「右ストレート」 神田幸子VS相羽和希

 神田の話は長かった。
 自己紹介から始まって、自分が入団した経緯、練習への取組み方と現在の状況まで、
 遠慮がちながら真摯に話し続けたため、要点を端折ってくれとも言えなかった。
「……で、ですね。あなたが神田幸子さんという名前で、
 ボクシングからプロレスに転向して半年前に入団した後輩で、なのに私より2つ年上で、
 これまで特別扱いされながらも真面目に練習してきたことはよくわかりました。
 でもその、結局私に何をして欲しいんです?」
「わ、私は、もっとプロレスが巧くなりたいというか、もっと良い試合がしたいんです!」
 強くなりたい、とか言わないあたりは、流石真っ当な格闘技からの転向者だろうか。
「杉浦先輩のことは、自分が一ファンだった時からずっとテレビで見ていました。
 ジュニア戦とか、メキシコとか、体格的に恵まれていないのに凄い活躍をされていると思います。
 そんな杉浦先輩から、是非アドバイスをいただきたいと考えました!」
 真剣な顔で言い切られて、美月は戸惑ってしまった。
 ジョーカーからも似たようなことを言われたが、自分がそういう風に見られているのかと思うと、
 何か照れるような、でも何か素直には喜べないような、複雑な心境になった。
「……いかがでしょうか」
「え、ああ、そうですね」
 とりあえず、神田の事情を聞いて悪い気はしなかったので、美月も真面目に応えてみることにした。
「ひとまず試合なり練習なりを見させてもらわないと、何とも言えません。
 今日、試合が組まれてたりしますか?」
「あ、はい!ええと、今日は確か試合が……だ、誰だっかな相手は……」
 神田は、荷物の中をごそごそと探し回り、シリーズ全体の日程表を探し出す。
 そこには、確かに今日の興行に神田の名前が載っていた。


 数時間後、試合が組まれていない美月は、
 体育館の中を暗幕で仕切ったバックステージから顔を出してリング上を覗いていた。
 無難に第一試合で会場を温めた後輩たちを適当に労ってやり、次は第二試合。
 いよいよ神田の登場である。
 向かい合うのは、神田と同じような髪と体格をした、美月が見飽きるぐらいよく知っている顔。
 相羽和希であった。

「おや珍しい。同期の成長が気になるかい?」
「いや、相手の方にちょっと」
 ゴングが鳴ると同時に、後ろから六角に声をかけられた。
 と同時に、リング上では二人が組み合っている。
「神田?鳴り物入りだった割にはパッとしないね」
「でもプロでボクシングやってたんでしょう?それが何で第二試合なんかに」
「あー……その辺は見てればわかるよ。バックグラウンドが活かせてないっていうか、
 まあボクシングをどう活かすかっていうのも難しいけどね」
 言われるままに黙って見ていると、二人は型通りのバックの取り合いからグラウンドに移行し、
 一進一退の攻防を繰り広げていった。
「普通だろう?」
「……普通ですね」
 内容的にはいくらか高度だが、やっていることはさっき第一試合に出ていた若手と大差ない。
「考えてみれば可哀そうな話だよ。いくら格闘技のキャリアがあるからって、
 まだデビュー半年なのにあまり過大な期待をするべきじゃない。
 本人も真面目だから、そんな期待に応えようとしてるみたいだけど、
 このままゆっくり成長させてやった方が本人のためさ」
 六角は溜息混じりにそう言う。
 自身もアマレスの実力者で、かなりの期待を背負ってデビューしたという六角の言葉は、
 同類を憐れむような調子が含まれていた。
 とはいえ、六角の場合は期待に応えるだけの技量と、それに耐えうる図太い神経を備えていたが。
「それよりも、あんたはもっと相羽を気にかけてやるべきだよ。
 あいつこそ未だにこんなとこで燻ってちゃ……」
「それは自業自得です。あの人は現状に真剣な危機感を抱いていないんですよ。神田さんと違って」
 美月はそう言ってのけた。
「相変わらず冷たいねぇ。それはともかく、神田と何かあったのかい?」
「まあ、色々と」
 裏でそんな会話をしている内に、ようやく試合が大きく動き始めた。

「受けてみろっ!!」
 神田の背後を取った相羽が雄叫びを上げ、一息に反り投げる。
 美しいブリッジを描いてスターライトジャーマンが決まった。
「まだッ!」
 が、なんと神田はこれをカウント2でクリア。
 茫然とする相羽の前で、朦朧とする頭を振りながら神田がゆっくりと立ち上がる。
「まだ……まだだッ!」
「ッ……負けないっ!!」
 神田がエルボーを打ちこみ、相羽が打ち返す。
 二人が交互に肘を振るう度に、客席も声を合わせて盛り上がった。
「この、このっ、倒れろっ!!」
 先に手が止まった神田に向け、相羽がエルボーを連発。
 棒立ちになったと見るや、大きく振りかぶって渾身の一発を見舞う。
 が、相羽の右肘は空を切った。
 突然瞳に鋭さを宿した神田は、紙一重のところでほんの少し体をずらして避け、
 それまでのように右手を振りかぶらず、畳んだところから拳を最短距離で伸ばした。
 相羽の右腕が伸びきった瞬間、神田の拳が相羽の顎先をわずかにかすめる。
『おお……!』
 美月と六角、それと客席の全員が思わず呻くほど、完璧なタイミングのカウンター。
 くらった相羽は、糸が切れた人形のように声も立てず前のめりに倒れた。
 10カウントを数える間でもなく完全KO状態の相羽を裏返し、神田は冷静にカバー。
 しかし、思わずマットを叩きかけたレフェリーの手が寸前で止まった。
「え……?」
 神田に対して首を振り、カウント拒否の意思表示。
 普段なんとなく5カウント以内まで許されるものの、厳密に言えばプロレスで顔面パンチはルール違反。
 要するに顔を殴ることとイスで殴りつけることは同じなのだ。
 従って、このレフェリーはカウントを取らなかった。
 ただし完全に目を回して倒れている相羽が起きてくる気配もなかったので、
 結局はゴングを要請して無効試合を宣言した。


「ね?だからボクシングを活かそうってのは難しい……って」
 六角を残して、美月はいつの間にかリングに向かって一人で歩き出していた。
 美月に気付いた観客から起こるどよめきの中でリングに入り、
 寝ぼけたようにふらふらと起き上がりつつあった相羽をリング外に投げ捨てて排除。
 驚いて目を見張る神田の前に立つと、強引にその右手を握りしめた。
「やれやれ、何を企んでいるのやら」
 握っていた神田の右手を挙げ、彼女が勝者だと言わんばかりに誇示して見せる美月を見て、
 六角はそう独りごちた。

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by right-o | 2011-09-24 22:22 | 書き物