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 美月対美冬の戦いから二週間後、後楽園ホール。
 休憩開けのリング上に、美月の姿があった。
『えー……っとですね、その』
 世界王座を重そうに肩に掛け、マイクを持ってリングに立つ美月の姿は、
 あまり絵になっているとは言い難い。
 それでも、観客はその初々しさを前向きに捉え、激励の声援を送ってくれた。
 中規模程度の会場に来てくれるような層のファンからは、結構大きな支持を受けている美月である。
『とにかく、みなさんの後押しのお陰で、このベルトを獲ることができました。
 そのことについては、本心からの感謝を申し上げます。どうもありがとうございました』
 そう言って深く頭を下げた美月に、一際大きな歓声が送られる。
『……しかし、試合の前に言ったとおり、私にとってベルトを獲ることが目的の試合ではありませんでした。
 正直、世界王者になった実感など全くありませんが、現に王者となったからには、
 ベルトに恥じない存在であるよう、心がけていきます。これからも、応援よろしくお願いします』
 つまらないこと言ってるなあ、という自覚はあったが、
 「休憩開けにチャンピオンから挨拶を」なんて当日に振られたところで、
 美月には他に思いつく言葉もなかった。
 だが、そんな型通りの言葉が新鮮に聞こえたのか、
 客席からもう一度大きな声援と拍手が沸き起こったところで、会場に猛々しい三味線の音が響き渡る。
 西側客席の裏を通って、柳生美冬が姿を現した。
 先日の試合で美月によって痛めつけられた右腕を三角巾で釣ったまま、美冬は左手でマイクを持つ。
『別に無理して王者らしくする必要は無い。
 すぐにまた私がそのベルトを取り戻すんだからな。今、お互いに一勝ずつだ。
 ……次で決着をつけよう」
 早速のリターンマッチの要求であった。
 客席もまあまあ盛り上がって美冬を後押しし、美月も大体予測がついていたので、
 淡々と受けるつもりでマイクを取り上げかけた時、
 You think you know me……と、低い呟きから始まる耳慣れない曲がかかった。
 え、と、会場の誰もが一瞬首を捻ったあと、一部の観客から『うおおおお!!』と熱狂的な声があがる。
 そんな中、んー、と大きく伸びをしながら、東側の階段を上がってくる女があった。
 薄手の黒いロングコートの上にウェーブがかった赤毛を垂らし、
 色気のある微笑を浮かべて堂々とリングへ歩を進めた彼女は、
 どよめきと歓声の中でロープをくぐり、美月と美冬を交互に見比べる。
 それから、ゆったりとリングから外に手を伸ばし、自分にもマイクを要求した。
『あ~いむ、ばぁ~っく、ってね』
 彼女、神楽紫苑は微笑を絶やさないまま、まずは観客と視聴者に向かって語りかけ、
 それからまたリング上の二人に向き直った。
『ちょっとサービス過剰だったからってさあ、いきなり謹慎とか何とかで暫く出番無かったんだけど、
 今日から出ていいって言われて来てみれば、何か面白そうなことやってんじゃないの。
 お姉さんも混ぜなさいよ』
『お前には関係無い。黙ってろ』
 美月が何か言う間もなく、美冬が手厳しく跳ね除けた。
『ふぅん、そういうこと言う。でも、こういうのは普通お客さんにも聞いてみるもんじゃないの?
 ねえ、あんたたちはどう思う?この厳つい美冬ちゃんより、
 あたしがそこのチャンピオンに挑戦した方が面白いと思わない?』
 聞かれた観客は美冬には残念ながら、先ほど美冬が挑戦を口にした時よりもずっと盛り上がった。
 やはり観客としては、同じ組合せよりも、神楽に感じる「何かやってくれそうな」期待感の方を支持した。
 というか神楽の場合、「何かやらかしてくれそうな」と言った方が正しいのだが。
 何か言いかけた美冬を手で制し、さらに神楽が続ける。
『……ふん、あたしの方が人気者みたいね。ま・あ、あんたが不満なのも分からなくないから、
 ここは一つ、あたしとあんたで挑戦者決定戦ってことでどうかしらね?』
 勝手に話を進められた美冬は、固定された右腕まで苛立ちに震わせ、
 神楽を睨みつけながらこう絞り出すように言った。
『……いいだろう、お前を黙らせるには、それが一番早い』
『あらそう、じゃあついでに、試合形式も私が決めちゃっていいかしら』
 ぬけぬけと畳みかけた神楽に対し、今すぐにでも力づくで黙らせたい美冬は、
 何も言わずただ苦々しく頷いてみせ、それからすぐに踵を返して退場して行った。
『いいみたいね。それじゃあ、……期待しといてもらおうかしら』
 神楽の目が妖しく光り、唇の端がやや釣り上がる。
 その表情だけで、一部の観客は何事かを察して謎の盛り上がりを見せた。
『それじゃ、今日はこれで帰るわ。またねチャンピオンさん。邪魔してごめんなさい』
『ああ、いえ』
 それまで完全に蚊帳の外に置かれていた美月は、投げキッスを残してリングを去る神楽を、
 肩をすくめて見送る。
 その様子は観客の笑いを誘った。
『まあ、あの……そういう流れらしいです』
 そう言って美月が自分も帰ろうとした時、不意に全く別の入場曲がかかった。
 これは美月にも誰のものかすぐわかった。
『ごめん、邪魔しちゃって』
 相羽だった。
 最初からマイクを持って出て来た相羽は、早速こう切り出した。
『……ベルト、もう一つ持ってるよね』
 いつになく切実な表情の相羽は、デビュー以来初めて観客の前で自分の要求を口にした。

