羽が仁王立ちになっていた。
 慌てて振り向いた美月へエルボーを振り切り、ふらついたところでニュートラルコーナーへ飛ばす。
 更に串刺しのエルボー攻撃を狙って突っ込んだが、これは立ち直った美月が回避し、コーナーに激突。
「このッ」
 と、一旦距離を取った美月は助走をつけ、今度は自分が串刺し攻撃を狙う。
 体の側面から背面を向け、串刺しのバックエルボーを喰らわせたが、
 相羽は喰らいながらも美月の首に腕を絡ませスリーパーホールドに捕らえた。
「……!?」
 予想外の反撃ではあったが、美月は一旦体を丸めてコーナーから前に出ると見せかけ、
 その後思い切り体重を後ろにかけて相羽を背中からコーナーに叩きつける。
 これで相羽は技を解くかに見えたが、今度は脇の下に美月の首を抱える形でドラゴンスリーパーに移行。
「まだ放さないよ……!」
 ただ、首を締めつけるでもなく、相羽はその体勢のまま後ろ向きにコーナーを上り始める。
(何を……!?)
 今までに全く見せなかった動きをする相羽に対し、美月はもがいて逃れようとするが、
 相羽は構わず美月の首を脇に抱えたままでコーナートップに腰を下ろした。
 そこから、両足を畳んでコーナー上に立ち、跳ぶ。
 前に回転しながらリング内に尻餅をつくと、小脇に抱えていた美月の頭は、相羽の肩の上にくる。
「かはッ」
 コーナーから飛び降りた衝撃は、相羽の体を抜け、肩の上にある美月の顎を跳ね上げた。
 先日のシングル戦でも相羽は似たような技を見せたが、
 とても自分で考えたとは思えない独創的な技である。
「……絶対、勝ちますから!」
「わかってるッ!!」
 ともあれ、相羽は青コーナーに辿り着き、越後と交代を果たした。

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by right-o | 2012-02-26 21:06 | 書き物
 ともかくもゴングが鳴り、試合が始まった。
 と同時に、美月は半ば突進するように前へ出る。
 理性を憎悪で塗りつぶし、相手を痛めつけることしか考えない。
 すかさず美冬の右足が動く。
 不用意に近づいた美月をミドルキックが打ち、立てた爪先が脇腹へめり込んだ。
 プロレス的な見せ方を無視したこの種の打撃は、普通なら転げ回るほど痛いのだが、
 美月は血が出るほど唇を噛んでこれに耐え、逆に蹴り足を掴む。
 すぐさま左足を刈って倒し、両手で持った右足を跨ぎながら自分も倒れ込み、膝十字固めへ。
「チッ」
 美冬は冷静に、這ってロープまで辿りついた。
 対して美月は、一旦素直に技を解くかに見せ、右足を掴んだままリング中央へ美冬を引き摺り戻すと、
 足先を持ったまま右膝の側面に自分の右膝を乗せてマットに押し付け、
 そのまま足先を真上に引っ張ることで、膝から下を横方向に押し曲げる。
 足狙いか、と、美冬と観客たちは美月の狙いを推察した。
 前回肘を徹底して痛めつけられた意趣返し、
 かつ美冬の武器である足を集中的に攻撃することは、理に叶った攻めでもある。
 ただ、美月の取った体勢は、相手が這って逃げようとしてもすぐに引き戻すことができる代わり、
 押さえつけている右足以外は、仰向けの状態からほぼ自由に動かすことができる。
 そのため、美冬は左足で美月を蹴って逃れようとした。
 最初は前に蹴り飛ばそうと試みたが、美月は容易に放さず、さらに右足を曲げる手に力を込める。
 埒が明かないと見た美冬は、寝た状態から勢いをつけて左足を振り回した。
「くっ」
 足先が鼻をかすめ、思わず美月は体勢を崩す。
 強引に右足を捻ることとなり多少痛みを伴ったが、美冬は振り回した左足を軸に素早く立ち上がった。
 そして、慌てて立ち上がろうとした美月の側頭部へ、右足が一閃する。
