人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「踵落とし」

 再びホテルへ向かうバスの中。
「っ痛……」
「だから私がリングサイドに付くって言ったんですよ」
 千春に蹴り上げられた頭部を冷やす神田の横で、美月が呆れ気味に溜息を吐いた。
「……ただ、試合は見事でした」
「あ、ありがとうございます!」
「お礼を言われても……」
 殊勝に頭を下げる神田を見ていると、美月はどうも背中がむず痒いような気持ちになる。
 自分がジョーカーにしてもらったようなことを神田にしているつもりだったが、
 あんな風に飄々と後進に接することは、なかなかできそうにない。
「でも自分はまだまだです。現に試合の序盤は何もさせてもらえませんでした」
「その辺はもう慣れというか経験が大きいと思いますが、
 確かにまだまだ試合内容には工夫が必要かもしれません。……ところで」
 と、美月はジャージ姿の神田を上から下まで改めて見た。
「一応わかりきったことを聞いておきますが、蹴り技とかはできないんですよね?」
「それはまあ……ボクサーでしたから」
「コスチュームを見ていても思ったんですが、折角足が長くてスタイルもいいし、
 何か蹴り技を使ってみたらいいんじゃないですか?」
「す、スタイルって……」
 あんな思いっ切り側面の開いたコスチュームを着て戦っておきながら、
 そう言われると神田はちょっと赤くなった。
「し、しかし足技は素人ですので、自分には難しいかと思うんですが」
「うーん、何も高等な技術の要る技でなくても……踵落としとかはどうでしょう?」
「……それは普通に空手の技なのでは?」
「ただ踵を振り下ろすだけのことでしょう?
 まあプロレス技なんだし、とりあえず見栄えと威力があればいいんですよ。
 例えば早瀬さんなんかシャイニング式で使うじゃないですか」
「あれは琉球空手の奥義か何かじゃないんですか?」
「そういえば……ってそんなわけないでしょう」
「私は伊達さんの、コーナー串刺し攻撃へのカウンターが好きです」
「あれは本当に顔面狙って踵落としてきますからね……」
 この日も、美月と神田はバスの中で熱い議論を繰り広げ続けた。 


 そんな二人の一つ前の座席。
「はぁー……どうしたもんかねぇ」
「何がよ?」
 深ーい溜息を吐いた六角に、横で目を閉じていた内田が話しかけた。
「いやさ、コレ」
 そう言って六角は、通路を挟んだ隣の席を親指で示す。
 そこには、魂の抜けたように真っ白くなって座っている相羽がいた。
「……それが?」
「なんとかして立ち直らせてやりたいんだけど、どうすりゃいいのかわからなくってさ」
 物好きな、とでも言いたげに、内田は眉間にしわを寄せる。
「どこで情が移ったか知らないけど、放っときなさいよ」
「んー、いや、何か構ってやりたくてさ……」
「自分で解決しなきゃ成長できないわ」
 六角の言葉も、内田は冷たく切って捨てる。
 相羽はまだまだ立ち直りそうになかった。

by right-o | 2011-10-10 20:32 | 書き物