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by right-o | 2012-02-12 20:44 | 書き物
 美冬戦の翌日。
 昨夜、何度目かの病院送りをくらった美月は、すっかり日が高く上った頃に病室で目を覚ました。
「………」
 あれ、何だっけ。
 仰向けになったまま、美月は真っ白い天井を黙ってぼーっと見上げていた。
 その内になんとなく頭頂部に痒みを覚え、頭に手を伸ばそうとした時、
 それを横からにゅっと伸びて掴む手がある。
「おいおい、起きたなら声ぐらいかけてよ」
 ベッドの傍に座っていたジョーカーレディであった。
 自分を覗き込むジョーカーの顔を不思議そうに見つめてから、美月はこう、のたまった。
「あれ、あなた何でここにいるんでしたっけ?」
「何でって……」
 悪気無くスッとぼけてみせる美月に、ジョーカーは苦笑しながら肩を落とした。
「美月のタイトルマッチを見に来たんだよ。っていうか、どこまで覚えてる?」
「どこまでって……ああ」
 言われてみれば段々と思いだしてきた。
 美冬とタイトルマッチをしていて、反則負けになりかけて、何故かリングサイドにジョーカーがいて、
 言われたから仕方なく腕十字を解いて……
「あ……、そうか、頭から血が出てましたね。それでまた私は病院送りになったんですか」
「そうそう、……だから頭を触ろうとするな」
 ついまた美月の手が頭に伸びようとしたところを、ジョーカーは慌てて制した。
「前髪の生え際から頭頂部に向けてざっくり切れてた。
 傷口を縫うために髪を剃ろうとするもんだから慌てて止めたよ。
 ただその分きちんと縫えてるかわからないから、あんまり触らない方がいい」
 そう言って、ジョーカーは個室に備え付けてあった手鏡を取り上げると、
 横になっている美月の髪をそっと掻き分け、傷口を鏡越しに見せてくれた。
「さて、ちょうどよかった。そろそろ飛行機の時間だから、帰らきゃいけなかったんだ。
 その前に少しでも話せてよかったよ」
 ジョーカーは大きく伸びをしてから立ち上がり、個室の壁に掛けてあったコートを取り上げ、
 帰り仕度を始める。
「あ、もう……」
 と、ベッドから起き上がりかけた美月の上体に、ジョーカーがそっと自分の体を重ねて軽く抱きしめ、
 再びゆっくりとベッドに寝かしつけた。
「見送りとかはいいから、もうちょっと寝てなよ。あんな試合の後だしね」
 暇潰しのために読んでいた雑誌類をぽいぽいと旅行鞄に詰めたジョーカーは、
 最後に改めて美月へと向き直った。
「突然来て突然帰るようなことになって悪いと思ってる。
 実は元々日本まで来るつもりは無かったんだけど、ちょっと私にも事情があってね」
「とんでもない。少しでも会えて嬉しかったですよ」
 そう言って美月が差し出した右手を、ジョーカーはしっかりと握り返した。
「おっと、そろそろ本気で時間無いわ。それじゃ、良い試合だったよ。凄く、励みになった」
 手を振って病室のドアに手をかけたところで、ジョーカーはまた不意に美月を振り返った。
「そうそう、そこに励ましのお便りが纏めて置いてあるから、全部しっかり目を通しておくように。
 反則負けなんて望んでなかったってファンは、私だけじゃないんだよ。それじゃね」
 綺麗に片目をつぶって見せ、ジョーカーはドアの向うに姿を消した。
(……本当に行っちゃった)
 ふと寂しさを覚えた美月は、それを紛らわそうと、重たい体を起こしてベッドに腰掛ける。
 そう広くも無い個室の中、ベッドの前に置かれたテーブルの上には、
 ジョーカーが言ったように、美月宛に送られてきた激励のメールを印刷したものの束と、
 金色に輝く大きなベルトが置かれていた。
 美月は、昨夜の試合で勝ち獲ったベルトを持ち上げようとし、
 指をプレートの縁に引っ掛けただけで止めた。
 指先から伝わる感触だけでもかなり重く、疲れた体では持ち上げるのも物憂い。
 代わりに、美月はメールの束を手に取って上から読み始めた。
 と、一枚目を読み終わったところで、
 その後ろから、紙こそA4コピー紙だが明らかに手で書いたと思われるものが出てくる。
 クセの強い筆記体で書かれた英文は美月には読めなかったが、
 最後の署名だけはなんとか読むことができた。
 ジョーカーレディ、と。
「……ゆっくりしていけばよかったのに」
 紛らわせるどころか、寂しさが募ってしまった美月であった。
 が、何故ジョーカーが急に来て急に帰って行ったのか、
 実はその理由がちゃんとそこに記されているのだが、美月がそれを知るのはもう少し後の話になる。


 同じ頃、団体の社長室。
 大きな樫の机を挟んで、社長と秘書が向かい合っていた。
「昨夜の試合、ネット上などの評判はなかなかいいようです。
 DVDの売上はそれなりに期待できるのではないでしょうか」
「うん……まあ、それは何よりだが」
 秘書の報告を受けても、社長の表情は今一つ晴れない。
「話題になるほどの試合内容を残せるというのも大事なことだが、
 今我々が求めているのは、試合内容に関わりなく、名前だけで客を呼べるスターだよ。
 可能な限り、そういう人間があのベルトを巻いていなければいけない」
「しかし、今現在この団体にそういった人物はいないのではないですか」
 秘書は、正直に思った通りのことを口に出して指摘した。
「いや、いないわけじゃない。休養中なだけだ」
「鏡さんと、ライラさんのことですか」
 この団体の二枚看板であった鏡とライラは、二人揃って長期の休養中なのである。
 その間に比較的若手の中から突出して来たのが、伊達であり、美冬であり、美月であった。
「ひとまずはあの二人が戻って来るまで待っていればいい。
 それまでの間は、どうにか我々の方で仕掛けをして話題作りをするしかないよ」
「スター不在という今の状況は、新たなスターが生まれる好機とは言えませんか?」
「まあ、伊達にはその兆しがあったような気がするけどね。その後ベルトを巻いた二人は厳しい。
 その他にも特にこれという人材はいないと思うね。今のところは」
 社長は、自分の団体に辛口の評価を下した。
 直に彼女たちに接している時はまた違うが、経営者としてはこう言わざるをえないのだろう。
「わかりました。それでは、さしあたってどんな仕掛けをいたしましょうか」
「とりあえず、彼女の謹慎を解いてくれ。彼女なら出てくるだけで話題になるだろう」
「謹慎というと……ああ」
 秘書は何かに思い当った風で、ちょっと渋い表情を浮かべた。
「いいんですか?またテレビ放送中に何をやらかすか……」
「まあ、生放送は怖いが……。
 そうでなければ、最初から番組のレーティングを上げてもらうなりすればいい。
 流石に18禁は困るが、R指定までなら話題作りとして目をつぶろう」
「わかりました。それでは次の興行から参加させます」
「そうしてくれ。あとは彼女の方で勝手に目立ってくれるだろう」
 秘書が一礼して部屋を出て行ったあと、社長はイスの背もたれに体を預け、
 大きな溜息を吐いて天井を仰いだ。
「さて、当面はこれでいいとしても、その次は……」
 経営者としては、美月は頭の痛くなるタイプの王者であった。

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by right-o | 2012-02-05 21:18 | 書き物
 リング内の美月が相変わらず美冬の腕を放そうとしない一方、
 場外ではみことと神田の諍いが掴み合いに発展し、
 これを止めるため、バックステージから続々と他のレスラー達が出てきてリングを取り巻き始めた。
 そんな混沌とした状況の中、本日最後の客となった人間が、会場に足を踏み入れる。
「はぁ、はぁ……なんとか、間に合ったかな?」
 赤紫色のショートヘアをかきあげ、息を切らしながら会場に入った彼女は、
 すり鉢状になった会場の一番上からリングを見下ろし、今の状況を一瞬で理解した。
「バカっ!」
 叫ぶなり、階段通路を三段飛ばしで駆け下り、ベージュのコートを靡かせてアリーナ席を突っ切る。
 勢いのまま場外と客席の間を仕切る柵を飛び越え、
 同時にコートを脱ぎ捨てて薄いTシャツに擦り切れたジーンズという姿になった。
「ちょ、ちょっとお客さ……!?」
「関係者だ!!」
 そう言って、止めに来た早瀬を強引に押しのける。
 すわ乱入者か、と騒ぎかけた観客たちの間から、
 所々で「あれは……」「もしかして……」という声が上がり、それが全体に伝播していった。
『『ジョーカーレディか!?』』
 えっ、と、リングサイドに陣取った彼女を強引に排除しようとしていた数名が固まった。
「手を放せっ!!」
 そんな一連の流れには目もくれず、リングサイドに陣取ったジョーカーは、
 エプロンに両手を叩きつけながらリング内の美月へ声を張り上げた。

 勝ち負けなんぞ関係無い。
 折ってみろというなら喜んで折ってやろう。
 そんな、対戦相手意外全く目に入っていなかった美月の耳元へ、いきなり大声が叩きつけられた。
「えっ?」
 腕ひしぎを極めたまま声のした方へ目を向けると、サードロープの下から見知った顔がのぞいている。
 私服でフェイスペイントもしていないが、半年以上一緒に暮らした人間を見間違えようはずがない。
 しかし、メキシコにいるはずの彼女がここにいるはずもなかった。
 ただただジョーカーを見つめるしかない美月へ、ジョーカーは構わず呼びかけ続ける。
「今すぐその手を放せ!技を解け!!」
「え、いや……」
 何を言われているのかわからなかった。
「お前が勝つところを見るためにここまで来たんだ!ふざけるなよ!
 反則負けなんて認めないからな!!」
「…………」
 ちょうどその時、それまで完全に無視されてきたレフェリーが、
 「これが最後だぞ」と念押しをして反則カウントを数え始めた。
「………くっ」
 カウント5寸前で、美月は美冬の腕を放した。
 ロープを頼りに立ち上がり、ニュートラルコーナーに寄りかかる。
「よしっ!!」
 ジョーカーと一部の観客たちは大いに盛り上がっていたが、
 当の美月は内心で苦り切っていた。
(何をやってるんだか……くっ)
 腕ひしぎをかけていた時の緊張が解けてみると、途端に疲労が全身から湧きあがってくる。
 だが、ここで息を吐くわけにはいかなかった
 右の肘をかばいながらも、美冬は真っ直ぐに美月を睨みつけ、
 既に膝をついて立ち上がろうとしていたのだ。

