「アルティメットXマッチ」 杉浦美月VSジョーカーレディ

「たまに遊びに来ます」
 引退する選手は、大抵そう言って去っていく。
 そして実際、たまに道場にやってきては、
 まず後輩をからかってから社長室に寄り、昔話をして帰るようになる。
 そんな時、もちろん当人の現役時代のことや、
 印象に残っている試合についての話になることも多い。
 
 この日は、杉浦美月が来ていた。
 


『You're…you're…I am, I am…』
 耳に残る歌詞と単調なリズムのエントランスミュージックに乗って、
 普段通り美月は入場口へ姿を現した。
 目深に被ったフード付きジャケットの前から、
 赤で大きく「X」の文字が描かれたベルトがのぞいている。
 これこそが、今から始まる試合を象徴する代物だった。
 このベルトに挑戦する資格は、とにかく「過激」であること。
 体格もキャリアも年齢も関係なく、
 ただただ凄まじい試合を繰り広げるレスラーだけで争われるベルトである。
 美月は、六角形のリングに飛び入るなり上着とベルトを脱ぎ捨て、
 狭いコーナー間に張られたロープにもたれかかって上を見上げた。
 視線の先、普段なら何も無いはずのリング上空に、今夜は異様な光景が広がっている。
 そもそもリングの形からして普通ではなかったが、
 さらに六角形リングの六つあるコーナーの内向かい合う四つに隣接して、
 地上から高さ約4m程もある金属の太い骨組みが立っており、
 その頂上から、それぞれ向かい合っている別の骨組みへ向けて1本ずつ赤いロープが渡され、
 それら2本のロープが、ちょうどリング中央上で交差しているのだった。
 交差している地点からは赤い「X」のオブジェクトがフックで吊り下げられており、
 先にそれを奪った方が勝ちになる。
(高い……)
 裸眼の視界の中で、マットから大体3m上に離れた位置にある目標物がぼやけて見える。
 幾度となく壮絶な防衛戦を行ってきた美月にとっても、この試合形式は初体験だった。

 続いて、バン、バン、バン、と3回続く銃声からジョーカーレディの入場が始まる。
 西部劇の列車強盗のように黒いバンダナを頭と口元に巻いて目だけを出し、
 コスチュームとフェイスペイントまで黒で統一した出で立ちで、挑戦者ジョーカーが入ってきた。
 低音ながらラテンのリズムが混じった音楽に合わせて、やや体を揺らしながらリングを半周すると、
 マントとバンダナを脱ぎ捨ててエプロンに上がり、
 トップロープに両手を乗せ、客席を向いて大きく胸を張った。
「フ……」
 そのままゆったりと腰をくねらせ、しばし男性客の視線を独占する。
 わざわざ海外から招かれたこの挑戦者には、危険な試合への気負いは全く感じられない。
 彼女もまた、行き過ぎと言われるぐらい危険な試合を好むレスラーである。
 


 ゴングと同時に双方が殴りかかって試合が始まった。
 まずは体格に勝るジョーカーが、手袋ではなく黒いバンテージを巻いた右腕で美月を制したが、
 美月の方もロープに振られた際に振り返して反撃に移る。
 跳ね返ってきたジョーカーをリープフロッグで高々と飛び越えると、
 そのまま振り返らずにマットへ体を横たえて跨がせ、
 もう一度前方のロープから戻ってきたところに打点の高いドロップキック。
 単純な動きながら、目にも留まらないほど素早く行われる一連の動作は、
 立派な美月のオリジナルムーブとして認識されている。
「…いきますっ」
 しかし、控えめな気合いをかけた美月が引き起こしにかかった途端、
 うつ伏せから跳ね起きたジョーカーが片足だけのドロップキックで逆襲。
 続けてロープに振ってから、やや荒っぽくバックエルボーで体をぶつけて倒し、
 手近なコーナーまで引っ張っていってストンピングを浴びせる。
「よく見ておけよ!オマエ達のチャンピオンも今日で見納めだ!」
 コーナーにもたれかかってダウンしている美月の横顔へ、
 叫びながら低空のニーアタックを突き刺した。
「ちっ」
 美月も引かない。
 ロープを掴みながらよろよろと立ち上がって攻撃を誘うと、
 すかさず追撃してきたジョーカーをショルダースルーで跳ね上げてエプロンに立たせ、
 間髪入れずにロープ越しのオーバーヘッドキックを叩き込んでリング下に落とす。
「ハッ!」
 すかさずリングの反対側に向かうと、六角形の緩い角を利用してロープ際を走り込み、
 ロープを横に跨ぐ形のその場飛びシューティングスタープレスでジョーカーに襲いかかった。
 ここまでくると、端から見ている分にはシューティングスターとムーンサルトの区別がつかず、
 むしろ走り高跳びの背面跳びをやっているようにも見える。
「…やるじゃないか!」
 と、今度は再びジョーカーが対抗心を燃やす番。
 美月にもたれるようにして立ち上がる途中、正面から腰に取り付くと、
 強引に場外フェンスに押し込んで美月の背中を打ち付け、まずは動きを止める。
 そして自分はリングに戻って反対側のロープへ走り、反動をつけてトップロープの下をすり抜けた。
 ここまでは、トペ・スイシーダの軌道に見える。
 が、ジョーカーは美月の目前で背中を丸め、トペ・コンヒーロの形で突っ込んできた。
「どうだ!?これはマネできないだろうッ!!?」
 またも場外フェンスとジョーカーの体に挟み潰された美月を尻目に、
 勢いでフェンスを乗り越えてしまったジョーカーは、実況席の上で立ち上がって観客を煽り倒す。
 それでも、内心では両者揃って相手の力量に舌を巻く思いだった。


