「ゴートゥスリープ」「アンクルロック」 近藤真琴VS中森あずみ

 入場ゲートに焚かれたスモークが晴れると、
 片膝をついた姿の近藤真琴が煙の中から現れた。
 肩に黄金のベルトを乗せ、下から徐々に上げていった視線の先は、
 長い花道の向こうを真っ直ぐに見つめている。
 両脇から差し出されるファンの手を叩きながら小走りで駆け抜けると、
 近藤は、リングインしてからベルトを掲げ誇示した。
 戴冠から早半年、当時は「時期尚早」と言われていた王者に、
 確かな貫禄が備わってきている。


 が、当の近藤は、すっかり挑戦者の心持ちだった。
(今日は、思いっきりやれる)
 これまでの防衛戦には、近藤なりに重圧を感じながら臨んできた。
 勝つことに加え、王者らしく良い試合をすることを考えて、
 時には相手に合わせながら試合をつくることもあった。
 今から始まる試合には、そういう気遣いがいらない。
(中森さんが相手なら…!)
 中森あずみ。
 近藤の一年先輩にあたる。
 団体屈指の試合巧者で、力任せに叩き潰すようなスタイルではもちろんなく、
 かといって技術だけで相手を煙に巻くタイプでもない。
 きっちり相手の力を出し切らせたその上で、最後の最後に絶妙な切り返しを見せて勝つ。
 そういう挑み甲斐のあるレスラーだった。
 近藤は、両手を顔の前で祈るような形に組んでぐるぐる回し、
 手首を解しながら対角線上の挑戦者を見つめた。
 向こうからも、中森の落ち着き払った視線が近藤を射している。
「集中っ…!」
 両頬をパンと叩いて気合を入れ、近藤は赤コーナーを離れた。


 さてリング中央で向かい合ってみると、一つ中森の普段と違う点に気がつく。
 ガードが高い。
 完全に打撃主体の近藤と違って拳はやや開いているが、
 基本的に組み技狙いの中森が両手を顔の前まで上げているのは珍しい。
(打撃を誘ってるのか…?)
 リングの仕事人にしては随分遊び心のある行為だが、
 中森の言う”仕事”には、プロらしく観客を楽しませることが含まれているのかも知れない。
 当然、近藤は乗った。
 左ジャブ数発からストレート、離れ際にローキックを放つコンビネーションだったが、
 中森はジャブを左手で払い除け、頭を振ってストレートを躱すと、足を上げてローを切った。
 代わって今度は中森から左右のワンツーで飛び込んでくると、
 身を屈めて避けた近藤が、そのままの姿勢から両足タックルへ。
 といって寝技を仕掛ける気は無いため、マウントポジションを狙うでもなく、
 膝立ちの姿勢からそのまま右腕を振りかぶった。
 同時に、近藤の胴を挟んでいた中森の両足の位置が徐々に上がっていく。
「っ!」
 近藤の右が避けられてマットを叩いた次の瞬間には、もうその腕が三角締めに取られていた。
 が、近藤は落ち着いてロープに足を伸ばしエスケープ。
 おお…、という満場の溜息に包まれながら、両者は再び立って向かい合った。

