「スパイシードロップ」「ベストムーンサルトエバー」マイティ祐希子VS武藤めぐみ

 大健闘と言ってよかった。
 キャリアでいえば遥か高みの存在と言えるマイティ祐希子相手に、
 武藤めぐみはここまで一歩も引かずに闘っていた。
 試合は事前の予想通り、空中戦を交えた凄まじいハイスピードバトル。
 祐希子がリング外へ落としためぐみに、セカンドとトップロープの間をすり抜ける
 常識外れのトペ・コンヒーロを見舞えば、
 めぐみはトップロープを蹴ってのラ・ケブラーダでやり返す。
 スピードと飛び道具に関しては互角と言えた。
「…ヤッッ!」
 試合も15分を迎えた頃、ニュートラルコーナー上に座らせた祐希子に正対して、
 同じコーナーから伸びている2本のトップロープの上に立っためぐみは、
 小さな気合と共に飛び上がり、
 両脚で祐希子の頭を挟み込んで落下しながら後方へ投げ捨てた。
 雪崩式のフランケンシュタイナー。
 大小二つの落下音がマットを震わせた後、一回転して宙を舞った祐希子も、
 技を仕掛けた方のめぐみも、ひとまず力を使い果たして横たわったまま、
 暫く起き上がれそうにない。
 少なくとも客席からはそう見えた。
「ハァ、ハァ……」
 しかし、湧き上がる声援の中で注意深く耳を澄ませてみると、
 いかにも消耗しているという感じの荒い呼吸音は一つしか聞こえてこない。
(やるようになったわね…)
 コーナートップから足で放り投げられた祐希子は、後輩の成長を冷静に受け止めていた。
 落差こそあったものの、
 めぐみの危な気ない綺麗な投げに対して完璧な受身を取った祐希子は、
 既に呼吸を整えてある程度の体力回復を済ませつつある。
 この辺りを経験の差というのかもしれない。
(でも、そろそろやり方を変えさせてもらうわ)
 団体のエースとして数限りない死闘を経てきた祐希子には、
 それだけ“引き出し”が多い。
 普段の試合におけるスタイルとは別の、
 ここ一番における選択肢の数は今のめぐみの比ではなかった。
「ハァ……グッ……!」
 一方、ここを勝機と見ためぐみの方も、体力の足りない分を無理矢理気力で補うことで、
 なんとか重たい体を持ち上げようとしている。
 祐希子よりも早く立ち上がりたい一心で、膝をつき、
 祐希子を投げたコーナー近くのロープを掴むと、
 もたれるようになりながらもなんとか両足で立ち上がった。
(ここで一気に決めるしか、ない…!)
 リング中央でようやく立ち上がりつつある祐希子を見下ろしながら、
 右脚を前に出した状態で半身に構えて待つ。
 いつの間にか呼吸も整い、
 めぐみは祐希子の頭を蹴り飛ばすことだけに意識を集中していた。
 祐希子は、仰向けの姿勢からまず上体を起こすと、
 体をねじってめぐみの方を向きながら両手と膝をついて立ち上がろうとしている。
 その両手がマットを離れ、膝が伸び、祐希子の顔が上がった瞬間、
「ッ!」
 声にならない気合を発しためぐみは、一瞬短くサイドステップして距離を詰めると同時に、
 祐希子の顔面目掛けて渾身のトラースキックを放った。
「甘いっ!」
 それに対して祐希子の方もほとんど声にならない声を口中で呟くと、
 めぐみの蹴りを姿勢を下げてかいくぐり、背後に回る。
「えっ!?」
 めぐみは、避けられたことに動揺する間もなく、不意に背後から首の辺りを掴まれると、
 突然不快な浮遊感に襲われた。
「よいしょ、っと!」
 一息にめぐみをアルゼンチンバックブリーカーの体勢に担ぎ上げた祐希子は、
 すぐには次の行動に移らず、そのままの姿勢でコーナーから見た位置関係を測っていた。
 結局、ギリギリの部分でめぐみは祐希子の余裕を奪うまでには至らなかったのかもしれない。
(まずいッ…!)
 というのは、誰の目にも明らかである。
 肩の上で、正に俎上の魚のようにバタバタと必死に抵抗しているめぐみを余所に、
 位置の確認を終えた祐希子の方は、
 いよいよ投げ落とそうとめぐみの顎にかけた腕に力を込めた。
「ええいッ!!」
 仰向けに固定しためぐみの頭の方を下に傾けるようにして、
 一気に体を捻り、顔面からマットに叩きつける。
「ぶっ!?」
 予期しない落とされ方をしためぐみは、受身の取りようもないままに、
 顔→胸→胴の順番でべしゃりとうつ伏せに着地し、完全に沈黙してしまった。
「終わりっ!!」
 動かないめぐみを転がしてうつ伏せに直し、同時に微妙に位置を調整すると、
 祐希子はコーナーに向かい合って一瞬静止。
「ハッ!」
 そして両足でジャンプすると、
 コーナー脇のセカンドロープを踏み台にして一気にトップロープにまで飛び上がり、
 そのまま間髪入れずにムーンサルトで宙を舞った。
(う………?)
 ボーっとする頭で天井の照明を眺めていためぐみの視界に黒い影がよぎったかと思うと、
 次の瞬間には祐希子の重みを全身で感じさせられ、
 頭の方は嫌でもはっきりしてきた。
 が、流石にもう跳ね返す力は残っていない。
 めぐみの耳のすぐ側で、文句のつけようのない完璧な3カウントが数えられた。
「よっしゃ!やったな!!」
「めぐみ!大丈夫!?」
 2人は、片やベルトを肩にかけて喜びながら、
 もう片方は精魂尽き果てた様子でマットに横たわりながら、
 それぞれのパートナーに駆け寄られる。
 ひどくわかり易い勝敗の図式だった。
 この両者の絵が入れ替わるには、いま少し時間がかかるような気がする。
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by right-o | 2008-05-12 23:59 | 書き物