30のお題 No3「はんそく=反則」

「……は?何ですって?」
「だから、私ヒールになりたいの!」
「その…、どうしてヒールになりたいのかしら?」
「社長が、綾はヒールになりなさい、って。それで、鏡さんに反則を教わりなさい、って」
「はあ、…そうなの」
 突然寮の部屋に押しかけて来た綾の、自分を見る真剣な眼差しを、鏡は持て余した。
 それに加えて、綾の言うことがわからない。
「(これ以上ヒールを増やしてどうするつもりかしら?)」
 今現在、この団体ではトップベビーフェイスのマイティ祐希子とパートナーのボンバー来島を共に怪我で欠いており、そのせいでヒール側が勢いを増して、団体の全てのベルトをヒール軍団が独占している状態にあった。
「(これは社長本人に聞いた方が早いですわね)」
 と、そう決めた鏡はじーっと自分を見上げている綾の頭に手を置いた。
「お話はわかりましたけど、これからもう一度社長のところで一緒に話を――」
「その必要はありません」
 半開きになっていたドアから、社長秘書、井上霧子が顔を出した。 
「社長は今、海外まで出張に出ているために不在です。私が留守を預かっています」
「うん!私もさっき、霧子さんから聞いたんだよ。社長が言ってた、って」
「霧子さんから?」
「ええ、私が伝えました。ただし理由などそれ以上のことは聞いていませんので、お答えできません。悪しからず」
「でも、それでしたら何も私に頼まなくても…」
「それはズバリ、鏡さんが次のシリーズ中に特に用事が無いからです」
「………」
 補足すると、鏡はヒールでありながら他と群れない独特の立場に立っていたことが災いし、ヒール軍団ともそれと抗争中の数少ない正規軍とも絡めず、マッチメイク上かなり扱いに困る存在になっていたのである。
「…ということは、シリーズ中に実際の試合の中で指導しろ、ということですわね?」
「そうなります」
「…わかりましたわ。やるだけやってみましょう」
「わーい!やったあ!」
「引き受けて頂いてありがとうございます。くれぐれも次期シリーズ中にお願いしますね」
「ね、ヒールってイスとか使ってもいいんだよね?」
 一体何がそこまで嬉しいのかというぐらい、無邪気にはしゃぎまわる綾を見て、鏡は早くも引き受けたことを後悔し始めた。
 

 かくして、次のシリーズからタッグを組んでの反則の実地指導が行われた。

 ブラインドタッチ。
パチン
「おい、タッチしたのか?」
「しましたわ。音、聞いたでしょう?」
「え~綾してないよ。鏡さん一人で手叩いてただけだもん」
「………」

 ロープを使ってフォール。
「フォール!1!2!…」
「鏡さん足出てるよ!ブレイクだよ~!」
「………」

 イス攻撃
「榎本さん、イスを!」
「は~い!え~っと…すいませーん!すぐ返すからお客さんのイス、借りてもいいですかぁ?」
「………」

 これらの他、フォールされていることにレフリーが気づかなければ丁寧に教えてあげ、ダウンしていれば親切に助け起こし、反則はカウントが入る前に手を離し、ロープ際では毎回のクリーンブレイク。
 鏡が何度教えてもこうなのである。
 しかし綾本人は鏡に教わるたびに目を輝かせて真剣に聞き入り、話が終われば自分はすっかり一人前のヒールになった気分でいる。
 流石の鏡も、綾のあまりの邪気の無さに、ヒールは向いていないなどと面と向かって言う気にもなれず、そのままずるずるとシリーズ最終戦まできてしまった。


