「ラフライダー」
二人はリングの上で相対していた。
「シッ」
不用意に突きだれた美月の腕に被せた神田の右拳が、美月の頬に食い込んだ。
カウンターの一撃は、厚いグローブ越しでさえ、相手の動きを止めるのに十分な衝撃を与える。
「うっぐ……!」
返す刀で左のボディブローが脇腹に突き刺さり、美月はたまらず体をくの字に曲げた。
これを狙っていた神田は、すかさず美月と水平方向のロープへ飛ぶ。
「いけぇッ!」
勢いのまま飛び上がりつつ右足を大きく上げ、振り下ろす踵で美月の後頭部を狙う。
反動で浮き上がる左足と合わせて、ちょうど美月の頭を両足で挟み込むような形。
しかし、美月は間一髪で体を起こして両足の鋏から逃れ、同時に今度は自分がロープへ走った。
避けられた神田はよろめきながらも体勢を立て直すが、その時にはもう美月がロープを背にしている。
どう対応すべきか判断に迷っている間にも、目の前の美月が一歩一歩眼前に迫り、大きくなっていく。
ままよ、と意を決して足を踏み出し右腕を振りかぶった時には、美月は既に踏み切りを終えていた。
美月は、神田がしたのと同じように右足を振り上げながら前にジャンプ。
ただし、足は振り下ろさず、膝の側面を神田の頭にあてがう。
神田の首に右足を引っ掛けるような姿勢から、体重を預けて後ろに引き倒した。
ちょうど立っている状態から無理矢理ギロチンドロップを仕掛けられたようになり、
神田は後頭部からマットに叩きつけられることになる。
「見事でした。やっぱり自分では、まだまだ先輩の相手にはなりません」
「いや……グローブ無しだったら私の体が動いたかどうか」
道場のリングを使ったスパーリングを終え、二人は並んで隅のベンチに腰を下ろした。
神田は後頭部を、美月は右の脇腹をそれぞれ手でさすっている。
練習のため、神田は厚手のボクシンググローブを嵌めていたが、
それでも美月には十分ダメージが感じられた。
「あ、ところで先輩、これ、記者の人から貰いましたよ」
そう言って神田は、美月にグローブを脱がせてもらった手で、脇に置いていた雑誌を取り上げた。
斜め線で大きく二つに区切られた表紙には、立っている千秋にダブルニードロップを仕掛ける神田と、
千春に前転式パイルドライバーを掛ける寸前の美月の、躍動感に満ちた写真が載っている。
週刊のプロレス雑誌だった。
「ああ、この前の……まあ棚ボタで載ったようなもんですけどね。その表紙」
「それでも私は嬉しいです。ようやく自分のやってきたことが形になって」
神田は、いつもの真面目な表情を崩してふやけた笑顔を浮かべた。
美月もまんざらではない様子で、神田の手にある雑誌を覗きこむ。
「あ、でも」
ふと、神田は思い出したように怪訝な表情をつくった。
「昨日のあれ、次の挑戦者のXって誰のことなんでしょうか?」
「さあ……」
美月は軽く首を捻って、つい昨日の夜のことを思い返してみた。
その夜、美月たちが戴冠を果たして初めて迎えた興行でのこと。
試合の無かった二人が、ベルトを獲った喜びをささやかに味わいつつ、
バックステージでのんびりとモニターを眺めていた時、
『これの表紙になってる二人、ちょっと出てきてくれないかな?』
モニターの中、リングに立っている六角葉月が、
美月たちが表紙になっているあのプロレス雑誌を掲げてそう言ったのだ。
「へ?」
一瞬顔を見合わせた美月と神田は、
慌てて傍らに置いていたベルトを引っ掴んで入場ゲートに向かった。
『まずは、おめでとう。良い試合だったよ』
内心では何事かと訝りつつも平静を装って出て来た二人へ、六角はそう続けた。
『でもあんまり良い試合だったもんだから、私もそのベルトに興味が沸いちゃってさ。
昨日の今日で悪いんだけど、次は私に挑戦させてくれないかい?』
『……それは構いませんが』
美月は、出際に手渡されたマイクを持って、ひとまずそう言った。
ここで間違っても嫌とは言えないのが、ぽっと出の新米チャンピオンの辛いところである。
『パートナーは誰ですか?まさか一人で挑戦するわけじゃないでしょう』
『まあ、それは当日のお楽しみってことでどうだい?
ヒントは……あんたたち二人に因縁を持ってる人間、ってところかな。
それじゃ月末の両国で、私とパートナーのXでタッグのベルトに挑戦決定と。そういうことでよろしく~』
そんな感じでゆる~く締められて、六角の挑戦が決まったのであった。
「帰国してから、まだ他人から因縁を持たれるようなことをした覚えは無いんですが……」
「私なんか入団以来ありません……」
本気で悩む二人の後ろ、
(……不憫な子)
たまたま通りかかって道場の様子を伺っていた内田が、
忘れられている六角のパートナーを思って、心の中で呟いた。