「キャトルミューティレーション」「スコーピオライジング」 成瀬唯VSドルフィン早瀬

 とある団体で行われたワンナイトトーナメント。
 大きな興行の谷間、中規模な会場で催されたイベントにしては、
 場内はなかなかの盛り上がりを見せていた。
 というのも、参加している選手の誰もが普段とは異なる雰囲気を漂わせ、
 みんな一様に気合に満ちていたからだ。
 理由は、金。
 優勝者には複数のスポンサーから合計で7ケタの賞金が出る。
 選手達だって人間であるからには、
 「負けられない」とか「強くなりたい」という崇高な想いよりも、
 目の前のニンジンの方が、短期的なモチベーション向上には余程効果があるようだった。

 そんな中で決勝まで駒を進めたのは対照的な2人。
 その一方、赤コーナーを背負った成瀬唯は、
 この日3試合目とは思えないほど落ち着いた表情で、
 汗ひとつかかずに対角線上を見つめていた。
 成瀬はこれまでの2戦とも、
 賞金目当てに気合が空回りしている対戦相手の勢いを巧みに利用して
 丸め込みで勝利を収めてきたため、消耗は少ない。
 対して、反対側のコーナーに立っている早瀬葵は見るからに満身創痍であった。
 1回戦、2回戦それぞれでキャリアが上の選手と対戦し、
 それも真っ向からのぶつかり合いを気力で制してきたのだ。
 しかし、そんなボロボロの状態で決勝のリングに臨んでなお、
 瞳だけは1試合目から変わらず、爛と輝いたままである。
「やっぱ、早瀬か」
 成瀬にしてみれば、早瀬が上がってくるということは予想の範囲内だった。
 早瀬の家庭の事情を知っているだけに、
 賞金がかかった試合にかける意気込みが普通でないことは容易に想像できた。
「ただし」
 呟きながら、成瀬は自分の両頬を軽く叩いてコーナーを離れた。
「賞金が欲しいんは早瀬一人やないからな。堪忍や」
 この2人、レスラーになった動機だけは少し似ている。


「てえぇぇぇッ!」
 ゴングと同時につっかけてきた早瀬のエルボーを受けるなり、
 倒れた成瀬はごろごろとリング下に転がって逃げた。
 そしていかにも痛そうに顔をおさえたまま、戻ろうとしない。
 しびれを切らした早瀬が追ってくると、そこで素早くリングに戻る。
「早よ上がりや!」
 むっとした早瀬がエプロンに上がったところで、
「ヤッ!」
 と、早瀬が立っている隣の面のセカンドロープに一度飛び乗り、
 ロープ越しに三角飛びのドロップキック。
 エプロンから落ちた早瀬は背中をしたたか鉄柵に打ち付けた。
「痛った…!」
「ほら、さっさと場外カウントやろ!」
 すかさずレフリーを急かしてカウントを急がせる。
 基本的に真っ正直な上に賞金のことで周りが見えなくなっている早瀬など、
 成瀬にとって手玉に取るのに何の苦労も無かった。

 その後も成瀬は、遮二無二向かってくる早瀬をのらりくらりと避けながら、
 相手の苛立ちと攻め疲れを待った。
 そして頃合かと思ったところに、突然リング中央での打撃勝負を挑むと、
 ようやく訪れたチャンスに勝負を焦った早瀬のハイキックを読み、水面蹴りで軸足を刈る。
 低い姿勢のまま、ぺたりと尻餅をついた早瀬の背後に回り、
 両肩をタイガースープレックスの形に捕え、
 そのままの状態で背中から前方にジャンプ。
 くるりと前に一回転して両足で着地すると、相手の両肩と首を極めたまま橋が架かった。
「えっ……!?」
 流石の早業に、仕掛けられた方の早瀬は何が何だかわからない。
 そんなことよりも、首が成瀬の体重で圧迫されていることの方が重要だった。
 加えて肩も外れそうに痛いし、
 両足を広げて座った状態から背中を押される形になっているため、
 同じ型の柔軟体操のように地味ながら足の筋も痛い。
 早瀬の体がもう少し硬ければ、即座にギブアップしていたかもしれない。
「どーや。さっさとギブアップし」
 成瀬の声は頭の上から聞こえる。
「や、やだ……!」
 声をかけながらも、成瀬は身体を上下させて痛みを増加させている。
「でもこれは抜けられんで。意地張って怪我しても仕方無……」
「やだ、やだ…!今度、テレビ、買って帰るって…約束…したもん……!」
 テレビがそんなにするかい、と成瀬は一旦思ったが、
 確かに普段の給料からではちょっとキツイかも知れない。
 地デジ対応に買い替え時か、とつい余計なことまで考えてしまう。
 そんな時、一瞬早瀬の力がふっと抜けた。
(落ちたか?)
 そう感じた次の瞬間、
「うわあああああ!!!」
 最後の力を両腕に込めた早瀬は、
 成瀬の虚を突いて強引にクラッチを解いて振り払った。
「なにっ…!?」
 2人ともすぐに立ち上がったが、早瀬はやはり関節技が効いていたらしく、
 両肩を抱くようにして顔をしかめている。
「今の内やっ!」
 と成瀬が飛び掛ると同時に、早瀬は身体を回転させて成瀬の腹部にソバットを叩き込んだ。
「ぐぉっ…!?」
 思わず前傾したところで、さらに後頭部へ踵落しをくらい、成瀬はマットを這わされた。
 今度は自分が勝負を焦ってしまったのだ。
(でもまだ、立てるッ!)
 必殺技の踵落しを決めたからには、
 早瀬がフォールにくるものと思っていたが、そんな気配は無い。
(となると、起きるのを待ってるか…?)
 両手をついて身体を起こし、右膝を立てて立ち上がろうとしたところで早瀬が動いた。
 軽く助走をつけて膝立ちの成瀬に突進してくる。
 この体勢の相手に仕掛ける技といえば――
「シャイニングウィザードかっ!?」
 すかさず成瀬は両腕で顔面をブロックした。
 しかし、早瀬の左足は成瀬の右膝に乗ったものの、
 肝心の右足は成瀬の側面を音を立てて素通りし、高々と真上に掲げられる。
(しまった!?)
 そう思った時には早瀬の右踵が成瀬の頭頂部を捉えていた。
「勝っ、た…?」
 成瀬と同時に、シャイニング式の踵落しを決めた早瀬の方も体勢を崩して倒れこむと、
 這うようにしてなんとかカバーに入る。
 これでようやく、賞金は格闘孝行娘のものとなった。


「ちーちゃん、見てる!?テレビ買って帰るからねっ…!!」
「録画放送やっちゅうねん…」
 涙ながらにカメラに向かって喋っている早瀬に向かって、
 成瀬は頭に氷をあてがいながらツッコミをいれた。
 自分に打ち勝った早瀬の執念を認める気持ちもあったが、
 それを呼び起こした原因を考えると、
「世の中、銭やなぁ……」
 というふうに、成瀬は思わずにいられなかった。
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by right-o | 2008-07-31 00:02 | 書き物