(このまま畳みかけるしか……ッ)
 美冬が立ち上がるのを待たず、美月はこのまま押し切るために前へ出る。
 が、シャイニング式の前蹴り――のため、踏み台にしようとした美冬の左膝が消えた。
 腕をかばって片膝立ちの姿勢から一瞬で跳ね上がり、いつの間にか美冬はマットと水平になっていた。
 雷迅蹴。
 空足を踏んで固まった美月の頭上に刃が閃いたが、かろうじて咄嗟に頭を振って直撃は避けた。
「くっ……」
 カウンターに専念するあまり、着地にまで気を回せなかった美冬は無様にマットへ墜落。
 よろけた所をどうにか踏ん張った美月が、倒れた美冬に再度迫ろうとした時、
 その視界が突然真っ赤に染まった。
「な……っ!?」
 どんなに腕で顔をぬぐっても、その度に髪の下から際限なく赤黒い血が湧いてくる。
 さっき避け損ねた雷迅蹴で頭を切ったに違いなかった。
「美月ッ!」
 目を開こうと悪戦苦闘していた美月の脇腹へ、すかさず立ち上がった美冬の蹴りが突き刺さる。
 ジョーカーが悲鳴のような声援を送る中、続いて美冬の右足が真っ直ぐ上がり、
 美月の頭頂部へ正面から踵が叩きつけられた。
 が、血の糸を引いた美冬の足がマットに赤い線を引いても、美月は倒れない。
 ふらつきながらも、後ろではなく前に体を傾け、美冬によりかかる。
「この……!」
 美冬は強引に突き飛ばそうとしたが、美月はその前に手探りで美冬の腕を探しあてていた。
 自分の右手首を掴んで放そうとしない美月へ、美冬は左の肘を頭へ叩きつける。
 美月はそれにかまわず、自分の体を回して美冬の腕を捻じり上げ、真下に向かって引っ張った。
 普段は試合の再序盤に見られる痛め技ながら、
 右腕を破壊されかけている美冬は大きく体勢を崩す。
「……舐めるなッ!」
 だが美冬にも意地がある。
 片腕ぐらいくれてやると言わんばかりに、ついに左手で拳を作って美月の頭を殴りつけた。
 すぐに美冬の左手が血で濡れたが、それでも美月は手を放さない。
 もう一度美冬の腕を捻ると、さらに力を込めて真下に向けて引っ張った。
 釣られて美冬の上体が沈んだところで、美月はその首を太股に挟む。
(これで最後に……ッ!)
 美冬の背中に張り付いて一回転し、その頭をマットに突き刺して意識を飛ばした。


 試合後のリング上は、一見してどちらが勝者かわからなかった。
 美冬に前転式のパイルドライバーを決めると同時に美月の意識も途切れており、
 その後本能で美冬の上に覆い被さって3カウント。
 ゴングと同時にリングドクターと他のレスラー達が大挙してリング内に押しかけ、
 この惨状を収めるため各自様々に動き回った。
 右腕を散々痛めつけられた美冬は、意識が無いままリング内から担架で静かに運ばれて行く。
 同じく意識の無い美月には、ひとまずタオルで頭の傷を押さえて止血の措置が取られた。
 その間にマット上を汚した血が拭きとられ、綺麗になったリングの前にずらりとカメラが並ぶ。
「……仕方無いな」
 意識の無いままの美月の脇へ自分の頭を差し入れると、ジョーカーは強引に美月を立ち上がらせ、
 目配せされた神田と相羽は、美月の肩にベルトをかけてやりながら、
 美月を挟んでジョーカーの反対側に並んだ。
 心配する気持ちもあったが、二人もひとまず誇らしい気持ちを表情に出す。
「はい、チーズ、ってね」
 ジョーカーの肩に頭をもたせかけ、彼女の服を血で汚しながら、
 美月は試合後の記念写真に収まった。
 服のことなど全く気にかけず、ジョーカーは赤と緑が入り混じった頭へ、優しく頬ずりしてみせた。