 こめかみが波打つような蹴りだった。
 わぁっ、と客席が沸き返り、その後正しく糸の切れた人形のように、
 美月は膝を折り、その場に崩れ落ちる。
 美冬がカバーに行こうとしないのを見て、レフェリーはダウンカウントを数え始めた。
「っぐ……!」
 一部観客が熱狂的な声援を送り、相羽と神田がエプロンを叩いて必死に声を張り上げる中、
 1、2、3……と、カウントは淡々と数えられていく。
 5が数えられた時、美月はマットに手をつき、ついで膝を立てて立ち上がる気配を見せる。
 その様子を、美冬は一歩下がって冷ややかに見つめていた。
(今度は、腕では済まさん)
 朦朧とする頭を振りながら、歯を食いしばって立った美月を見てカウントが止んだ瞬間、
 美冬のソバットが美月の腹部を抉った。
 声にならない呻きを上げ、美月は再び膝をつく。
 それでも、美月が必死で顔を上げて反攻の意思を見せようとした時、美冬は既に背中を向けていた。
 直後、全く同じ軌道のソバットが、今度は先ほど蹴ったのと同じ位置にあった美月の額に炸裂。
 弾き飛ばされた美月の頭がマットを打ち、完全に大の字の状態でダウン。
 同時に、踵が額を切ったらしく血が飛んでいた。
 あまりに非情な攻撃に会場中が凍りつく中、再びダウンカウントが数えられ始める。
 誰もが終わりを予感したが、カウント3の時点で美月の上体が不意に起き上がった。
(目が覚めた……!)
 朦朧としていた意識が、額の痛みで一気に覚めた感じだった。
 額から血を流しながらも、美月はまるでダメージが無いかのように立ち上がる。
 だが美冬も動じない。
 だったら息の根を止めてやるとばかりに、トドメを狙ってロープへ背中を預けた。
 助走をつけた、顔面への雷迅蹴。
 先日のトーナメント初戦で上戸をKOした一撃である。
 しかしロープから数歩踏み出した時点で、美月の姿が消えた。
 絶妙なタイミングと速度で低空ドロップキックを放った美月は、
 美冬の右膝を打ち抜き、マットへ前のめりに倒すことに成功した。
 すぐに立ち上がり、美冬と平行方向のロープへ走る。
 ちょうど美冬が両手をついて頭を持ち上げたところへ、さらに低空ドロップキック――というのが、
 美月を含めてよく使われる一連の流れであったが、
「鳴けッ」
 美月は、マットについていた美冬の右腕を思いっ切り蹴り飛ばした。
「がぁっ……!?」
 右腕を蹴られた勢いで回転して仰向けになった美冬が、咄嗟に右腕を左手で庇おうとするところ、
 その手を強引に引き剥がし、美月は即座に腕ひしぎ十字固めを極めてみせた。
 ほんの数瞬の逆転で呆気に取られながらも、観客は美月の意図を理解した。
 最初に足を攻めると見せておきながら、裏ではずっと腕を狙っていたに違いない。
「さあ、タップか、ギブアップか、選べ……!」
 蹴りの威力は比べるべくもないが、その代わり追撃は徹底している。
 美冬の腕は完全に伸びきっていた。
 ただ、激痛に苛まれながらも、美冬はきつく目を瞑ってこれに耐えた。
 ああそうかい、とばかりに、美月はほんの一瞬だけ体を浮かせると、
 両手で掴んでいた美冬の右腕を自分の左脇の下に差し入れ、
 左の前腕を支点にして体を反らした。
「くっ、あああぁっ……!」
 体を浮かせて逃れようとする美冬を両足で押さえつけ、
 腕をへし折らんばかりに容赦無く全体重を後ろに預ける。
 それでも美冬は、前回の美月がそうであったように、顔面を痛みで蒼白にしながら耐えてみせた。
 ギブアップの意思を確認するため、
 傍らで膝をついて美冬を覗きこんでいたレフェリーが、ここで不意に立ち上がろうとする。
 この状況を見るに見兼ね、前回と同じくストップをかけようとするためである。
