「DDT」
「スペイン語で“乾杯”って何て言うんですかね」
「えーっと……知らない。まあいいじゃん。はい、カンパーイ!」
部屋に戻った二人は、メキシコ産の瓶ビールで乾杯していた。
「メキシコでなら、美月の年齢でもお酒飲めるよ」とはジョーカーの談。
ジョーカーに年齢の話をした覚えのない美月だが、深くは考えないことにした。
実際、重度のプロレスマニアであるジョーカーなら、美月の年齢ぐらい調査済みかも知れない。
「ところで、何で立ったまま乾杯しなきゃいけないんですか?」
「アメリカでは、乾杯をした相手にスタナーをかける習慣があるから」
「いやどんな国民性だよ。っていうか、それやったら瓶で殴りますからね」
美月がメキシコに来て数ヶ月、すっかり打ち解けた(?)二人であった。
「DDTって何の略でしたっけ?」
こんなもん何がおいしいの、みたいな顔でビールを舐めていた美月が、ふとそんなことを言った。
「ジクロロジフェニルトリクロロエタン」
対して、凄く得意げに、ジョーカーが即答してみせる。
「てっきり、“デンジャラスドライバー~”っていうボケがくるかと思いましたが」
「……ハッ!?」
意味はわからないが、本気で残念そうなジョーカーであった。
「って、まあ名前は置いといて、そういえばDDT使えばいいのに」
「あー、まあ考えなくはないんですけど、他に使う人沢山いますしね」
仕掛けるのに体力を使わないDDTは、小柄な美月にとって非常に便利な技である。
ただし、便利な技であるために使うレスラーも数多く、自分のものとして定着させることは難しい。
「確かに、いい加減使い尽くされた感はあるかなぁ」
ジョーカーはちょっと小首を傾げて目を瞑り、記憶の中からDDTの映像を漁り始めた。
「いまだにメインのフィニッシュで使ってるレスラーっているんですか?
「ええと……いなくはないね。USAとか」
ザ・USAは、相手の首を固定したあと、両足を高く上げて思い切り後ろに倒れこむ。
今時珍しく、正調のDDTをフィニッシュにしているレスラーだった。
「繋ぎ技としてなら、それこそ皆が使ってる。
でもほんの少し工夫するだけで、かなり印象に残る使い方ができるんだよね。滝とか」
最近はナルシスト系ヒールが定着してきたミシェール滝は、膝立ちの相手へのDDTをよく使う。
相手の首を抱えてやや前傾し、反動をつけて倒れるような動きが躍動感を増している。
「あとはちょっと変形して、首を固定したあとで相手の体を掴んで持ち上げて、
落差をつけた形で落とすのも流行ったかな。ダイナマイトスパイクとかね。
で、これをリバースフルネルソンの姿勢からやっちゃうのがロイヤルDDT。
まあ両方とも、頭というよりは顔から落としてる気もするんだけど」
俗にインプラントDDTと呼ばれる形がダイナマイトスパイクで、
ダブルアームDDTと呼ばれるのがロイヤルDDT。
どちらも、DDTというよりはフェイスバスターに見えなくもない。
「あと、ランニングDDTというのは見たことがあります」
「あー、八島ね。あれは受け辛そう」
ショルダースルーを狙って前傾している相手に対し、カウンターとして、
前から走り込んだ勢いのまま、首根っこを抱えてDDTにいくのが八島静香。
真下に向けて八島の体重がかかった状態で落とされるため、かなり危険そうに見える。
「あとはスイング式か。これも全部同じようで微妙に違ったりして。美月の師とかね」
「師匠……とは思ってないんですけど」
コーナー上に座って相手の首を固定し、
リング中央に向かって横方向にに半回転しつつDDTを敢行するのがスイング式だが、
AGEHAの場合、コーナー上から相手に飛びついてから半回転して決める。
また、ラッキー内田の場合は、マットの上で相手の首を捉えてから、
逆にコーナーやロープ、タッグ戦であればもう一人の対戦相手等を蹴って回転して見せる。
「それと、私コーナーからやられたこともありますよ」
「あ、それ見た覚えある。相手鏡だっけ」
鏡の場合、トップロープや、酷いときはコーナーの上に相手の足を引っ掛け、
強引に落差をつけた形のエグいDDTを放ったりもする。
「ブレーンバスターのステップがDDTとか言う輩を抜かすと、そんなもんかな。
改めて、使い尽くされた感があるね。
で、そういえば、何でこんな話になったんだっけ?」
「ああ!そう、そうでした」
一息吐いてビールを飲み干したジョーカーの前で、美月は傍にあった雑誌を手に取り、
くるくると筒状に丸め始めた。
「それがですね、ちょうど殺虫剤がないかなって思ったわけで」
美月はスッと立ち上がり、丸めた雑誌を大上段に構える。
「無さそうだから仕方ありません。……動かないで」
「え……?って、まーたまたご冗談を」
「頭の上で、何か動いてる感じしません?」
言われてみれば、そんな気がする。
ジョーカーは、自分の頭に手を伸ばしかけ、慌てて引っ込めた。
「え、まさか黒いヤツ……?」
「うん、黒いヤツ」
美月は、初めて人の顔面から血の気の引く様を見た。
「Really?」
「マジで。多分、苦手ならトラウマになるレベル。正直、この大きさは初めて見た。流石メヒコ産」
「いや何が流石だよ感心するなよ!じゃなくって、私の頭の上で潰す気!?」
「ここで仕留めないと、部屋中を飛び回るかもしれませんよ」
「………!!?」
ジョーカーは完全に硬直した。
まさか潰してくれと言うわけにもいかず、かといって飛び回られても非常に困る。
ただただ、涙を溜めたすがるような目で美月を見上げることしかできない。
そんな様子を見ながら、美月は内心で大笑いしながら同時に困っていた。
(まさか本当に引っ掛かるとは思わなかったけど、これ後で怖いかなあ)
笑いが表情に出ないよう必死に自制しながら、
美月は透明な虫としばらくにらみ合っていた。