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by right-o | 2012-01-28 20:02 | 書き物
 ともかくもゴングが鳴り、試合が始まった。
 と同時に、美月は半ば突進するように前へ出る。
 理性を憎悪で塗りつぶし、相手を痛めつけることしか考えない。
 すかさず美冬の右足が動く。
 不用意に近づいた美月をミドルキックが打ち、立てた爪先が脇腹へめり込んだ。
 プロレス的な見せ方を無視したこの種の打撃は、普通なら転げ回るほど痛いのだが、
 美月は血が出るほど唇を噛んでこれに耐え、逆に蹴り足を掴む。
 すぐさま左足を刈って倒し、両手で持った右足を跨ぎながら自分も倒れ込み、膝十字固めへ。
「チッ」
 美冬は冷静に、這ってロープまで辿りついた。
 対して美月は、一旦素直に技を解くかに見せ、右足を掴んだままリング中央へ美冬を引き摺り戻すと、
 足先を持ったまま右膝の側面に自分の右膝を乗せてマットに押し付け、
 そのまま足先を真上に引っ張ることで、膝から下を横方向に押し曲げる。
 足狙いか、と、美冬と観客たちは美月の狙いを推察した。
 前回肘を徹底して痛めつけられた意趣返し、
 かつ美冬の武器である足を集中的に攻撃することは、理に叶った攻めでもある。
 ただ、美月の取った体勢は、相手が這って逃げようとしてもすぐに引き戻すことができる代わり、
 押さえつけている右足以外は、仰向けの状態からほぼ自由に動かすことができる。
 そのため、美冬は左足で美月を蹴って逃れようとした。
 最初は前に蹴り飛ばそうと試みたが、美月は容易に放さず、さらに右足を曲げる手に力を込める。
 埒が明かないと見た美冬は、寝た状態から勢いをつけて左足を振り回した。
「くっ」
 足先が鼻をかすめ、思わず美月は体勢を崩す。
 強引に右足を捻ることとなり多少痛みを伴ったが、美冬は振り回した左足を軸に素早く立ち上がった。
 そして、慌てて立ち上がろうとした美月の側頭部へ、右足が一閃する。
 こめかみが波打つような蹴りだった。
 わぁっ、と客席が沸き返り、その後正しく糸の切れた人形のように、
 美月は膝を折り、その場に崩れ落ちる。
 美冬がカバーに行こうとしないのを見て、レフェリーはダウンカウントを数え始めた。
「っぐ……!」
 一部観客が熱狂的な声援を送り、相羽と神田がエプロンを叩いて必死に声を張り上げる中、
 1、2、3……と、カウントは淡々と数えられていく。
 5が数えられた時、美月はマットに手をつき、ついで膝を立てて立ち上がる気配を見せる。
 その様子を、美冬は一歩下がって冷ややかに見つめていた。
(今度は、腕では済まさん)
 朦朧とする頭を振りながら、歯を食いしばって立った美月を見てカウントが止んだ瞬間、
 美冬のソバットが美月の腹部を抉った。
 声にならない呻きを上げ、美月は再び膝をつく。
 それでも、美月が必死で顔を上げて反攻の意思を見せようとした時、美冬は既に背中を向けていた。
 直後、全く同じ軌道のソバットが、今度は先ほど蹴ったのと同じ位置にあった美月の額に炸裂。
 弾き飛ばされた美月の頭がマットを打ち、完全に大の字の状態でダウン。
 同時に、踵が額を切ったらしく血が飛んでいた。
 あまりに非情な攻撃に会場中が凍りつく中、再びダウンカウントが数えられ始める。
 誰もが終わりを予感したが、カウント3の時点で美月の上体が不意に起き上がった。
(目が覚めた……!)
 朦朧としていた意識が、額の痛みで一気に覚めた感じだった。
 額から血を流しながらも、美月はまるでダメージが無いかのように立ち上がる。
 だが美冬も動じない。
 だったら息の根を止めてやるとばかりに、トドメを狙ってロープへ背中を預けた。
 助走をつけた、顔面への雷迅蹴。
 先日のトーナメント初戦で上戸をKOした一撃である。
 しかしロープから数歩踏み出した時点で、美月の姿が消えた。
 絶妙なタイミングと速度で低空ドロップキックを放った美月は、
 美冬の右膝を打ち抜き、マットへ前のめりに倒すことに成功した。
 すぐに立ち上がり、美冬と平行方向のロープへ走る。
 ちょうど美冬が両手をついて頭を持ち上げたところへ、さらに低空ドロップキック――というのが、
 美月を含めてよく使われる一連の流れであったが、
「鳴けッ」
 美月は、マットについていた美冬の右腕を思いっ切り蹴り飛ばした。
「がぁっ……!?」
 右腕を蹴られた勢いで回転して仰向けになった美冬が、咄嗟に右腕を左手で庇おうとするところ、
 その手を強引に引き剥がし、美月は即座に腕ひしぎ十字固めを極めてみせた。
 ほんの数瞬の逆転で呆気に取られながらも、観客は美月の意図を理解した。
 最初に足を攻めると見せておきながら、裏ではずっと腕を狙っていたに違いない。
「さあ、タップか、ギブアップか、選べ……!」
 蹴りの威力は比べるべくもないが、その代わり追撃は徹底している。
 美冬の腕は完全に伸びきっていた。
 ただ、激痛に苛まれながらも、美冬はきつく目を瞑ってこれに耐えた。
 ああそうかい、とばかりに、美月はほんの一瞬だけ体を浮かせると、
 両手で掴んでいた美冬の右腕を自分の左脇の下に差し入れ、
 左の前腕を支点にして体を反らした。
「くっ、あああぁっ……!」
 体を浮かせて逃れようとする美冬を両足で押さえつけ、
 腕をへし折らんばかりに容赦無く全体重を後ろに預ける。
 それでも美冬は、前回の美月がそうであったように、顔面を痛みで蒼白にしながら耐えてみせた。
 ギブアップの意思を確認するため、
 傍らで膝をついて美冬を覗きこんでいたレフェリーが、ここで不意に立ち上がろうとする。
 この状況を見るに見兼ね、前回と同じくストップをかけようとするためである。
 だが、これを察した美冬はレフェリーの胸倉を掴んで引き寄せた。
「止めるな……っ!」
 断れば殺すと言わんばかりに睨みつけられ、流石にレフェリーも躊躇する。
 そして、狙ってやったかはわからないが、こうして若干体が浮いたのを利用し、
 美冬はロープ際ににじり寄っていた。
「卑怯だ!!」
 場外で自分のことのようにエキサイトしている相羽と神田が、
 思わず抗議の声を上げてエプロンを拳で乱打する。
「もう少しっ!」
 逆に、少しずつロープに近づく美冬に、みことが声援を送っていた。
 そしてついに、レフェリーを掴んだまま美冬は足先でロープに触れた。
 しかし美月は技を解かない。
 すかさずレフェリーが反則のカウントを数え始めるが、それでも意に介さず、
 美月は美冬の腕を脇の下に絡め取ったまま。
「放しなさい!!」
 これに対して、今度はみことが抗議する。
「そっちがズルをしたんじゃないか!!」
 思わず神田が、エプロンに膝をついて上がろうとしたみことの肩を掴んで引き摺り下ろした。
「なんですかっ!?」
「なんだよっ!?」
 相羽と神田にみことが相対し、場外でも一触即発の状態となった。
 一方、リング上では相変わらず技を解こうとしない美月に対し、
 レフェリーが何度も目の前で指を立てて反則カウントを取っているが、
 元から勝ち負けを度外視しているかのように、美月は平然と腕を固め続ける。
 試合は混沌としつつあった。

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by right-o | 2012-01-12 22:56 | 書き物
 東京・国立代々木競技場第二体育館。
 手頃な広さかつ、すり鉢状に座席が配置されているため、
 安い外側の席でも不自由なくリングまで見通せる。
 そういった理由でプロレス観戦には適しているが、収容人数は三千人をすこし越える程度の
 最高位タイトルを争うには小さすぎる会場が、美月と美冬が二度目に戦う舞台であった。

 しかし、美月にはそんなことを気にしている余裕が無かった。
 最低限のウォームアップを終えた美月は、
 タオルを被ってベンチに座り込み、ただただ目を瞑ってその時を待っている。
 怖くなってきた。
 美冬をギプスでぶん殴って挑発したのは、半分はただ勢いに任せた行為であった。
 感情を表に出さない美月であっても、というより、表に出さないからこそ、
 美冬戦は大きな屈辱として内面に黒々と渦巻いていた。
 同じ目にあわせてやる、と美冬に言った言葉は本心からのものである。
 ただし、今すぐに行動を起こすべきなのか、
 そして行動を起こしたとしてそれがどういう結果になるのか、
 冷静に考えようとする部分も頭の中には存在した。
 この一カ月間、美月はそういった冷静な心の声を無理矢理感情で押し殺してきたのだった。
 試合が近づくにつれて余計なことは考えなくなったが、今度は感情がマイナスの方向に働き始めた。
 前回と違って連戦による疲労の無い状態で、
 前回以上に気持ちの入った柳生美冬を相手にしてどうなるか。
 一度悪い方向に想像が傾くとキリが無かった。
 だがもう後には引けない。
(悲鳴を上げさせてやる……っ)
 怖気を憎しみで塗りつぶし、美月はタオルを取って立ち上がった。

「よし、行こう美月ちゃん!」
「行きましょう先輩!」
 控室を出ると、相羽と神田が待ち構えていた。
 二人はこれからセコンドについてくれることになっている。
 今回ばかりは、この二人の善意と無邪気な声援がありがたかったが、
 もう一人、傍の壁に背中をあずけて美月を待っていた人物がいた。
「美月」
 内田は、入場ゲートの方へ足を踏み出しかけた美月の背中へ声をかけた。
「あんなの相手に意地を張って怪我をしても、何もいいことは無いのよ」
 美月は、普段以上に感情の無い顔をして肩越しに振り返り、去って行った。
 わざと無表情を通したのではなく、沸き起こった感情に顔の方が反応しきれなかったのだ。
 何で、人が必死で忘れようとしていることを今更思い出させるのか。
 老婆心に対する非難と、内心を見透かされていることへの諦観と、
 ほんの少しの感謝がない混ぜになった表情などはとても作れなかったし、
 この内のどれを優先して表すべきか咄嗟に選択することもできなかった。