 この日、「榎本綾ヒール転向記念試合」が組まれていた。
 相手はこのシリーズ中も猛威を振るったヒール軍団の一員、村上千春である。
「(この会社、本当に何がしたいのかしら…)」
 何故ヒール転向を堂々と記念しなければならないのか、そして何故その記念試合の相手がベビーフェイスではなくヒールなのか。
 綾と相部屋の控え室の中で、試合の組まれていない鏡はちょっと真剣にこの会社のフロントのすることについて考えていた。
「ねえ鏡さん鏡さん!」
「え?何かしら?」
「綾、一人前のヒールになれたかなあ?」
 いつの間にかウォーミングアップを終えた綾が、鏡の顔を覗き込んでいる。
「…え、ええ。もう私が教えることは何もありませんわ」
「そっかぁ!それじゃあ、練習の成果、見ててね!」
「ええ、頑張って…」
 控え室のドアを開けて出て行く綾を手を振って見送った後、
「(これで…よかったのかしら)」
 という不安な思いが段々と増してこようとしていた時、
ガチャッ
「失礼します」
 霧子が綾と入れ違いに控え室に入ってくると、そのまま鏡の向かいのパイプイスに腰を下ろした。
「ようやく社長と連絡が取れました」
「それで、社長は何て?」
「鏡さんのことを話すと、大変満足していらっしゃいましたよ」
 どこか含みのある微笑を浮かべている霧子を、鏡は不気味に思った。
「話した…って、どういう風にですの?」
「鏡さんがとても親切に榎本さんを指導してくださっている、と」
「……。それで、どうしてこれ以上ヒールの人数を増やそうとしているのかは?」
「さあ。ただ社長はこの試合を見れば、すぐにわかると言っていましたよ」
「試合…?」
 控え室のモニターに目をやった鏡は、映し出されている試合を見て目を見張った。
『アタシ達のマネしようなんざ、百年はえーんだよ!』
 そう言って千春が綾の顔をコーナーで足蹴にし、その背後ではしっかりと千秋が綾を固定しながら、こちらも罵声を浴びせている。
 始めからルールを無視した村上姉妹の二人掛りの反則攻撃に対して、綾は目を真っ赤にしながらも泣かないようにして必死に耐えていた。
「あの子っ!」
 イスを蹴って立ち上がった鏡に、こちらもいつの間にか立っていた霧子が自分の座っていたイスを畳んで差し出す。
「相手は二人ですよ。これを」
 鏡はイスを受け取ると、控え室を飛び出して花道からリングまで一直線に駆けた。
 幸い、試合が終わった後はリングに上がって綾の健闘を称える予定だったので、リングコスチュームには既に着替え終わっている。  
「このっ!」
 イスを持ったままリングに滑り込むと、まずは向かって来た千春の脳天を一撃し、続いてリング上に上がってきたセコンドのはずの千秋にイスを放る。
「えっ?」
 不意にイスを渡されて困惑した千秋の顔面を、スピンキックでイスごと蹴り飛ばすと、すぐさま鏡は綾の元に駆け寄った。
「大丈夫?」
「うん、平気だよ。これくらい、何ともないもん!」
 強がる綾の目元を拭って、立たせる。
 ブーイングの嵐から大歓声に包まれたリングの中から、鏡と綾は花道に逃げた村上姉妹と相対した。
「おい!何だよ同じヒール同士かと思って手ぇ出さずにおいてやったのによ。私達に刃向かったらどうなるか、これからじっくり教えてやるからな!!」
「フン、本当に弱い犬ほどよく吼えるとはこのことですわ」
 マイクの応酬に対して観客は沸きに沸いた。
 この日も正規軍はヒール軍団に対して不甲斐無い惨敗を喫していたために、観客が終始イライラし通しだったところに、これが今夜唯一の痛快事だったのである。
 が、しかし、
「(しまった―――)」
 当の鏡本人だけは、ここにきて心中は複雑であった。
 ようやく全てに気づいたのである。
 もはや鏡の目はマイクでがなりたてる村上姉妹を見てはいない。
 見ているのはその背後、花道の向こうで、舞台裏から顔だけを覗かせて笑っている―
「(社長にまんまとしてやられましたわ)」
 観客が、選手が、そして社長が待ち望んだ絶対的なベビーフェイスが、ここに誕生した。
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by right-o | 2007-09-22 00:23 | 書き物