 ここまでは、言ってみれば挨拶代わりのようなもの。
 直後、「遊びは終わり」とばかりに近藤が強烈なミドルキックを連続で叩き込むと、
 試合は一気に加熱する。
 まずは中森をコーナーに追い詰めた近藤が、対角線に振って突進。
 走り込んだ勢いそのままでコーナー脇のサードロープに左足を掛け、
 高く上げた右膝を中森の顔面にぶち当ててから、さらに頭を小脇に抱えて前方に飛び、
 ブルドッキングヘッドロックで叩きつける。
 対して中森は蹴り足を掴んでのドラゴンスクリューで反撃。
 即座にアキレス腱固めに移行すると、これを裏返して逆片エビ、
 そこで最後に首も捕まえてSTFを極め、近藤に呻き声を上げさせた。
 互角の展開はしばらく続き、近藤が相手の足の付け根を踏み台にしての延髄斬りを見せれば、
 中森は正調の延髄斬りで蹴り返し、中森のエクスプロイダーには近藤が裏投げで投げ返す。
 そんな一進一退の攻防に転機が訪れたのは、試合時間が十分を過ぎた頃。
「…ハッ!」
 近藤が、ダブルアームスープレックスの体勢で持ち上げながら、
 前方に出した右膝にバックブリーカーの形で中森を落とした。
 流石の中森も一瞬息を詰まらせ、背中を反って硬直する。
「決めるぞっ!!」
 ここで一気に勝負に出た近藤は、無理に立たせた中森をうつ伏せで肩に担ぎ上げ、
 そのまま前に放り投げた。
 そして体が宙に浮いて無防備なところへ、右の膝蹴りを顔面に思い切り突き刺す――
 というのが、近藤にベルトを取らせた絶対の必殺技。
 が、中森はこれに返し技を考えていた。
「くっ」
 片手で顔をカバーして膝を受け止め着地、即座に右の足首を取る。
 アキレス腱を喉笛に見立てれば、スリーパーホールドと同じような感じで左腕を巻き付け、
 自分の右手首を掴んだ。
 さらに右手で相手の爪先を掴んで固定し、左手首をテコにして捻る。
「ぐあぁッ!?」
 瞬時に攻守を逆転された近藤は、痛みから逃れるため、
 自然とうつ伏せになってマットを這った。
 右足だけが中森によって浮かされ、足首は胸元でしっかり抱かれている。
「こ…の……ッ!」
 近藤は自由な上半身を使ってロープまで這おうとするが、
 その度に中森が足を引っ張ってリング中央に引き戻し、
 最後には自分からマットに寝、両足を近藤の右足に絡ませて動きを封じた。
 もちろんその間も捻る力は抜かない。
「うああああッ……!!」
 それでも近藤は諦めなかった。
 中森を引き摺ったまま、少しずつロープまで這っていく。
 折る・曲げると違って「捻られた」足首には痛みと一緒に妙な不快感があり、
 顔中にどっと脂汗が滲んだが、それでもなんとか近藤はサードロープに手を掛けた。
 中森はさっと手を放すと、ロープを使ってよろよろと立ち上がる近藤を無表情に眺め、
 立つと同時に容赦の無い攻めを再開する。
 足を痛めた近藤は、一方的に受けるしかない。
 痛みを押して蹴りを放っても、足首を掴む形のドラゴンスクリューに切って取られ、
 すぐに反撃の芽を摘まれる。
 ただ、それでも決して諦めることだけはしなかった。
 
 逆転のチャンスが訪れたのは数分後。
(この拳に、全てを賭ける…っ!)
 仰向けになったところへ、足を取りにきた中森を蹴り飛ばして離すと、
 近藤は拳を握って立ち上がった。
 足に力が入らない以上は、手を使うしかない。
(バックブローか)
 中森から見ても、当然狙いは明らかだった。
 この期に及んで、力強く自分を見据えてくる後輩には敬意を覚えたが、
 そんなことで仕事人の手は緩まない。
 次で近藤の粘りを断ち切るために、中森はスッと一気に距離を詰めた。
 直後、飛んで来た裏拳を屈んで躱す。
 近藤の裏拳が、中森の頭上を音を立てて通り過ぎ、
 避けられた近藤がバランスを崩してよろける。
(終わり…!)
 が、中森が前進しつつ体を起こそうとした瞬間、
 よろけるのも構わず、そのままもう一回転した近藤の拳が頬を殴りつけた。
「がっ…!」
「当たった!?」
 近藤は、痛みを痛みで忘れるために、わざと右足で思い切りマットを踏み込む。
 すぐに左のフックで追い討ち、さらにそのまま拳を戻して左裏拳、
 左足に踏み替えて右ハイキック。
 中森はふらついたが、まだ倒れない。
「まだまだッ!!」
 近藤はさらに気合を入れて痛みを消すと、
 左右のボディからフック、右バックブローからもう一発ハイキック。
 これでも倒れないと見るや、ロープに飛んでの飛び膝蹴りで中森を吹き飛ばした。
「今度こそ!!」
 再び中森を必殺技の体勢に担ぎ、前に放り投げ、右膝を突き上げる。
 諦めなかった近藤が、それまで防戦一方だった鬱憤を最後に爆発させた。


「ありがとうございました」
 ゴングが鳴り、一旦離れてぐったりした後、
 近藤は中森に這ってにじり寄り、顔を覗き込んでお礼を言った。
 本当は手を引いて立たせたりしたかったが、まず勝者の自分が立てないのでは仕方がない。
「ん………」
 顔を蹴られ殴られしたせいで口の中を切ったのか、中森は喋るのが物憂いらしかった。
 ただ左手で近藤の頬をそっと叩くと、自力で立ち上がり、一人でバックステージへ戻って行った。
(一体どっちが勝ったんだか)
 その後姿を、近藤はロープにもたれかかって見送る。
 まだまだ修行が足りない。
 近藤は、声援に手を挙げて応えながら、自分を戒めた。

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by right-o | 2008-09-18 21:34 | 書き物