 まともに戦っていては埒があかない。
 当初、まず相手を完全に叩きのめしてから目標物に向かう算段を立てていた二人は、
 同時に作戦を転換させた。
 実力が伯仲しているならば、正面からぶつかり合うことを避け、
 とにかく相手の隙を突いて「X」を奪取した方が得策だと考えたのだった。
(どんなものか、とりあえず登ってみるか)
 場外で美月の動きを止めたジョーカーが、まずは骨組みに手をかけて登り始めた。
 隣接するコーナーポストの高さを超えて楽々と頂上付近に近づくと、
 上に張られている赤いロープに飛び移り、それを両手で掴んでぶら下がりつつ腕を交互に進めて前進する。
(意外と簡単なものだ)
 一旦はそう思ったジョーカーだったが、実はごく単純な問題を見落としていた。
 「X」は二つのロープが交差する中心点にフックで吊られているため、
 これを外すためには手を使う必要があったのだ。
 このため、中心まで来た彼女は、両足を持ち上げて「X」の向こう側のロープに引っ掛けて体を固定し、
 下から見れば目標物をお腹で抱えるようにしてフックを外す作業にかからなければならなかった。
「チッ」
 両足と左手でナマケモノか何かのようにしてぶら下がり、右手一本で行う作業は意外に面倒くさい。
 そして当然、邪魔が入る。
 掴んでいるロープがぐんと沈むのを感じたジョーカーの背後に、
 同じ方向から登ってきた美月が迫ってきていた。
 美月は、右足を上げて背中に蹴りを入れると、
 空中で仰向けになっているジョーカーの首を小脇に抱え、そのままロープから手を放した。
「!?」
 美月がリバースDDTを仕掛ける形で、二人はマットに向かって3mほど落下。
 これには流石のジョーカーも、後頭部を押さえてのたうち回ることになった。
「よし……!」
 美月が、満を持して骨組を指さすと同時に、
 客席は彼女を後押しする声援で一斉に沸いた。
 その声に突き上げられるようにして、美月はするすると鉄の骨組みに手足をかけて登っていく。
 ただし先ほどのジョーカーと違って、下からロープに飛びつくのではなく、
 一旦骨組の頂点まで行って立ち上がる。
(これは……) 
 予想以上の高度を感じた。
 元々視力がよくないことに加え、恐怖感なり高揚感なりが手伝っているのか、
 地上の風景は完全にぼやけてしまっている。
 それでも、白いマットの上で黒い影が少しずつこちらへ這ってきているのはわかった。
(やるしか、ないっ)
 唇を噛んで、引きつっている自分の顔面を引き締めると、
 美月は、ロープの上に一歩、足を進めた。
 下から足を引っ張って邪魔をされないためにロープ上を綱渡りすることを考えた美月だったが、
 通常の試合をやっていた昔なら、絶対にこんな馬鹿なことは考えなかった。
 与えられた条件で、如何に凄いモノを見せるか。
 無意識の内にそんなことを考えてしまうような、既にそういう種類のレスラーになってしまっている。
 当然、こんな方法は成功しなかった。
 三歩、美月がリング中央に向かって恐る恐る足を運んだところで、
 美月が登った骨組に隣接するコーナーの上から、復活したジョーカーがロープを掴んで引っ張ったのだ。
「うわわわっ!?」
 情けない悲鳴と一緒に足を滑らせた美月は、逆さまになりながらも、
 なんとか両足を絡めて落下だけは免れた。
「いい眺めだな」
 自分の方を向いて宙吊りになっている美月を、
 ジョーカーは両手の親指と人差し指で作った四角いフレームに納める。
 自ら足を放して墜落しない限り、美月はもうジョーカーの好きにされる意外にない。
「さあ覚悟しろッ!!」
 コーナーからジャンプしたジョーカーは、
 ぶら下がっていた美月の後頭部を鷲掴みにして落下した。
 このあり得ない高さからのジョーカーアタックには、
 今まで大歓声を送ってきた観客達ですら、一旦声を失うしかない。
 