 だが、これを察した美冬はレフェリーの胸倉を掴んで引き寄せた。
「止めるな……っ!」
 断れば殺すと言わんばかりに睨みつけられ、流石にレフェリーも躊躇する。
 そして、狙ってやったかはわからないが、こうして若干体が浮いたのを利用し、
 美冬はロープ際ににじり寄っていた。
「卑怯だ!!」
 場外で自分のことのようにエキサイトしている相羽と神田が、
 思わず抗議の声を上げてエプロンを拳で乱打する。
「もう少しっ!」
 逆に、少しずつロープに近づく美冬に、みことが声援を送っていた。
 そしてついに、レフェリーを掴んだまま美冬は足先でロープに触れた。
 しかし美月は技を解かない。
 すかさずレフェリーが反則のカウントを数え始めるが、それでも意に介さず、
 美月は美冬の腕を脇の下に絡め取ったまま。
「放しなさい!!」
 これに対して、今度はみことが抗議する。
「そっちがズルをしたんじゃないか!!」
 思わず神田が、エプロンに膝をついて上がろうとしたみことの肩を掴んで引き摺り下ろした。
「なんですかっ!?」
「なんだよっ!?」
 相羽と神田にみことが相対し、場外でも一触即発の状態となった。
 一方、リング上では相変わらず技を解こうとしない美月に対し、
 レフェリーが何度も目の前で指を立てて反則カウントを取っているが、
 元から勝ち負けを度外視しているかのように、美月は平然と腕を固め続ける。
 試合は混沌としつつあった。

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by right-o | 2012-01-12 22:56 | 書き物
 挑戦者決定トーナメント決勝戦から一ヵ月後。
 美月を破ってトーナメントを制した美冬は、勢いのまま伊達を降して新王者となった。
 その試合の翌週、東京・後楽園ホール。
 休憩前、ベルトを巻いた姿でリングに上がった美冬が、マイクを持って何かを言おうとした時。
 西側雛壇の裏から一人の影が走り出た。
 肘の上までギプスで固めた右腕を三角巾で吊り下げた影は、
 美冬の背後から忍び寄ってリングに転がり込み、三角巾を外して不自由な右腕を振り被る。
 あっ、と観客が声を上げる間を与えず、美月は美冬の後頭部を右腕のギプスでぶん殴った。
 前のめりになった美冬が振り返ったところ、その横っ面にも一撃。
 倒れた美冬をリング下に蹴り落し、自由な左手でマイクを取る。
「一応、ベルト奪取おめでとうございます」
 そう言いながら、美月は傍に転がっていたベルトをリング内から美冬の方に蹴り出した。
「ただ、もうこんな物はどうでもいい。もう一回私と戦いなさい。
 仮にもチャンピオンは逃げませんよね?」
「くっ、今度はベルトを懸けてお前と戦えというのか!?」
 激昂した美冬がエプロンまで上がったところへ、美月は再度右腕を叩きつけて場外へ落とした。
「だから、どうでもいいって……!黙ってもう一回戦え!
 今度は私が、お前を私と同じ目に遭わせてやる!!」
 美月も激昂していた。
 ここでようやく下の階からから他のレスラーやスタッフがどやどやと現れ、二人の間に割って入る。
「必ず、お前に悲鳴を上げさせてやる!やめてくれと懇願させてやる!!」
 止めに来た同僚から揉みくちゃにされながら、美月はそう叫んで引き立てられていった。


「というわけで、戻ってきました」
「というわけで、って……怪我はもういいんですか?」
 控え室に運ばれてくるなり、けろっと普段の様子に戻った美月を見て、神田が呆れていた。
 美月を連行してきた者たちの大半が引き上げたあとには、神田と相羽だけが残っている。
「折れてはいませんからね。このとおりです」
 既に切れ目が入っていたギプスをすぽっと引き抜いて、美月は生の右腕をを振ってみせた。
