美月対伊達の序章

 小細工を弄した美月が、伊達への挑戦権を手に入れてから三週間後。
 初めて単独で迎える最高位王座戦の舞台は、地元だった。
 ほぼ国内を統一状態にあるこの団体にとって、
 最高位ベルトが数千人規模の会場で争われるのは、ここ数年では異例のことである。
 しかし、挑戦者・美月の地元だからということで、この会場が選ばれたのではない。
 それは二次的な理由に過ぎなかった。
 大会場のメインとして据えるには、弱いカードだと思われたのである。
 美月だけでなく、王者・伊達の方も、仲間内での評価はともかく、
 トップレベルの人気という意味ではまだ疑問符がついていた。
 そしてまだ盤石とは言えないからこそ、
 敷居の低い内に挑戦しようとするレスラーたちが数多くいたのであり、
 同じことを考えていた美月としては、水面下のところで卑怯な手を使わざるを得なかったのである。

「勝てるわけがない」
 入場ゲートの裏、神田と一緒に待機していた美月は、誰に言うともなく呟いた。
「え……?」
 名実ともに、自分の数段上をいく王者へ挑戦することについての、紛れもない本心である。
 だが、同時に真逆のことも考えていた。
 たかが相手の肩を3秒床につけるだけのこと、誰が相手でも不可能なはずがない。
「勝つ必要もない」
 帰国後の勢いそのままに突き進んで来た美月にとって、この試合は試金石である。
 無様な試合をすれば、これまでの自分への評価は一変することになるかもしれない。
 しかし、だからといって全てを犠牲にして勝ちに拘る必要もない。
 何しろ、相当熱狂的な美月ファンを例外として、誰も勝つことを期待していないのだ。
 ある程度善戦できればそれで十分であった。
 ただそれでも、もちろん勝って悪いということは全く無い。
 そうなれば、美月は業界の一つの頂点を極めることになる。
「まあ、気楽に」
 最後にそう口に出して自分の思考を振り払い、美月は花道へと足を踏み出した。

 そう大きくない会場ながら、地元ならではの大歓声で迎えられた美月は、
 神田と同じデザインのガウンのフードを目深に被り、普段と同じ足取りで一歩ずつリングに向かう。
 直前でゆっくりとガウンを脱ぎ、かけていた眼鏡を横に放り投げてからロープを跨いだ。
 青コーナーのセカンドロープに上り、沸き立つ客席を軽く一瞥する。
 そこから軽く後ろに跳ね、振り返りながら着地。
 緊張や浮つきと無縁に振る舞う挑戦者は、この日も余計なことはせずゴングを待つ姿勢をとった。
 美月のテーマがフェイドアウトした瞬間から、会場は王者を呼ぶ声援に包まれる。
 哀愁漂うイントロが流れ始め、そこから一転して激しく曲調が変わったところで、
 団体最高位のシングルベルトを肩に掛けた伊達遥が姿を現した。
 数十年前の男臭いアニメソングと、それに合わせた『ハルカ』コールの中で歩を進め、
 リングの手前で見せつけるようにベルトを誇示。
 その後は美月を無視して赤コーナーに上り、再度ベルトを両手で掲げて見せた。
 一度入場ゲートをくぐれば、普段の人見知りはどこへやら。
 才能あふれる若きチャンピオンの、堂々たる姿であった。


 両者とも、ゴングが鳴ってもすぐには動かない。
 伊達はやや開き気味の両手を前に上げ、ほんの少し前傾気味で打撃の姿勢ながら、
 自分から仕掛けずに受けて立つ構え。
 対する美月はぐっと上体を沈ませ、一見して組みつきたい様子。
 しかしアップライトに構えた伊達が付き合うはずもなく、
 美月はタックルを狙うような姿勢のまま、じりじりと距離を詰めて行く。
 あと一歩、というところにまで迫った時、この試合のオープニングヒットが放たれた。
 伊達の右足が鞭のようにしなり、乾いた音を立てて美月の脛を打った。
 思わず声を上げそうなほど痛かったが、美月はそれを押し隠してさらに距離を詰める。
(痛がってたら、触れもしない……!)
 下がりながら再度ローキックを打ってきた伊達に対し、今度は腿に痣が残るほどの蹴りを受けながら、
 美月は自分を蹴った足を掴み、片足タックルの形で押し倒そうと試みた。


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by right-o | 2011-11-19 22:02 | 書き物