「シザースキック」 杉浦美月&神田幸子VS六角葉月&X
「ハッタリでしょう」
タッグ王座防衛戦の相手、六角のパートナー・Xについて、美月はそう結論づけた。
「私もあなたも、他人から因縁を持たれる覚えは無い。
加えて私たちより格上のレスラーは、大方既に当日の試合が組まれています」
「あの、私も考えたんですが」
神田が控えめに口を挟んだ。
「先輩のように、海外から帰国する方じゃないでしょうか?例えば先輩の同期の……」
「ノエルさんが帰国するという可能性はありません」
眼鏡を押し上げつつ美月が応じる。
「社長に確かめました。ノエルさんは遠征先の団体がどうしても帰してくれないんだそうです」
自分とは違って羨ましい話だ、とでも言うように、美月は小さく溜息を吐いた。
「とにかく、パートナーは気にしなくていいんですよ。それより本人の方がよっぽど問題です」
「六角葉月、先輩……ですか。実力者だとは聞いてます」
神田は、膝の上の拳を強く握りしめた。
「そう、普段は何考えてるかわかんないような人ですが、
格も実力も私なんかよりずっと上ですから、本気にさせたらどうにもならない可能性があります」
六角は元々、神田以上の超エリートコースを歩んできた人間である。
加えてガチンコ最強説があったり、現に抜群のアマレス実績があるだけに、
一部のファンは六角に幻想めいたものを抱いていたりする。
「……勝てるでしょうか?」
「そこを勝てるようにもっていくのが、言ってみれば私の役目ということになるんでしょう。
その代わり、Xの方はお任せしますよ」
「ハイッ、もちろんです!」
と、美月たちはこういう意図でもって六角の挑戦を迎え撃ったのであった。
なので、自分たちより先に入場していた六角の、横に立っている相羽を見ても、
(ああ)
ぐらいにしか思わなかった。
もっと正確に言えば、「ああ、そんなもんか」とか「ああ、これなら勝てそうかも」ぐらいなもんである。
二人同時に入場した美月たちは、リングインからそれぞれにコーナーへ上ってベルトを誇示。
再度反対側のコーナーへアピールに行こうとした美月の前へ、相羽が立ちはだかった。
「………!」
睨んでいる、とは言えないまでも、今までになく強い眼差しで美月を見つめる相羽に対し、
美月はほんの小さく鼻をならして引き下がった。
お前なんか張り合う価値もない。
そう態度でもって示していた。
先発を神田に任せて赤コーナーに控えた美月には、大体の事情が飲み込めていた。
大方、うだつの上がらない相羽を見かねた六角が、相羽を発奮させるためのタッグベルト挑戦なのだろう。
(お優しい先輩だことで)
とすれば、六角はあまり自分が前面に出てこようとはしないはずである。
六角が試合を引っ張って無理矢理ベルトを獲ったとしても、
相羽が成長できない、もしくは成長がファンに見せられないのでは意味が無いからだ。
(そうはいくか)
と美月は思う。
自分からは何もせず、他人からチャンスを与えられたレスラーなどに負けるわけにはいかない。
相羽を沈めてさっさと終わりにしてやる――
そんなパートナーの思考が伝わったかのように、先発した神田はいきなり猛攻を見せる。
(大したことない……!)