 しかし、本当の盛り上がりはここからだった。
 美月を完全に沈黙させたはずのジョーカーだったが、
 悠々と下からロープを渡っていたところで足を掴まれて引きずり下ろされると、
 動かないはずの美月がトーキックからカナディアンデストロイヤー。
 が、初体験の前転パイルドライバーを受けながらも、
 すぐさま立ち上がったジョーカーは直後にグリンゴキラーで逆襲する。
 その後は流石に、二人とも暫くダウンしていたが、
 両者共にもう痛いものを痛いと感じなくなっているのか、
 それぞれさらに断崖式スタイルズクラッシュ、雪崩式のグリンゴキラーという
 殺人技を交換しあった。
 

(終わったら、無事じゃ済まないんだろうな)
 エプロンに寝転がった状態から、ようやくサードロープを掴んで起き上がった美月は、
 首に明らかな違和感を感じていた。
 コーナーから、二人分の体重を乗せて首で着地させられたのだ。
 興奮しているせいで、まだ痛いとは感じないが、
 このまま横になってろ、という警告を身体が発している気がする。
 さらに気分が落ち着くにつれて、自分の周囲に渦巻いている大歓声が耳に届いてきた。
 もう十分にやり切った、という気持ちもある。
 だが、
(最後は、自分が見せ場を作りたい…!!)
 そんな思いが、美月に体中の余力を振り絞らせた。
 エプロンからリング内を向いて立つと、
 もはや勝利を確信し、ロープをリング中央に向けて進んでいたジョーカーに照準。
 汗と疲労も相まってほとんど役に立っていない視界の中で
 ゆらゆら動く黒い塊を、力一杯睨みつけた。
 直後、リングの端を蹴って飛び上がり、トップロープをジャンプ台にして、
 空中のジョーカーに向けてもう一度跳躍。
「なッ!?」
 全く無防備なジョーカーの横っ面に右前腕を打ち込んで叩き落とすと、
 同時に左腕を精一杯上に伸ばした。
「くっ」
 中指と人差し指だけがなんとかロープに引っ掛かり、
 勢いのついた自重が一瞬、二本の指に集中する。
 それでも、すぐ右腕に持ち替えてなんとか身体を持ち上げると、
 目の前にあった「X」を左手で取り外し、
 それを抱くようにして落下していった。

 最後の受け身を背中で取り終えた瞬間、美月は全身から力が抜けるのを感じた。
 体中が一箇所も残さずに痛く、もう指の一本さえ自力で動かす気がおきない。
 首が自然に横を向いた先に、同じように倒れていたジョーカーと目があった。
 顔は、笑っているように見える。
「自分たちにしかできないことをやった」
 そんな感慨がある。
 ついさっきまで戦っていた相手に対して、
 抱き合いたくなるような衝動が起こった。



「あったねぇ…」
 秘書と美月とぬいぐるみは、遠い目をしながら一斉に湯飲みをすすった。
「ただ、あれで引退したようなものですけど」
 そう言って美月は首をさする。
 キャリア最晩年を飾ったあの試合のあと、ほどなく美月は引退した。
「でも、同時に後釜が見つかったのはありがたかったですね」
「ああねぇ」
「いやまあ、アレに私の代わりが務まるかどうかは…」
 珍しく美月が軽口を叩こうとしたところで、
 半開きになっていたドアがコンコンとノックされた。
「引退した選手と喋ってるヒマがあったら、もっと現役のことを構ってくれないか」
 ペイントを落とした素顔のジョーカーが、半身を部屋にのぞかせていた。
「一体いつになったら、あのベルトの新しい挑戦者を探してきてくれるんだ?
 それとも、この小さい先輩が、もう一度ワタシの相手をしてくれるのかな」
 つかつかと部屋に入って来て、座っている美月の頭の上に後ろから肘を乗せて頬杖をつく。
 ベルトも、団体内の位置づけも、あの試合の後で雇われたジョーカーが、
 全て美月の後を襲ったのだ。
「ふん…」
 悔いなく現役時代を終えたはずの美月に、少しだけ若さへの未練が芽生えた。 

web拍手を送る

[PR]
by right-o | 2008-09-08 23:22 | 書き物