 
 入場ゲートをくぐるなり、物凄い熱気と歓声の風が美月たちを包んだ。
 収容人数が少ないだけに、客席は立ち見まで含めて完売となっているだけでなく、
 こんな一般受けしづらいカードを観に集まった観客たちだけあって、普段よりずっと客層が濃い。
 両脇からひっきりなしに声援が飛ぶ中、美月は一歩一歩ゆっくりとリングへ向かい、
 一つ大きく息を吐いてからロープを跨いだ。
 美月が、神田と相羽を左右に従えてコーナーに落ち着くと同時に、
 真剣を切り結ぶ音が会場に響き渡った。
 それから三味線による前奏が始まり、柳生美冬の入場が始まる。
 ガウンの代わりに陣羽織を羽織り、伊達から奪ったベルトを右肩に掛けた美冬は、
 こちらも同期の草薙みことを従えて入場して来た。
 美月以上に表情の乏しい美冬は、いつも通りに堂々と、だが無感動に、初めての防衛戦へ挑む。
 対して、美月の冷静さは上辺だけのものであった。

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by right-o | 2012-01-09 21:55 | 書き物
 挑戦者決定トーナメント決勝戦から一ヵ月後。
 美月を破ってトーナメントを制した美冬は、勢いのまま伊達を降して新王者となった。
 その試合の翌週、東京・後楽園ホール。
 休憩前、ベルトを巻いた姿でリングに上がった美冬が、マイクを持って何かを言おうとした時。
 西側雛壇の裏から一人の影が走り出た。
 肘の上までギプスで固めた右腕を三角巾で吊り下げた影は、
 美冬の背後から忍び寄ってリングに転がり込み、三角巾を外して不自由な右腕を振り被る。
 あっ、と観客が声を上げる間を与えず、美月は美冬の後頭部を右腕のギプスでぶん殴った。
 前のめりになった美冬が振り返ったところ、その横っ面にも一撃。
 倒れた美冬をリング下に蹴り落し、自由な左手でマイクを取る。
「一応、ベルト奪取おめでとうございます」
 そう言いながら、美月は傍に転がっていたベルトをリング内から美冬の方に蹴り出した。
「ただ、もうこんな物はどうでもいい。もう一回私と戦いなさい。
 仮にもチャンピオンは逃げませんよね?」
「くっ、今度はベルトを懸けてお前と戦えというのか!?」
 激昂した美冬がエプロンまで上がったところへ、美月は再度右腕を叩きつけて場外へ落とした。
「だから、どうでもいいって……!黙ってもう一回戦え!
 今度は私が、お前を私と同じ目に遭わせてやる!!」
 美月も激昂していた。
 ここでようやく下の階からから他のレスラーやスタッフがどやどやと現れ、二人の間に割って入る。
「必ず、お前に悲鳴を上げさせてやる!やめてくれと懇願させてやる!!」
 止めに来た同僚から揉みくちゃにされながら、美月はそう叫んで引き立てられていった。


「というわけで、戻ってきました」
「というわけで、って……怪我はもういいんですか?」
 控え室に運ばれてくるなり、けろっと普段の様子に戻った美月を見て、神田が呆れていた。
 美月を連行してきた者たちの大半が引き上げたあとには、神田と相羽だけが残っている。
「折れてはいませんからね。このとおりです」
 既に切れ目が入っていたギプスをすぽっと引き抜いて、美月は生の右腕をを振ってみせた。
「靭帯の損傷だけなので本当は不要だったんですが、
 今日のために無理矢理ギプスを作ってもらいました」
「え、えー……」
 相羽まで呆れ返った。
「……これぐらいやらなきゃ、気がすまないんですよ」
 右腕を曲げたり伸ばしたりしながら、美月はまた表情を固くする。
 互いに顔を見合わせて首を振った神田と相羽が、続けて何か話しかけようとした時、
 不意に控え室のドアがノックされた。
「あのー、すいません」
 後輩の早瀬が、遠慮がちに顔をのぞかせた。
「雑誌記者の方が、杉浦先輩にお話を聞きたいそうなんですけど……」
 ああ来ましたか、とばかりに、美月は自然な足取りで早瀬の方に歩いていく。
 残された相羽と神田は、またもや顔を見合わせた。

 さらに一週間後、道場。
「早瀬おそーい。はい50回追加ー」
「うぇえええええ……もう無理です……」
 壁際に立たされた早瀬が、汗だくになりながらスクワットをしていた。
 その横で、越後が持ち込んだ竹刀を肩に担いだ六角が、嬉しそうに指示を出している。
「口を動かす前に足を動かしなー。相羽はまだピンピンしてるよ」
 早瀬の隣では、相羽が二倍ぐらいの速さで上下動していた。
 元々基礎には力を入れている上、越後がついてからより一層体力が強化された相羽である。
「あ、相羽先輩と比べないでください……。越後先輩、もう上がってもいいですよね……?」
 ここで早瀬は、そもそもの指導係である越後に助けを求めた。
「あと50回か、相羽が終わるまでか、好きな方を選べ」
 目の前のベンチに座っている越後は、読んでいた雑誌から顔を上げ、
 それだけ言ってまた視線を元に戻した。
「あと50回頑張ります……」
「ほらほら、形が崩れてるよー」
 越後から一時的に指導役を任された六角が、楽しそうに竹刀で床を叩く。
 そんな光景をよそに、越後はもくもくとある記事を読んでいた。
 その両脇からは、内田と上戸も雑誌を覗き込んでいる。
「ちっ、オレもやってやろうと思ってなのになあ。先を越されちまったよ」
「その上単独インタビューとは」
「やられたわね」
 三人が見ているは、先週の後楽園で美月が起こした騒動の記事だった。
 そこには、先月のトーナメント決勝から先週に至る流れと、
 最後には1ページを使って美月に直接話を聞いたインタビュー記事が載っていた。
「どうもこういうやり方は好かない」
 雑誌を開いたまま上戸の膝の上に押しやり、越後がそうこぼした。
「そうかしら?でもあんな負け方をして、何もしないのはやられ損よ」
「……そういうもんか。逞しいというか何というか」
 内田に言われて、越後は半分呆れつつ感心した。
「まあその辺は何でもいいんだけどよ、大口叩いといて本当に勝てんのか、アイツ?」
 インタビューの中でも、美月はリング上で言ったのと同じような主張を繰り返している。
 行動も言動も、今までの美月からは考えられないことであった。
「相手が美冬だからなあ……あれも圧倒する時は圧倒する代わり、負ける時は案外コロッと負けるし」
「そっか。前回もあの事故が無きゃわかんなかったもんな」
 越後の分析に、今度は上戸が感心した。
「あれは故意よ。少なくともあの子はそう思ってるし、今度はやり返すと言ってる。
 それがどう出るか、ね」
「それと仮に勝ったとしても、それが本人と周囲のためになるかどうか」
 内田と越後は、それぞれに思うところがありそうである。
 良くも悪くも、これまでにない注目が美月に集まる中、問題の試合は二週間後に決定していた。

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by right-o | 2012-01-03 23:07 | 書き物
 近藤戦から約一時間半後。
 メインイベント、世界王座挑戦者決定トーナメント決勝戦のリングへ、
 美月は静かに足を踏み入れた。
 入場ゲートをくぐる直前、相羽や神田に励まされ、上戸から自分の仇討ちを託され、
 内田から無愛想に背中を押されて送り出された美月は、
 ようやくモチベーションが高まっていくのを感じた。
(まあ何事も勝って悪いということはないし)
 これまでの二戦は、単に格下相手に負けられなかっただけのこと。
 伊達への挑戦権という賞品は決して魅力的なものではなかったが、
 それでもトーナメントを制したという実績が残るのは悪くないかもしれない、
 というぐらいには考え直してみた。
 決勝戦の相手は柳生美冬。
 美月対近藤戦の直後、同期である草薙みことを退けて上がってきた彼女は、
 同じく同期である伊達の背中を追いかけることに執念を燃やしている。
 内面にかなり温度差のある二人は、
 それでもゴング直前、どちらからともなく右手を差し出した。
 「健闘を」と美冬、「お互いに」と美月。
 別段好きでも同士でも嫌い同士でもない二人は、
 お互い、相手がここまで上がってきたことに対して素直な敬意を表した。
 この時は、まさかこれからの試合が、それぞれが初めて経験する遺恨試合になろうとは、
 当事者同士全く思いもよらないのであった。