序盤、ほんの少し肌を合わせただけでそう直感した神田は、
テンプレートな寝技の応酬を終えて立ち上がった瞬間、
いきなり左のボディブローを相羽の脇腹に突き刺した。
「ふぐぅ……!?」
声にならない呻きを上げる相羽の首を捕まえ、さらに腹部へ膝を数発。
相羽の上体を完全に曲げさせたところでロープへ走り、反動をつけながら右足を掲げて跳ぶ。
「シッ!」
美月との練習では決められなかった、相手の頭を横から挟み込むような踵落としが、
相羽の後頭部に炸裂した。
「え、ちょ……っ!?」
いきなりの大技にコーナーから身を乗り出した六角を尻目に、神田は淡々とカバーへ。
美月も当たり前のように赤コーナーで六角のカットに備えている。
が、当の六角は急なこと過ぎてカットに入れなかった。
終わったか……と大方の観客までが思った瞬間、なんとか際どく相羽の肩が上がった。
「ちっ」
神田と美月は同時に舌打ち。
神田も既に勝負付けが終わったと思っている相手に、今更手こずりたくはない。
それでも赤コーナーから手を出している美月に気づくと、大人しく先輩にその場を譲って退いた。
代わった美月は、仰向けになってどうにか立ち上がろうとしている相羽の左足首をいきなり捕獲。
スタンディングでのアンクルロックだった。
「うぁっ……!?」
朦朧としていた意識を苦痛で覚醒させられた相羽は、必死に這ってロープへ向かうが、
美月は一旦わざとロープへ近づけておいて引き戻す。
「相羽ァッ!!」
カットを躊躇する六角に対し、神田はすぐ飛び出せるように体勢を整えている。
「うう、う」
少しずつ、少しずつ、もう一度ロープに這う相羽の粘りを嘲笑うように、
美月は自分からマットに体を横たえ、グラウンドでのアンクルロックへ移行。
相羽の片手が上がり、六角がもう限界かとカットの姿勢を見せたが、
それでもなんとか相羽はロープまで根性で這いきった。
(……相手の粘りが光るような展開も癪だなあ)
作戦変更。
極めきれなかった美月は、ここで意外にもあっさりと相羽を放し、逆に距離を取った。
そして六角の方を向くと、挑発するように小首を傾げる。
「仕方がないね……」
しばらく相羽は使い物になりそうにない。
そう判断した六角は、倒れている相羽にロープの隙間から手を伸ばした。
(あ、これはダメだ)
六角と組み合った瞬間、美月はそう直感した。
体幹の強さも単純な膂力も美月とはケタ違いである。
美月がグラウンドで適当に遊ばれたあと、変わった神田もいいように弄ばれた。
といって一方的に負けているわけではなく、美月や神田が攻め手に回る場面もあるものの、
どうも六角がわざと受けているような感触があった。
それならば、と美月は、掌の上でいいようにされて悔しい気持ちはひとまず脇に置き、
勝負に徹して時期を待つ。
六角の狙いはわかっているのだ。
青コーナーの相羽が身を起こし、どうにか戦えるまでに回復したのを確認した六角は、
相対していた神田に一瞬背を向けて青コーナーへ下がろうとする。
同時に、美月も交代を要求した。
「よし、行きます!!」
このままでは終われない相羽は、勢い込んで飛び出していく。
対して美月もダッシュし、正面からぶつかる……と見せて、相羽の左足を両足で挟み込んで引き倒した。
「行って来な……っておい!?」
機械のような正確さで、再度左足首へのアンクルロック。
前に立つ神田へ目配せしたが、それを待たず神田は飛び出していた。
ロープを跨ぎかけていた六角へ体当たりして場外に落とし、自分もその後を追ってリングを下りる。
今度は極めきるかと見えたところで、美月は相羽の足を放した。
立て、という目で、友人を見下ろす。
「くっ」
舐めるな、と立ってきた相羽の頬へ平手打ち。
打ち返してきたところを更に打ち返し、平手の応酬が肘の応酬に変わっていく。
「それッ」
思い切り振りかぶった相羽のエルボーが、ついに美月をぐらつかせた。
が、美月はロープに走り、勢いを乗せたエルボーを打ち返した。
これにも耐えて見せた相羽は、自分も反動を受けるべくロープへ走る。
「あちゃあ……」
相羽が背を向けた瞬間、場外で神田と揉み合っていた六角に向け、美月が舌を出した。
(勢い任せの単純バカ)
走り込んだ相羽の振るう右腕に自分の右腕を引っ掛けつつ、
相羽の背後に飛びついて右足を左腕に引っ掛ける。
横十字固め……と見せかけて、咄嗟に体を固くした相羽の背中の上で、美月は一瞬間を置いた。
(それに研究不足)
この技は相羽の見ている前、対ノエル戦で初めて出した。
あの時は返されたが、相羽にはこれで十分だと思った。
タイミングをずらして溜めた勢いと体重を真下にかけ、相羽を後頭部から背後に引き倒す。
頭を打った相羽は、そのまま為すすべも無く固められてしまった。
瞬間的には濃密な時間もあったものの、終わってみれば10分足らず。
軽いハイタッチを神田と交わしたあと、美月は影のように暗く退場して行く相羽を、
リング上から手を振って見送った。
(ま、暫くは試合で当たることも無いでしょう)
美月の中では、同期・友人としての情よりも、
同業者としてずっと恵まれた位置にいる相羽への憤りや嫉妬の方が大きかった。