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「チェーンデスマッチ」 杉浦美月対神楽紫苑

 美月対神楽戦の舞台となったのは、神戸ワールド記念ホール。
 立地から見れば神楽寄りの会場だが、特に観客はどちら寄りということもなく、
 これから始まる試合の形式と、そこで何が起こるかに期待している者が多かった。

 美月は普段どおりの無表情でリングに入り、
 神楽もまたいつものように薄い笑みを浮かべてロープをくぐると、
 向かい合った両者の左手首に皮のストラップが巻かれる。
 それは、ちょうどリングの対角線を結んでやや余るほどの長さの鎖で、
 両者を結びつけるためのものであった。
(重い……)
 見た目アルミのように安っぽく光る鎖であったが、
 その実かなり太い鉄の輪を繋げたものであり、人間の力で断ち切ることは不可能だろう。
 先月、柳生美冬を惨たらしく痛めつけたこの凶器が、この試合形式においては鍵となる。
 神楽からの提案を受け入れる形で実現したこのチェーンデスマッチであったが、
 流石の美月も、相変わらずの無表情とは裏腹に、内心では怖いものがあった。
 それでも王者として、また一プロレスラーとしての意地から、
 もうどうにでもなれという半ば自棄に近い気持ちでリングに立っているのであった。


 しかし一度ゴングが鳴ってしまえば、内面がどうであれ身体は動く。
 ゴングと同時、手早く左拳にチェーンを巻きつけて殴りかかってきた神楽の腕をかいくぐり、
 振り向きざまに顔面へのドロップキック。
 が、神楽はドロップキックを受けて倒れながら、
 左手のチェーンを短く持って自分からリング下へ転がり落ちる。
 勢い美月も左手に引き摺られる形で前に倒れ、そのまま場外へ引っ張り出されてしまった。
「ほらほら、どきなっ!」
 すかさず美月の首にチェーンを巻きつけた神楽は、最前列に座っている観客へ手を振って非難させ、
 チェーンを持って場外フェンス越しに美月を投げ飛ばした。
 客席のイスを薙ぎ倒しながら地面に転がった美月へ、神楽はさらにイスを投げて叩きつける。
 この試合、お互いをチェーンで繋ぐこと以外ほぼノールールであり、
 一応ギブアップと3カウントをリング上で行うことの他、何も反則にならない。
 完全に神楽の土俵と思われたこの試合形式で、まずは予想通り神楽が美月を蹂躙した。
 さらに床へボディスラムで叩きつけたあと、
 神楽は再度チェーンを使って美月を場外フェンス越しに投げてリング側へ戻し、
 サードロープの下から美月をリングへ転がし入れる。
 そしてリング内へイスを放り投げておいてから、観客へ悪態を吐く余裕を見せた。
 スキを窺っていた美月はここから反撃開始。
 左手のチェーンを一気に引っ張って手繰り寄せると、場外の神楽が不意に腕を引かれて体勢を崩し、
 リングの支柱に頭から激突した。
「おお……」
 間の抜けた格好でダメージを受けて頭を抱える神楽へ、
 美月はサードロープ下をくぐって場外へのスライディングキック。
「ちっ」
 場外フェンスまで蹴り飛ばされた神楽がチェーンを巻いて殴りかかってくるのを避けつつ、
 神楽が巻いているチェーンの根元を引っ張って引き寄せ、側面から抱きつくような形で密着。
「せぃっ」
 一瞬のタメのあと、捻り式のバックドロップに切って落とした。
 体格の問題から投げ技はあまり使わない美月だが、これぐらいのことはできる。
 横方向の回転で頭頂部から場外マットに激突した神楽はぴくりとも動かず、
 美月はこれを引き起こしてリングへ入れた。
 それから一度自分もサードロープをくぐってリングインしたあと、
 トップロープを飛び越える形でエプロンに立った。
(まだまだ、いける)
 場外でいいようにやられていた美月だが、効いてないというアピールも兼ねて飛び技を狙う。
 流石にチェーンをつけたままで450°スプラッシュは無理と判断し、
 神楽が立つのを待ってからトップロープに飛び乗った。
 だがこういう場合の神楽の頭の回転は早い。
 左手のチェーンを引くことでドロップキックを狙う美月の体制を崩し
 トップロープから前のめりになったところへジャンプして飛びつく。
 ちょうど抱きつくように、右腕を美月の左首筋に巻きつけ、掌で後頭部を掴んだ。
 そのまま空中から美月ごと後ろに倒れこみ、美月の顔面を肩越しにマット――
 ではなく、自分が投げ入れたイスの上に叩きつけた。
 それから間髪入れず裏返してカバーへ。
「……うぶっ!」
 カウント3寸前で美月が肩を上げると同時、激しい呼吸に跳ね上げられた血の霧が舞った。
 顔からイスの底に突っ込んだ美月は、額と鼻から流血。
「ちっ、綺麗に決まったと思ったのに」
 指を鳴らして悔しがった神楽は、それでもすぐ次の手に移った。
 倒れている美月の首へチェーンを巻きつけ、無理矢理に身体ごと引っ張り上げる。
 後ろを向いて背中合わせになると、チェーンを両手で掴んだまま美月を自分の背中へ担ごうとした。
 半ば生命を感じた美月は担ぎ上げられる寸前、
 自分が突っ込んだイスに足を引っ掛けて放り上げ、なんとかそれを掴むことに成功。
「あんまり意地を張ると、知らないわよ……!」
 そう言って神楽は、美月の首にかかったチェーンを思い切り両手で引っ張った。
 鉄の鎖が首へ食い込むと同時、美月は神楽の背中の上で必死にイスを両手で振り上げ、
 神楽の後頭部へ一撃。
 チェーンが緩んだところで、下半身を起こして神楽の上で後方に一回転。
 丁度神楽の頭を跨ぎながらマットに両足をつき、そのままマットを蹴って逆回転。
 身体に巻きついたチェーンを空中で乱舞させながら、
 前方回転式のパイルドライバーで神楽の頭ををマットへ突き刺した。



 3カウントを奪ったあとも、美月は暫く動悸が治まらなかった。
 試合に勝った充実感や達成感は無く、まだ恐怖とそれに対する反発が胸の内で渦巻いている。
 途中までは冷静でいられたものの、スワンダイブを切り返されて以降は死に物狂いであった。
 どうにか立ち上がってベルトを受け取り、両手で掲げて誇示すると、
 客席からは、拍手と歓声に混じってスクリーンに映った血だらけの顔にどよめく声が聞かれた。
 そして赤く染まった美月の裸眼の視界には、花道を歩いて来るいくつかのぼんやりした影が見えた。
(ああ、もういい加減に……)
 汗と血と視力ためにはっきりと見えなくても、大体誰かは想像がつくし、
 用件は想像する必要もなく分かっている。
 美月はうんざりしつつ天井を仰ぐ他なかった。

by right-o | 2012-08-16 00:13 | 書き物