「靭帯の損傷だけなので本当は不要だったんですが、
 今日のために無理矢理ギプスを作ってもらいました」
「え、えー……」
 相羽まで呆れ返った。
「……これぐらいやらなきゃ、気がすまないんですよ」
 右腕を曲げたり伸ばしたりしながら、美月はまた表情を固くする。
 互いに顔を見合わせて首を振った神田と相羽が、続けて何か話しかけようとした時、
 不意に控え室のドアがノックされた。
「あのー、すいません」
 後輩の早瀬が、遠慮がちに顔をのぞかせた。
「雑誌記者の方が、杉浦先輩にお話を聞きたいそうなんですけど……」
 ああ来ましたか、とばかりに、美月は自然な足取りで早瀬の方に歩いていく。
 残された相羽と神田は、またもや顔を見合わせた。

 さらに一週間後、道場。
「早瀬おそーい。はい50回追加ー」
「うぇえええええ……もう無理です……」
 壁際に立たされた早瀬が、汗だくになりながらスクワットをしていた。
 その横で、越後が持ち込んだ竹刀を肩に担いだ六角が、嬉しそうに指示を出している。
「口を動かす前に足を動かしなー。相羽はまだピンピンしてるよ」
 早瀬の隣では、相羽が二倍ぐらいの速さで上下動していた。
 元々基礎には力を入れている上、越後がついてからより一層体力が強化された相羽である。
「あ、相羽先輩と比べないでください……。越後先輩、もう上がってもいいですよね……?」
 ここで早瀬は、そもそもの指導係である越後に助けを求めた。
「あと50回か、相羽が終わるまでか、好きな方を選べ」
 目の前のベンチに座っている越後は、読んでいた雑誌から顔を上げ、
 それだけ言ってまた視線を元に戻した。
「あと50回頑張ります……」
「ほらほら、形が崩れてるよー」
 越後から一時的に指導役を任された六角が、楽しそうに竹刀で床を叩く。
 そんな光景をよそに、越後はもくもくとある記事を読んでいた。
 その両脇からは、内田と上戸も雑誌を覗き込んでいる。
「ちっ、オレもやってやろうと思ってなのになあ。先を越されちまったよ」
「その上単独インタビューとは」
「やられたわね」
 三人が見ているは、先週の後楽園で美月が起こした騒動の記事だった。
 そこには、先月のトーナメント決勝から先週に至る流れと、
 最後には1ページを使って美月に直接話を聞いたインタビュー記事が載っていた。
「どうもこういうやり方は好かない」
 雑誌を開いたまま上戸の膝の上に押しやり、越後がそうこぼした。
「そうかしら?でもあんな負け方をして、何もしないのはやられ損よ」
「……そういうもんか。逞しいというか何というか」
 内田に言われて、越後は半分呆れつつ感心した。
「まあその辺は何でもいいんだけどよ、大口叩いといて本当に勝てんのか、アイツ?」
 インタビューの中でも、美月はリング上で言ったのと同じような主張を繰り返している。
 行動も言動も、今までの美月からは考えられないことであった。
「相手が美冬だからなあ……あれも圧倒する時は圧倒する代わり、負ける時は案外コロッと負けるし」
「そっか。前回もあの事故が無きゃわかんなかったもんな」
 越後の分析に、今度は上戸が感心した。
「あれは故意よ。少なくともあの子はそう思ってるし、今度はやり返すと言ってる。
 それがどう出るか、ね」
「それと仮に勝ったとしても、それが本人と周囲のためになるかどうか」
 内田と越後は、それぞれに思うところがありそうである。
 良くも悪くも、これまでにない注目が美月に集まる中、問題の試合は二週間後に決定していた。

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by right-o | 2012-01-03 23:07 | 書き物
 近藤戦から約一時間半後。
