「三角締め」ボンバー来島VSフレイア鏡
少し前までは年に一度の大イベントだった武道館興行も、団体の規模が大きくなるにつれて、ただのシリーズ最終戦と同じ意味しか持たなくなり、同時に試合の組み方にも緊張感を欠くようになる。
今回の場合、まず絶対のメインイベントとして「マイティ祐希子VSビューティ市ヶ谷」が決定したが、セミ以下のカードはなかなか決まらず、直前まで大いに難航した。
結果としてなんとか対戦表は埋まったものの、その過程において最後まで他のカードから完全にあぶれてしまっていたのがフレイア鏡とボンバー来島の2人。
社長としては人気のあるベテラン2人を遊ばせておくわけにもいかず、とりあえずセミファイナルにシングルマッチという形で試合を組むことになったのだが、特に遺恨やテーマがあるでもないこの試合は、社長にとって今回の興行における不安の種になっていた。
しかし、いざ試合が始まってみると、社長は自分の心配が杞憂だったことをすぐに悟ることになる。
流石に両選手とも円熟期を迎えた大ベテラン。
他に訴えるものが無い場合、試合内容で客を沸かせるしかないことを知っている。
加えて、両者ともセミに試合が組まれて満足するタイプではない。
あわよくばメインの試合を喰ってやろうという欲をお互いが持っていた。
立ち上がりは珍しく来島が鏡に付き合う形で、腕の取り合いからグラウンドへ。
しかしそれも、1分ほど首4の字固めを決められ続けたまま晒し者にされた頃には我慢の限界を迎え、さっさとロープに足を伸ばして立ち上がると、3階席の後まで響くほどの逆水平一発でいつものスタイルの自分の試合に戻してしまった。
そして意地があるのかただの気まぐれか、今度は逆に鏡が来島に対して拳を返していく。
「…くっ」
女子プロレス界屈指の長身2人の打撃戦は、やはり腕力に劣る鏡が胸板を押さえてうずくまる形になったが、
「よっしゃ行くぞ!」
気合一閃ロープへ飛んだ一瞬後には、来島はカウンターのキチンシンクを受けてもんどりうっていた。
両者その後も一進一退の攻防を続け、20分を過ぎてから試合は佳境を迎える。
「うっ!?」
バシッ、という音がするほど強く、来島の右手が鏡の喉を掴んだ。
邪魔な鏡の右腕を自分の背後に回すと、そのまま腕一本の力だけで鏡を浮かせる。
「くらえ――!!」
高々と鏡を持ち上げてマットに叩きつけようとした瞬間、鏡の両脚がまるでそこだけ別の生き物のように動いた。
両脚は来島の首と右腕を挟みこむと、首の後ろで固く絡む。
完全に不意をつかれた来島は、鏡に引き込まれるように前のめりになり、中途半端に鏡をマットに落とす形になった。
「…迂闊だこと」
目論見通りに来島を三角締めに捕えた鏡が、自分の両脚に挟まれて苦悶する来島を下から見上げている。
ここ最近、来島は試合の流れを引き寄せたい場面でチョークスラムを多用していた。
そこが鏡の付け目になった。
単純な技だけにわかっていれば返すのは容易いのである。
「クソッ!」
来島の背後で、鏡の右膝が左の足首に引っ掛かる形で三角締めが完成しており、開いてる左手でどうもがいても外れそうになかった。
捕まっている右の腕や肩はさほどでもないが、鏡の太股が首を圧迫するため頭に血が上らなくなる。
「早目に諦めることね。もっともアナタが敗北を拒んだとしても、失神すれば同じことだけど」
「けっ、誰が失神なんてするかよ」
と、強がってはいてもやはり来島の状況は危機的だった。
一方鏡にしてみれば、目論見通りにコトが運んだ余裕か、まだ本気で来島を「落としに」きているわけでないようである。
「まだまだ時間は残ってるわよ。それまで少しづつ、虐めてあげる…」
「へっ…!」
腿の間から、心持ち上気したような気がする鏡の顔を睨みつつ、
(「オレが男なら喜んで気絶してやるだろうに」)
という下らない思考をしてしまうあたりは、実は来島にもまだまだ余裕があるのかも知れない。
そうこうしている間も絶えず、律儀なレフェリーが間近で『ギブアップ!?』という確認の声を発しながら来島の様子を窺っている。
それに対して何回目かに「うるせーよ!」と返した後のこと。
ふと、来島に一計が浮かんだ。
「おい……相手の肩がついてるじゃねぇか。カウントしろよな」
『え?』
レフェリーが鏡を見ると、技を掛けながらも確かに両肩がマットについている。
これは本来微妙なところで、人により団体により場合により判断は様々あり得るながら、今回この律儀なレフェリーはすかさずカウントを取りに行った。
『フォール!1!2!…』
「…っ!」
不意に攻めている側の自分がフォールカウントを取られ、咄嗟に鏡は体を傾けて左の肩を浮かせる。
今度は来島の機転が奏功した。
「うおおおおぉぉぉぉりゃぁぁぁ…!!!」
鏡が肩を浮かせると同時に、来島は渾身の力を込めて捕えられている腕を鏡ごと持ち上げると、なんとか自分の頭と同じぐらいの高さまで持って行き、再度自分からマットに膝をついてパワーボムの要領で叩きつけた。
観客からどよめきの声が上がったが、しかし鏡の脚は緩む気配が無い。
「くっ…!?」
先程までの余裕は消えたが、その分本気で締め落とす気になった様子で、股が固く硬直するのが首筋の感覚でわかった。
ただ締めるのに本気になった分受身には注意が回らなかったようで、高さの割にダメージはあった。
(「畜生、もう一度だ…!!」)
必死で意識を繋ぎとめつつ、来島は再度膝立ちから脚を踏ん張り右腕に力を込める。
鏡は鏡で、来島の意識を分断すべく、体中の力を両脚に込める。
「お、お、おぉぉぉぉ…!!」
歯を食いしばり、額から汗を噴出しながら、来島は腕につかまった鏡の体を徐々に持ち上げていく。
先程より高く、ほとんどパワーボムと同じ位置から、来島は、叩きつけるというより上体を前に投げ出すようにして鏡をマットに落とした。
その途中、既に意識は途切れていた。
他方、ドン、という鈍い落下音がリングを震わせた後、ほぼ2人分の体重を後頭部に乗せて落下した鏡の意識も怪しくなっていた。
両者もつれあって倒れたまま、全く動く様子が無い。
来島の荒技を見て沸きに沸いた観客達が、一斉に静まり返り、リング上で立っているただ一人の人間を注視する。
フォールカウントを取るのか、ダウンカウントを取るのか、はたまた両者試合続行不可能で引き分けか。
選手が死力を尽くした末、試合の結末は全てレフェリーの裁量に委ねられた。