 ゴングが鳴ると、まず二人は睨み合ったままでリングに半円を描いた。
 一見様子見の姿勢だが、それぞれに思惑が違う。
 美月は、試合を長引かせるため故意に前へ出ない。
 美冬とみことが戦った準決勝第二試合は紙一重の接戦であり、
 また試合順が第一試合よりあとだったことから、決勝までの休憩時間が短かった。
 そこを突いて長丁場の持久戦でスタミナ切れを狙う美月は、
 ゆったりじっくりした展開に持ち込みたい。
 対して美冬は、自分の方に余力が少ないことを認識しているため、
 積極的に仕掛けて短期決戦で仕留めてしまいたい。
 そのための、一気に仕掛ける糸口を探っている状態だった。
 お見合状態から、やはり美冬が動く。
 前へ踏み出して組み合う姿勢を見せたのだ。
 そういうことなら、と美月も前に出、両者ロックアップの体勢。
 ここは美冬が体格を生かして美月をロープへ押し込み、レフェリーが割って入る。
 この組み合った両者の別れ際というのがプロレス序盤の見せ場の一つであり、
 どちらかというと美月が望むじっくりした展開に近い。
 が、ここで美冬はセオリーを無視して突っ掛けた。
「ぐふっ」
 レフェリーを無視して美月のボディに膝を入れ、
 抗議の声が上がるのを待たず反対のロープへ振り飛ばす。
 跳ね返ってきたところを更にニーリフトで追撃しようと試みた。
 が、続けて腹部へ膝を入れられたかに見えた美月は、
 自分から美冬が振り上げた右膝を飛び越えていた。
 美冬の右足を巻くように前転しつつ、
 後ろから股の間に手を入れて引き倒し、スクールボーイに固める。
「ちっ」
 カウント1で美冬が返した反動を受け、
 美月はそのままごろごろと場外まで転がって退避。
「ふー……」
 お腹を押さえつつ呼吸を整え、間合いを外す。
 最近、打撃主体の相手と続けてシングルで当たっている美月だが、
 美冬は近藤より体格も経験も勝り、伊達を相手にして美月以上に善戦したレスラーである。
 迂闊にペースに乗せられるわけにはいかなかった。

 のらりくらりと美冬の攻めをはぐらかしつつ試合を進めていた美月だったが、
 そんなゲームプランどころか、試合そのものが根底から崩れる瞬間が突然やってきた。
 ようやく美冬のニーリフトがカウンターで美月を捕らえ、
 身体がマットから浮き上がるほどの衝撃を受けた美月は、マットへうつ伏せに倒れる。
(これでもまだ、伊達さんとの試合を思えば……!)
 内臓が裏返ったかと思った伊達の膝に比べれば、まだまだマシ。
 痛みに変な耐性が出来つつある美月は、そんなことを考えながらマットに右手をつき、
 起き上がろうとする。
 ここで美冬の頭に閃くものがあった。
 おもむろに左足を滑らせ、美月の右腕へローキックが走る。
「あっ」
 と、試合を見ていた全員が固まったあと、
 一瞬遅れて美月が右肘を押さえてのたうち回っていた。
「っぐ……」
 場外に転がり落ちた美月は、肘を抱いてその場に蹲った。
 腹部への膝とは全く異なる痛みと違和感は、
 身体の一部が変形したのではないかという恐怖感へと変貌し、次第に心の中で広がっていく。
 だが幸か不幸か、負傷について深刻に考えるだけの時間が、美月には与えられなかった。
 躊躇無く美月を追ってきた美冬が、
 美月の頭を掴んでコーナーポストへと投げつける。
 咄嗟に頭を反らせた美月は、右肘から硬い鉄柱に激突した。
「あぐっ」
 そのまま鉄柱にもたれて動けなくなった美月の右腕を掴み、美冬はさらに鉄柱へ叩きつけた。
 そこから腕を放さず、強引にリング内へ引っ張り上げ、コーナーへ振る。
「せっ!」
 コーナーにもたれているところへの強烈なミドルキック。
 これをまた、美月は反射的に腕を上げて受けてしまう。
 美月は痛みに膝をつき、ついで前に崩れ落ちた。
(まずい、かな……)
 肘の痛みが、今までの試合で受けてきた一過性のものとは違う。
 あともう少し冷静になれば、試合を棄権するべきかという考えも、
 打算的な美月の頭には浮かんできたことだろう。
 が、そんなことを考える間を与えないほど、美冬の攻めは苛烈を極めた。
 腕を捻り上げながら美月を強引に立ち上がらせると、
 リング中央に引っ立てて蹴りの連打。
 まずローキックが太股を叩き、次いで胸板へミドルキック。
 さらに脇腹へのミドルは、爪先が美月の胴にめり込んだ。
 いずれも腕を使って防ぐことのできない美月は、滅多打ちにされるしかない。
 そして側頭部へのハイキックから、ふらついたところで両足を刈るローキック。
 これで尻餅をつかせたところへサッカーボールキックを入れると、
 美月の正面へ回って軽くロープの反動を受け、顔面を目標にしたローキック。
 これをなんとか自分からマットに倒れることで威力を減じた美月は、続くカバーを2カウントでクリア。
 体は悲鳴を上げていたが、何故か美冬に蹴られるたび、
 美月の精神はより強硬に負けることを拒否し始めた。
(舐めるなッ)
 ここでロープへ飛んだ美冬に対し、その右足を狙って滑るようなカニばさみ。
 顔からマットに突っ込んだ美冬が起き上がる間に、美月は背後のロープに飛び、
 膝をついた美冬の背後からシャイニングウィザード。
 さらにそのまま相手を跨いで正面のロープを背にし、正調のシャイニング前蹴り。
 相羽戦で閃き、続く近藤戦を決めたコンビネーションである。
 足だけを使った反撃から、なんとか腕の痛みをおしてカバーへ。
 だが美冬もこれをカウント2で返した。
「ああ、もうっ……」
 右腕をだらりと下げたまま、美月は左手で美冬の頭を掴んで引き起こしにかかる。
 この時にはもう、自分の痛みより相手を痛めつけることの方を考えていた。
 しかし、ここまでだった。
 美冬を掴んでいた左腕を引かれ、美月はマットに這いつくばった。
 脇固めの要領で美月を捕まえた美冬は、左腕を自分の両足で挟んで固定し、
 両手を使って下になっている美月の右腕を取り、逆に曲げ始める。
「………!?」
「諦めろ……っ!」
 背中越しに、美冬は美月の右腕を脇の下に固定し、さらに後ろへと締め上げた。
「……ふざけるな」
 顔から血の気が引き、冷や汗がふき出しても美月は負けを認めない。
 かといって場所はリング中央、しかも相手は二回りは自分より大きい。
 普通に考えれば完全に詰みであった。
 それでも、美月はギブアップする素振りも見せない。
 美冬も、ああそうですかとばかり更に絞り上げる手に力を込める。
 もはや美月は、痛いものを痛いと感じていなかった。
「もういい、取り返しがつかなくなるわ!さっさとギブアップしなさい!!」
 いつの間にか、内田がリング下からそう叫んでいたが、美月の耳には全く届いていない。
 結局、業を煮やした内田が無理矢理試合に介入しようとする直前、
 見かねたレフェリーが試合を止めた。


「動くな!」
 美冬を押しのけるようにして飛び込んできた内田は、
 まだ起き上がろうとする美月を無理矢理押さえつけ、バックステージに向けて担架を要求した。
「嫌、だ……」
「わかったから、お願いだから今はじっとしてなさい」
 コイツのどこにこんな負けん気が隠れていたかと呆れながら、
 内田は子供をあやすようにして美月を抱き、どうにか担架の上に載せてやる。
 こうして、美月は何度目かの病院送りとなったのであった。

