「小物いろいろ」
リング上、美月の背後を取った相羽は躊躇無くジャーマンを放った。
一息で背後へ放り投げられ、美月は頭からマットへ真っ逆さま――と思いきや、
投げられた勢いのまま後方へ一回転して立ち上がる。
「……せぇッ!」
美月より遅れて立ち上がった相羽の脇へぴたりと張り付き、
お返しとばかりに半円を描く捻り式のバックドロップ。
相羽も頭から突き刺さったように見えたが、こちらも即立ち上がって渾身のエルボー。
美月も飛び掛かる様に肘を突き出し、二人はリング中央で交錯。
どちらもばったりと天井を向いて仰向けにダウンした。
「熱心なのはいいんだが、練習で頭から落とすのは感心しない」
道場のリング下、本番さながらのスパーリングを終えた相羽の後頭部を氷嚢で冷やしながら、
越後しのぶがやんわりと二人に苦言を呈した。
隣のベンチでは美月が、同じように神田から首筋へ冷却スプレーを噴射されている。
「すいません、つい熱くなっちゃって」
「すいません、ついイラッときて」
え、ちょ、と素直に凹んでくれる相羽が面白くてついこんなことを言ってしまう美月は、
すぐにウソウソとばかりに左手を振ってみせた。
「まあちょっと試合に近い感じで試したいことがあったので、
なるべく遠慮しないよう事前に和希さんに頼んでたんですよ」
「ひょっとしてそれか、試したかった物って」
べっ、と美月が口から出して端にくわえた物を見て越後が聞いた。
「……何それ?」
「あ、マウスピースですか」
元ボクサーの神田には当然見慣れたものである。
「そう」
美月はくわえていたマウスピースをタオルの上に吐き出した。
「噛み合わせをしっかりすることで普段以上の筋力を発揮できるとか聞いたもので、試してみました。
確かに効果があった……ような気がします」
マウスピースは、ボクシング等の格闘技においては口中の保護、
特に舌を噛むことを防止するために着用が義務づけられている。
だがそれ以外にも、美月の言うように普段以上の筋力ないし瞬発力を引き出せる効果もあるとか。
「ま、非力なもんですから、これぐらいの小細工はね」
そう言って美月は、プロレスラーのイメージとはかけ離れた自分の細腕を撫でた。
「と言ってもお前、この前の試合で神楽を投げ切っただろう。あれぐらいできれば十分だと思うが」
「あれは腕力というよりタイミングですから」
「あ、神楽さんって言えばさ、何か今日膝に巻いて歩いてたよ」
首を左右に回して具合を確認しながら相羽が口を挟んだ。
「膝って……この前の試合では痛めたような素振りはなかったですけど」
んー、と相羽は顎に人指し指を当てて思い出し顔。
「でも何かかなりガチガチに固めてるっぽっかったなあ。何て言うんだろアレ?」
「ひょっとしてニーブレイスじゃないですか?」
神田の言うニーブレイスとは、膝と周辺の損傷部位を固定するための装具である。
しかし美月が思ったように神楽は怪我などしておらず、
膝に装着したそれを凶器として使用することを企んでいるだけなのだが、
神楽が使うにはちょっと地味で陰湿な凶器かもしれない。
「ニーブレイスとか、まあテーピングもそうだが、
個人的にはああいうものをしたままリングに上がるヤツの気が知れない。
“ここが弱点です”って相手に向かって言ってるようなもんじゃないか」
「まあそれもそうですけどね」
「あ、そうそう、ところで前から思ってたんだけどさ、
神田さんってオープンフィンガーグローブは着けないの?」
「オープンフィンガーグローブですか……」
「うん。だってあれ着けたら拳で殴っても反則にならないんじゃなかったっけ?」
相羽に聞かれた神田はちょっと考えて答えた。
「私は元々ボクシングですからオープンフィンガーは慣れませんし、
……それに一応、プロレスで勝負しようと思ってますから」
「そうそう、パンチはここぞという時に使えばいいんですよ。安売りしてはダメ」
「といっても素手じゃ殴った方も殴られた方も無用な切り傷なんかをつけてしまうので、
バンテージは巻くようにしています」
「……同じことを柳生美冬に聞かせてやりたい」
神田と同じく強烈な打撃、特に蹴り技を使いながら、
あえて足に保護のレガースを着けない主義の柳生美冬。
恐らく自分の足は徹底的に痛めつける修練をしたことで既に痛みを感じないレベルなんだろうが、
蹴られる方は全くたまったものではない。
「その辺、凝る人間はリストバンドから靴下まで凝るからな。
ある意味それはそれでプロレスラーとして正しい姿勢だが」
「私も大事な試合では勝負ネクタイをするようにしていますよ」
さらっと冗談を言ってみた。
「っていうかさ、あれ何か意味あるの?何でコスチュームでネクタイなの?」
「いつかその内引っ張られたりするんじゃないですか?首締まって危ないですよ?」。
「実際あれ何なんだ?胸の谷間を強調してるのか?」
「……さあ」
本当のところ、デビュー時からそういう風に用地されていただけで、
美月も自身あれが何のためにあるのかは知らなかった。