 メインイベント、世界王座挑戦者決定トーナメント決勝戦のリングへ、
 美月は静かに足を踏み入れた。
 入場ゲートをくぐる直前、相羽や神田に励まされ、上戸から自分の仇討ちを託され、
 内田から無愛想に背中を押されて送り出された美月は、
 ようやくモチベーションが高まっていくのを感じた。
(まあ何事も勝って悪いということはないし)
 これまでの二戦は、単に格下相手に負けられなかっただけのこと。
 伊達への挑戦権という賞品は決して魅力的なものではなかったが、
 それでもトーナメントを制したという実績が残るのは悪くないかもしれない、
 というぐらいには考え直してみた。
 決勝戦の相手は柳生美冬。
 美月対近藤戦の直後、同期である草薙みことを退けて上がってきた彼女は、
 同じく同期である伊達の背中を追いかけることに執念を燃やしている。
 内面にかなり温度差のある二人は、
 それでもゴング直前、どちらからともなく右手を差し出した。
 「健闘を」と美冬、「お互いに」と美月。
 別段好きでも同士でも嫌い同士でもない二人は、
 お互い、相手がここまで上がってきたことに対して素直な敬意を表した。
 この時は、まさかこれからの試合が、それぞれが初めて経験する遺恨試合になろうとは、
 当事者同士全く思いもよらないのであった。


 ゴングが鳴ると、まず二人は睨み合ったままでリングに半円を描いた。
 一見様子見の姿勢だが、それぞれに思惑が違う。
 美月は、試合を長引かせるため故意に前へ出ない。
 美冬とみことが戦った準決勝第二試合は紙一重の接戦であり、
 また試合順が第一試合よりあとだったことから、決勝までの休憩時間が短かった。
 そこを突いて長丁場の持久戦でスタミナ切れを狙う美月は、
 ゆったりじっくりした展開に持ち込みたい。
 対して美冬は、自分の方に余力が少ないことを認識しているため、
 積極的に仕掛けて短期決戦で仕留めてしまいたい。
 そのための、一気に仕掛ける糸口を探っている状態だった。
 お見合状態から、やはり美冬が動く。
 前へ踏み出して組み合う姿勢を見せたのだ。
 そういうことなら、と美月も前に出、両者ロックアップの体勢。
 ここは美冬が体格を生かして美月をロープへ押し込み、レフェリーが割って入る。
 この組み合った両者の別れ際というのがプロレス序盤の見せ場の一つであり、
 どちらかというと美月が望むじっくりした展開に近い。
 が、ここで美冬はセオリーを無視して突っ掛けた。
「ぐふっ」
 レフェリーを無視して美月のボディに膝を入れ、
 抗議の声が上がるのを待たず反対のロープへ振り飛ばす。
 跳ね返ってきたところを更にニーリフトで追撃しようと試みた。
 が、続けて腹部へ膝を入れられたかに見えた美月は、
 自分から美冬が振り上げた右膝を飛び越えていた。
 美冬の右足を巻くように前転しつつ、
 後ろから股の間に手を入れて引き倒し、スクールボーイに固める。
「ちっ」
 カウント1で美冬が返した反動を受け、
 美月はそのままごろごろと場外まで転がって退避。
「ふー……」
 お腹を押さえつつ呼吸を整え、間合いを外す。
 最近、打撃主体の相手と続けてシングルで当たっている美月だが、
 美冬は近藤より体格も経験も勝り、伊達を相手にして美月以上に善戦したレスラーである。
 迂闊にペースに乗せられるわけにはいかなかった。

 のらりくらりと美冬の攻めをはぐらかしつつ試合を進めていた美月だったが、
 そんなゲームプランどころか、試合そのものが根底から崩れる瞬間が突然やってきた。
 ようやく美冬のニーリフトがカウンターで美月を捕らえ、
 身体がマットから浮き上がるほどの衝撃を受けた美月は、マットへうつ伏せに倒れる。
(これでもまだ、伊達さんとの試合を思えば……!)