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by right-o | 2012-01-01 23:51 | 書き物
震災とか規模の大きい話は抜きにして、個人的にはまあ、今年1年はいい年だったんじゃないかと。


4月に福岡から埼玉へ異動になったり、
その後一週間もしない内に自転車でコケて顔縫ったりもしましたが、
飲んで遊んで旅行して、割と気ままな1年間でした。

ま、そんなこんなで無駄遣いしてたら、貯金がすっかりなくなってしまいましたけどね。


ブログの方は、後半では周一更新ぐらいに落ち着きましたが、
それまでは結構間が空いたりしたのでちょっと反省。

「だらだら」が途中から全然だらだらしてなかったのも反省。


とりあえず今年一年はそんな感じで。
来年のことは来年考えよう。

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by right-o | 2011-12-31 22:27 | 書き物
 サイン会からさらに一週間後、神奈川・横浜文化体育館。
 この夜、準決勝・決勝と続けて行われるトーナメント戦の、まずは準決勝第一試合に美月が姿を現した。
 気負いなくリングに上がり、青コーナーを背にして対戦相手を待つ。
 ほどなくして入場曲が鋭いギター音に切り替わると同時に、
 入場ゲート付近からドライアイスの煙が噴出した。
『YEAAAAAAAHHHHHHHH!!!!!』
 絶叫音が会場に轟いたあと、次第に煙が晴れていくにつれ、
 ゲート下で片膝をついた近藤真琴の姿が明らかになってくる。
 胸の前で交差させて両手の、前腕部半ばまで巻きつけたバンテージの上、
 手の甲に当たる部分には禁欲を表す「X」のマーク。
 ストイックなその性格とは裏腹、赤毛のポニーテールを靡かせたスタイルの良い長身は、
 同時に華やかさをも併せ持っている。
 彼女は神田と同期の格闘技経験者にして、神田以上の将来性を期待される逸材であった。
 デビュー以来初めて迎える大舞台にも動じることなく、
 むしろその両目は一層ぎらぎらと貪欲な輝きを増しているように見える。
(……可愛げの無い後輩だなあ)
 美月にとって、なかなかに厄介な相手となりそうであった。


 とはいえ、同じ打撃主体の伊達と戦ったことを思えば、まだいくらもマシな相手。
 加えてこのあとに決勝戦が控えていることを考えれば、あまり悠長な試合はできないため、
 美月は自分から積極的に仕掛けていくことにした。
 見合った状態から、ゴングと同時に脇をすり抜けるようにして背後に回り、バックを取る。
「くっ」
 ほぼ反射的にクラッチを切った近藤は、
 自分の腰に回っていた美月の右手を取って捻り上げようとする。
 これを見越していた美月は、自分から前転してマットに倒れることで腕の捻りを解消しつつ、
 掴んでいた美月の手に引っ張られる形で下を向いた近藤の顔を、
 寝転がった体勢から両足を真上に突き上げて蹴り飛ばした。
 基礎的な練習がしっかりしていたばっかりに、近藤は美月に釣り込まれる形になってしまったのだ。
 素早く立ち上がった美月は、同時に立ち上がりかけていた近藤の頭をヘッドロックで捕らえ、
 そのまま腰投げの要領で前方に投げ捨てつつ、グラウンドでのサイドヘッドロックへ移行。
「くそっ!」
 逸る近藤の勢いを挫き、10cm以上身長で優る相手をひとまずはコントロールして見せた。

 が、流石に期待のルーキーだけあって、近藤もペースを渡したままにはしておかない。
 組んだ状態から膝を入れ、美月を強引にコーナーへ振ると、
 躊躇無く、その背後を追いかけて自らもコーナーへ突進した。
「こんのぉぉぉッ!!」
 美月がコーナーを背にした瞬間、近藤はその脇のサードロープに左足をかけると、
 右膝を突き出して美月の顎を跳ね上げた。
「がっ……!?」
 反動で前に出掛かった美月の頭をヘッドロックの形に固定し、
 そのままリング中央に向かい、自分の両足を投げ出すようにして尻餅をつく。
 こうすることで、美月を顔面からマットに叩きつけた。
 しかしここでカバーには行かず、近藤は美月が立ち上がるのを待つ。
「せいッ」
 立ち上がったところへ左の掌底を脇腹にめり込ませ、
 続けざま顔面へ左右の掌底、さらにその場で回転して右バックブローの一撃。
 怒涛のコンビネーションから、仕上げの左ハイで側頭部を打ち抜いた。
 が、何度も脳を揺さぶられながら、美月は倒れず踏みとどまる。
(流石は、先輩……っ)
 好戦的な笑みを浮かべた近藤は、足元をふらつかせる美月の懐に潜り込み、
 自分の両肩の上へその身体をうつ伏せに担ぎ上げた。
 会場からどよめきが起こったことは、この体勢が試合の終わりを予告するものである証拠だった。
「これで、終わりだッ!!」
 肩の上に乗せている美月の身体を、前方にふわりと浮くように投げ捨てる。
 同時に右膝を突き上げ、空中で無防備な状態にある美月の顔面を思い切り蹴り飛ばした。
 蹴られた反動を受けて後頭部から倒れた美月の上に覆い被さり、勝利を確信したカバー。
 ここで興奮の余り手応えの無さに気づかなかったことが、経験の違いと言えなくもない。
 意外に危なげなく、美月はカウント2で近藤の必殺技をクリアして見せる。
 実のところ、この技で決まった神田との試合を見ていたため、事前に対処を考えていたのだった。
 空中に放り出されたところで上体をできるだけ反らせつつ、
 膝頭を避けて受けることでダメージを軽減させていた。
 しかし、ここで美月はダメージが残っているように見せかけ、すぐには起き上がらない。
(まだまだ、手はある……!)
 必殺技を返された近藤は、呆けていたのも束の間、
 すぐ次の攻め手に移るべくロープをくぐってエプロンへ出た。
 この前向きさと引き出しの多さが、今回は逆に仇となってしまう。
 どうにか気力だけで動いているという体でふらふらと立ち上がった美月を見届けると、
 近藤はエプロンからトップロープに飛び乗り、さらにリング内へジャンプ。
 上体を前に出す形で、スワンダイブ式のラリアットを敢行しようとした。
(ジョーカーの見様見真似でっ……!)
 直前まで足元が覚束ない様子だった美月は、途端にしっかとマットを踏みしめ、
 飛んでくる近藤に半ば背中を向けるような形で踏み切る。
 空中で近藤の首に右手を巻きつけ、肩の上に固定。
 そのまま自分は背中からマットに落下し、フライングラリアットをダイヤモンドカッターで切り返した。 
 すかさず息を吹き返した美月は、
 朦朧としながら膝をついて起き上がりかけた近藤の背後からシャイニングウィザード。
 近藤の後頭部を蹴り上げながら跨ぐように飛び越し、そのまま正面のロープで反動を受けると、
 続けざま正調のシャイニング式前蹴り。
 気鋭の後輩を文字通り一蹴して見せたのだった。


「ありがとうございました。どうせなら、次も勝っちゃってください」
 試合後は潔く握手を求めてきた近藤に応えながら、美月はそそくさとリングを後にした。
 これでまた、もう一試合上がらなければならなくなった。
(さて、どうかな)
 準決勝第二試合はこの直後に開始される。
 美冬とみこと、どちらも楽な相手ではないため、
 美月としてはなるべく互いに潰しあってくれることを祈るしかない。

