「ベルト」
美月の数倍のブーイングを受けながら引き上げてきたジョーカーに、すかさず美月が詰め寄った。
「まあまあ、一息吐かせてくれよ」
美月が持ってきたタオルと水を受け取りながら、
ジョーカーはイスをバックステージのモニターの前に運んで腰を下ろし、美月もそれにならう。
「結論としては『ヒールの方がおいしい』ということなんだけど」
何か言いたそうな美月を手で制して、ジョーカーはしばらく顎に手をあて考えるポーズ。
「順序立てて説明するなら……何て言うのかな、お互いもう、
ただ頑張ってればいいっていうレベルではないよね?」
「……どういう意味ですか?」
「ポジションを考えなきゃいけない、ってこと」
また思案顔に戻りながら、ジョーカーは少しずつ言葉を続けた。
「プロレスラーってのは結局、見てくれる人があっての存在だからさ。
それが声援であれブーイングであれ、観客からリアクションをもらえなきゃ一人前とは言えない。
そしてリアクションは大きければ大きいほどいい。
で、大きなリアクションをもらうためには、その時々で自分自身が最適なポジションにいる必要がある。
……わかる?」
ここでジョーカーは言葉を切り、前にあるモニターに目をやった。
「ポジションってのは相対的なものだからさ。
団体全体だったり、ベルトやら抗争やらと自分との関係を見て決める必要がある。
今この団体で考慮すべきは、まずアレの存在」
ジョーカーが顎で示した画面には、長い金髪を優雅に靡かせて躍動する覆面レスラーの姿が映っていた。
「チョチョカラス……でしたっけ?」
「そう、AACの絶対的なエース。ただ、問題なのはアレに対抗できるヒールがいないこと」
段々と美月にも話の内容がわかってきたが、それでもまだ引っ掛かる点がある。
「……一人でやればいいじゃないですか」
「それが一人じゃできないからさ。
格でも実力でも人気でも、私だけでアレの向こうを張るのは無理だよ。残念ながらね」
ジョーカーはあっさりとそう言ってのけた。
「そこで、さ。もう一人極悪なヒールと手を組んで、二人掛かりでやってやろうと思ったわけ」
リング上で見せる不敵な笑みとは違う、いたずらっぽい笑顔を見せてジョーカーが笑った。
そして急に、何か言おうとした美月へ身を乗り出してその肩へ手をかけた。
「大体、外国人なんだからヒールの方が目立ちやすいって。
それと一つ約束する。必ず美月をAACヘビーのベルトに挑戦させてやる」
「は?いや、私は別に」
急に話が変わって口ごもってしまった美月へ、ここぞとばかりに畳み掛けた。
「プロレスラーであるからには欲しくないとは言わせないし、獲れないとも言わせないぞ。
どう?いい条件だと思わないか?」
「え、あ、いやそういう問題じゃ……」
結局、このあとも何やかやとジョーカーに言いくるめられた美月は、
ヒールとしてやっていくことになるのであった。
「ところでベルトと言えばさあ、美月の団体のヘビーのベルト、あれデザイン変わったのいつだっけ?」
「ヘビーのベルト?」
「あの、何ていうのかな、城壁の上みたいな……デコボコがついてたやつ」
「ああ、アレ……」
美月の団体では、数年前まで上に凹凸のついている変わったデザインのベルトが、
最高位王座の証明だった。
「確か祐希子先輩の時にくるくる回るベルトに変わって、それから何代かみんなオリジナルのベルト作って、
それで落ち着いた時は今の普通の丸いベルトになってましたね」
「あの頃は何かやりたい放題だったなあ」
特徴的なデザインが気に食わなかったのか、
祐希子は自分が獲った時にヘビー級のベルトを変えてしまった。
しかしそれが、真ん中にある団体のロゴがくるくる回転するという謎の仕様だったため、
そのベルトは祐希子一代で終わる。
が、その後も武藤めぐみが人の顔を象った紫色のちょっと不気味なベルトを作ってみたり、
ライラ神威が髑髏マークのあんまりなベルトを作ってみたりしていずれも定着せず、
結局いつの間にかごく普通の丸い金色のベルトで落ち着いた。
「私は正直、ベルトのデザインだけなら昔のJWIが好きでした」
「三冠な。わかるわかる。私も好きだった」
JWIのベルトは、市ヶ谷が世界を回って集めた三つの王座を統一したものであり、
以前はその名残として王者に三本のベルトが渡されていた。
実は王者によってそれぞれベルトの巻き方が違っていて、
そのコダワリを発見するのもファンの楽しみだったとか。
「私はいつか、どこかの世界ヘビー級のベルトにスプレーで落書きしてやるのが夢なんだけど」
「あれ最初にやったの鏡さんでしたっけ?」
俗に言うフリーの三大ヒールがとある団体を制圧した時、
フレイア鏡が自分で獲ったその団体のベルトに黒いスプレーで文字を書いたことがある。
当然そこのレスラー達の怒りに火をつける結果になり、その後の抗争は大いに盛り上がった。
「まあ、デザインで言えば私はシンプルなのが好きだね。IWWFとかGWAとか」
IWWFヘビーのベルトは世界図がその前面に描かれていて、
金色の中で海にあたる部分の青が印象的である。
GWAヘビーは最もシンプルなデザインで、中心に赤で「GWA」のロゴが輝いている。
「最近は色々凝ったベルトもあるようですね。鍵穴がついてたりとか」
激闘龍のベルトには鍵穴がついており、挑戦者にはその証としてベルトの鍵が渡されるのだとか。
「シンプルと言えば、美月は自分の持ってたジュニアのベルトに愛着は?」
「アレは地味過ぎます。大体、全面銀張りだと何が描いてあるかわかりません」
「金ピカもどうかと思うけどなあ。理沙子ベルトとか」
十角形というか楕円というか、不思議な形をしているアジアヘビーのベルトは、
その昔十数回に渡って防衛を繰り返したパンサー理沙子に因んで、
理沙子ベルトとか理沙子モデルとか言われているらしい。
「自分で振っておいて何だけど、ベルトの形はどうでもいいんだよ。獲ることが大事。
そういうわけで、二人掛かりであのベルトを獲ってやろうじゃないか」
画面の中では、試合を終えたチョチョカラスがベルトを巻いて退場していた。
「二人掛かり……?」
この時のジョーカーの言葉の意味を、美月は数カ月後にようやく理解することになる。