 内臓が裏返ったかと思った伊達の膝に比べれば、まだまだマシ。
 痛みに変な耐性が出来つつある美月は、そんなことを考えながらマットに右手をつき、
 起き上がろうとする。
 ここで美冬の頭に閃くものがあった。
 おもむろに左足を滑らせ、美月の右腕へローキックが走る。
「あっ」
 と、試合を見ていた全員が固まったあと、
 一瞬遅れて美月が右肘を押さえてのたうち回っていた。
「っぐ……」
 場外に転がり落ちた美月は、肘を抱いてその場に蹲った。
 腹部への膝とは全く異なる痛みと違和感は、
 身体の一部が変形したのではないかという恐怖感へと変貌し、次第に心の中で広がっていく。
 だが幸か不幸か、負傷について深刻に考えるだけの時間が、美月には与えられなかった。
 躊躇無く美月を追ってきた美冬が、
 美月の頭を掴んでコーナーポストへと投げつける。
 咄嗟に頭を反らせた美月は、右肘から硬い鉄柱に激突した。
「あぐっ」
 そのまま鉄柱にもたれて動けなくなった美月の右腕を掴み、美冬はさらに鉄柱へ叩きつけた。
 そこから腕を放さず、強引にリング内へ引っ張り上げ、コーナーへ振る。
「せっ!」
 コーナーにもたれているところへの強烈なミドルキック。
 これをまた、美月は反射的に腕を上げて受けてしまう。
 美月は痛みに膝をつき、ついで前に崩れ落ちた。
(まずい、かな……)
 肘の痛みが、今までの試合で受けてきた一過性のものとは違う。
 あともう少し冷静になれば、試合を棄権するべきかという考えも、
 打算的な美月の頭には浮かんできたことだろう。
 が、そんなことを考える間を与えないほど、美冬の攻めは苛烈を極めた。
 腕を捻り上げながら美月を強引に立ち上がらせると、
 リング中央に引っ立てて蹴りの連打。
 まずローキックが太股を叩き、次いで胸板へミドルキック。
 さらに脇腹へのミドルは、爪先が美月の胴にめり込んだ。
 いずれも腕を使って防ぐことのできない美月は、滅多打ちにされるしかない。
 そして側頭部へのハイキックから、ふらついたところで両足を刈るローキック。
 これで尻餅をつかせたところへサッカーボールキックを入れると、
 美月の正面へ回って軽くロープの反動を受け、顔面を目標にしたローキック。
 これをなんとか自分からマットに倒れることで威力を減じた美月は、続くカバーを2カウントでクリア。
 体は悲鳴を上げていたが、何故か美冬に蹴られるたび、
 美月の精神はより強硬に負けることを拒否し始めた。
(舐めるなッ)
 ここでロープへ飛んだ美冬に対し、その右足を狙って滑るようなカニばさみ。
 顔からマットに突っ込んだ美冬が起き上がる間に、美月は背後のロープに飛び、
 膝をついた美冬の背後からシャイニングウィザード。
 さらにそのまま相手を跨いで正面のロープを背にし、正調のシャイニング前蹴り。
 相羽戦で閃き、続く近藤戦を決めたコンビネーションである。
 足だけを使った反撃から、なんとか腕の痛みをおしてカバーへ。
 だが美冬もこれをカウント2で返した。
「ああ、もうっ……」
 右腕をだらりと下げたまま、美月は左手で美冬の頭を掴んで引き起こしにかかる。
 この時にはもう、自分の痛みより相手を痛めつけることの方を考えていた。
 しかし、ここまでだった。
 美冬を掴んでいた左腕を引かれ、美月はマットに這いつくばった。
 脇固めの要領で美月を捕まえた美冬は、左腕を自分の両足で挟んで固定し、
 両手を使って下になっている美月の右腕を取り、逆に曲げ始める。
「………!?」
「諦めろ……っ!」
 背中越しに、美冬は美月の右腕を脇の下に固定し、さらに後ろへと締め上げた。
「……ふざけるな」
 顔から血の気が引き、冷や汗がふき出しても美月は負けを認めない。
 かといって場所はリング中央、しかも相手は二回りは自分より大きい。
 普通に考えれば完全に詰みであった。
 それでも、美月はギブアップする素振りも見せない。
 美冬も、ああそうですかとばかり更に絞り上げる手に力を込める。
 もはや美月は、痛いものを痛いと感じていなかった。
「もういい、取り返しがつかなくなるわ!さっさとギブアップしなさい!!」
 いつの間にか、内田がリング下からそう叫んでいたが、美月の耳には全く届いていない。
 結局、業を煮やした内田が無理矢理試合に介入しようとする直前、
 見かねたレフェリーが試合を止めた。


「動くな!」
 美冬を押しのけるようにして飛び込んできた内田は、
 まだ起き上がろうとする美月を無理矢理押さえつけ、バックステージに向けて担架を要求した。
「嫌、だ……」
「わかったから、お願いだから今はじっとしてなさい」
 コイツのどこにこんな負けん気が隠れていたかと呆れながら、
 内田は子供をあやすようにして美月を抱き、どうにか担架の上に載せてやる。
 こうして、美月は何度目かの病院送りとなったのであった。

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by right-o | 2012-01-01 23:51 | 書き物