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by right-o | 2011-12-30 21:02 | 書き物
 トーナメント第一戦が行われた日から一週間後。
 とある大型書店のイベント用フロア、その控え室。
「……うーん」
 いつもの「控え室」とは違う、畳敷きのいわゆる楽屋の座布団に座り、
 美月と相羽が難しい顔をして向かい合っていた。
「美月ちゃん、メキシコで経験あったりしないの?」
「そう言われれば会場外でファンに囲まれて十数枚書いたことはありますが、
 今回とはまた別の体験というか、やっぱりその、日本とメキシコでは勝手が……」
 今日これから、二人にとってデビュー以来初めてのサイン会が行われるのであった。

 二人にとって急遽決まったイベントだった。
 元々はジューシーペア、内田&上戸のサイン会が予定されていたのだが、
 この二人、先日のトーナメント初戦にて仲良く病院送りとなったのである。
 試合そのものはどちらも激闘そのものだったのだが、
 その最後の部分だけを見るならば惨敗と言ってよかった。
 内田はみことの兜落しで頭からマットに突き刺さり、
 上戸は美冬の雷迅蹴を顔面で受け切って前のめりに轟沈。
 これに伊達を加えた三人で「えげつない世代」と呼ばれる、
 同期二人の魅力が最大限に発揮された試合であった。
 内田・上戸とも既に回復してはいるものの、負傷箇所が頭部ということで大事をとって暫く休養。
 その代わりに選ばれたのが美月と相羽なのだった。

 サイン会どころか、こういうファンとのイベント自体が初体験な二人は、そろって緊張している。
「そ、そういえば、美月ちゃんのサインってどんなのだっけ?」
「そういう和希さんはどうなんですか?」
 ちょうど机の上に置いてあった書店の便箋とボールペンを手に取り、
 二人ともすらすらとペンを走らせて自分のサインを書いてみた。
「ボクのは昔からこれだけど……」
 相羽のサインは、単にフルネームを崩して縦書きしただけのシンプルなもの。
「ふっ、相変わらずサインまで普通ですね。……と言いたいところですが」
 美月の場合は筆記体で「Mitsuki.S」。
 元々は美月も相羽と同じく漢字を崩して繋げただけのものだったが、
 メキシコ時代、せめてアルファベットで書こうとして変えたサインを、
 帰国後も続けて使っているのだった。
「……ま、サインなんて単純な方がいいよね。ファンの目の前で書いて間違えたらカッコ悪いもんね」
「……ですよね」
 ファンサービスという面では経験も発想も大差無い二人であった。
「っていうかホント間違えて書いたりしないかな。いっそ事前に書いといて渡すだけならいいのに」
「事前に書くどころか色紙に印刷していった人たちはいましたっけね。
 後で八島さんにシメられましたけど。
 まあファンにしてみれば、会話なんかしつつ目の前で書いてもらえるからいいんでしょう。
 それに『○○さんへ』とか、サイン以外にも一言書いて欲しいってリクエストがあるかもしれませんよ」
 美月の言う「事前にサインを印刷していった子分」をシメた八島には、この手のリクエストが多い。
 彼女の場合、『何か好きな言葉を書いてください』と言われることが大半で、
 八島も何を求められているかわかっているため、
 「喧嘩上等」とか「世露死苦」とか一言サインに添えてやる。
「え、座右の銘的なこと?えーっと……特に無いんだけどなぁ」
「無い、です、ね……」
 頭をかきながら悩む相羽を見ても、今日ばかりは笑えない美月であった。
 こういう時に強いのが(色んな意味で)古風なレスラーたちである。
 「一撃必殺」柳生美冬、「明鏡止水」草薙みこと、「常在戦場」RIKKA、等。
 ちなみに彼女たちのサインは筆ペンで書かれているが、本物の筆を差し出しても書いてくれるらしい。
 その他、今現在は「宇宙キター!」の藤原と、「私が守ってあげる……」の富沢は、
 一定期間ごとでサインに添えられる文言がころころ変わったりする。
「何か考えた方がいいんですかね?」
「って言われも……」
 そうこうしている内に控え室のドアがノックされ、
 時間が来たことを知らせるスタッフが顔をのぞかせる。
 もうなるようになれ、と覚悟を決めて部屋を出る二人であった。

 二人が会場に現れた瞬間、中型のイベントスペース全体にどよめきが起こった。
(多いよ……!!)
 明らかに3桁は下らない人数が集まっている。
 まあ数十人だろうと予想していた二人は、必死に驚きを隠しつつ、
 並んで置かれている机に腰を下ろした。
 思ったより人が集まって嬉しいという思いは、この場では緊張の高まりに押しつぶされて沸いてこない。
 それではただ今より開始いたします、という声とともに、集まった人々が二人の前に列を作り始めた。

 開始から30分後。
 当初はガチガチだった美月にも、ようやく気持ちの余裕が出てきた。
 応援してます、とか、頑張ってください、と声をかけてくれるファンにも、
 次第にきちんと応えられるようになってくる。
 同時に、「ど、どうも……」としかいえなかった最初の数人には悪いとも思ったが。
 それに引き換え。
「ありがとうございますっ」
 と、自分と同じく緊張していたはずなのに、一人目から元気よく応対していた相羽のことは、
 ちょっと見直す思いであった。
 応援されれば素直に反応してしまう、相羽の人の良さが滲み出ていた。
 その辺りを含めたリング内外の人間性を反映してか、
 美月と相羽に並んでいるファンは、よく見るとそれぞれで毛色が違う。
 一言で言うと、美月の方が「濃い」。
 相羽に並んでいる列は、たまたま買い物に来ていたらサイン会やってたので参加してみた、
 みたいな、軽い客が多い。
 根拠としては、ほとんどの人が傍で配っている色紙を片手に相羽のところへやってくる。
 対して美月の列は、Tシャツ等持参したグッズにサインしてもらおうとする輩が多い。
 相羽列に並んでいたあるファン(?)のように、
「プロレス見たことないけど、
 下の階に貼ってあったポスターの写真が可愛かったからサインもらいに来ました」
 というような男は、間違ってもいない。
 驚きながらも「これからは是非、会場へ見に来てくださいね!」と笑顔で返す相羽を見て、
 正直なところちょっと羨ましい美月であった。
 ただ、並んでいる人数では美月も負けていない。
 あと、女性は美月列の方が多い。
 ただし女性も濃い人が多かった。
 「身体は大丈夫?」と、娘か何かのように心配してくれる年配の女性とか、
 隣を思いっきり指差しながら、「あいつには負けないでください」と言った同年代の女性とか。
 ヤな言い方をすれば、思いっきりマニア受けしていた。
 美月は、自分と相羽のファン層を冷静に分析して、心の中でため息を吐く。
(ま、わかってましたけどね)
 人を引き寄せる力、言い換えればスター性は間違いなく相羽の方が強く持っている。
 これまで地味だ地味だと言われながら、それをネタにして話題にされてきたのだ。
 対して美月は、何もしなければ本当に地味なまま注目されずに終わるタイプである。
 だからこそ、帰国後はどうすれば一番目立てるかを自分なりに考えてきた。
 こればっかりは現実として認めるより仕方が無い――と思いつつも、
 やっぱり納得仕切れなかった点が、相羽へ辛く当たる原因でもある。

 そんなこんなで色々考えながらサインに応じていた美月の前に、一枚の色紙が差し出された。
「トーナメント、頑張ってください!」
 小学校高学年ぐらいの男の子であった。
 一瞬、並ぶ列を間違えたのかと思ったが、トーナメントのことを言うのだから間違ってないのだろう。
(この年齢で私のファンって、将来が心配だな)
 そんな無茶苦茶なことを考えながら、美月は何十枚目かのサインを書き、
 その下に、「普通に勝ちます。」と書いて色紙を返し、子供の頭を撫でてやった。 

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by right-o | 2011-12-28 16:10 | 書き物