「観衆目隠しマッチ」 神楽紫苑VSフレイア鏡
今までの最高視聴率と最多の抗議数を記録し、
様々な方面で物議を醸したこのカードが再び組まれることになった。
場所は新木場1stリング。
どう詰め込んでも五百席に満たない小さな会場で行われた今回の興行は、
このメインイベント一試合のためだけに「15歳未満お断り」となり、
更にはなんとかR指定の枠で抑えるため、とある工夫が施されることになる。
「はあ……」
久々でレフェリーシャツに袖を通した美月が、マイクを持ってリングに上がった。
もうとっくに怪我も治り、レスラーとしての復帰も果たしているのだが、
ハードコアタイトルマッチを裁くならやはり美月だろう、という判断で今まで通りレフェリー役である。
『試合のルールを説明いたします』
そう切り出してみて、凄い矛盾に気づいた。
試合そのものにルールなど無いからである。
今回ルールを強制されるのは、なんと試合を見ている観客の方なのだ。
『これから、皆様には目隠しをした状態で試合を観戦していただきます』
見ずに観る、というのもなんだか不思議な表現である。
『もしも試合中に目隠しを外してしまった方は、強制退場となりますのでご注意ください』
目隠しを外した不届き者をつまみ出すためだけに、
来島・龍子・八島・山本・小鳥遊の五名がスタンバイしている。
新木場は会場と言ってもほぼ倉庫そのままなので、
襟首を掴んでシャッター脇の入口から放り出すだけで事足りるのだ。
客席から大ブーイングが飛ぶ中、美月は声を張り上げて続ける。
『これはこの試合を成立させるために必要な措置です!どうかご理解ください!!』
なんでこんなこと言わなきゃいけないんだろう、と心の中で嘆きながら、
美月は社会で働くことの理不尽さを噛み締めた。
全観客が渋々ながら目隠しを装着したことを確認し、鏡、神楽の順番で入場。
二人とも前回と違って普通のコスチューム姿ではあったが、
それぞれが何やら黒いカバンを手に提げてコーナーの下に置いたあたりは不安要素である。
ただそれでも、初めから両者が下着姿で、
リング中央にベッドが置いてあった前回よりは一応まともなシチュエーションと言えた。
ゴングが鳴り、まずは普通に試合が始まる。
こんなディープなイベントに来るほど訓練されたプロレスファンともなれば、
音だけである程度試合の内容がわかるものである。
加えて新木場は狭いので、遠くて聞こえないということもない。
ロープがたわむ音とマットが弾む音が聞こえないことから、
両者はグラウンドの攻防を繰り広げているらしかった。
そうなればもちろん鏡が有利。
開始からしばらくして、たまらず神楽が場外に逃げてきた。
これを追って鏡もリングを下りようとしたところで神楽が逆襲し、持参のカバンで殴打。
鏡が怯んだのを見て神楽がカバンに手を突っ込んだ次の瞬間、
カチャリ、という、まず最初に観客たちを戸惑わせる音が発せられることになる。
「えっ……」
謎の金属音に続き、驚いた鏡の声、そしてもう一度金属音。
その正体は手錠であった。
鏡の右手首に手錠をかけつつ場外に立つコーナーポストに押し込み、
すかさずポストを通して左手首にもかけると、神楽はあっと言う間に鏡を後ろ手に拘束してしまった。
「うふふふふふ、ここからが本番よねぇ」
「ちぃっ……」
神楽の言うとおり、こうなってからがこの試合の真骨頂である。
そして、この試合の八割はこの位置関係のままで進むのであった。
ここまでで十人ほどが興味にかられて目隠しを外してしまい、
屈強な女子レスラー達に放り出されていたが、これ以降に残った観客にしてみれば、
彼ら(観客には女性もいたらしいが)は気の毒としか言いようが無い。
チキチキチキチキ
という、ある種の刃物独特の音を聞いた時、客席の期待は数倍に跳ね上がった。
「うふふふふふふ……」
「………!!」
取り出した凶器を携えてゆっくりと近づく神楽に対し、
鏡は必死で手錠を外そうともがいたが、無駄だった。
「動かないで」
神楽がそう言ったあと、刃物が布を裂くような音が聞こえ、
続いて明らかに力ずくで何かを破りさる音が聞こえた。
ここで一気に目隠し外す者が数十人現れ、目の前で拘束されている鏡の姿を網膜に焼き付けるように、
目を一杯に見開きつつ退場させられて行く。
晒し者状態の鏡はただ俯いて辱めに耐え、神楽はその様子をニヤニヤしながら楽しんでいたが、
ふとその視線が、ある退場者が落として行った目隠しに止まった。
「あら、これは思いつかなかったわ。ふふふ、折角だから使ってみましょうか」
鏡に目隠しを施すと、再度カバンをあさって次なる凶器を取り出す。
ヒュッ
という、風を切る音がした。
「……何だか、わかるかしら?」
凶器を振りながら迫ると、鏡はそれから逃れるようにして身をよじる。
神楽はそれを面白がり、体に当たらないギリギリでそれを振り回して焦らしたあと、
太股を狙って強かに打った。
「ああッ!」
初めて大きな声を上げた鏡に、またしても数十人が脱落。
目隠しを外したあともその場を動こうとしない不届きな輩が腕ずくで引き立てられて行く中、
続けて神楽は鏡を打った。
「あッ、くぅッ……!」
「あははは、ほらほら、見られてるわよ」
普段から考えられないような声を上げてのたうつ鏡の体を、腕、足、胸と容赦無く打ち、
時たま感覚を空けて相手の恐怖を誘うと、見えていない相手の意表をつき、頬に叩きつける。
なすがまま受身になっている鏡が上げる切ない声に、脱落する者が急増した。
「ねえ、見えない方が興奮する?それとも、自分が見られてるってわかった方が興奮する?」
「興奮してなんかいませんわ……!」
耳に口をつけて囁いた神楽へ、鏡は気丈に言い返す。
しかしその折れない態度が、神楽と、ついでに観客の心を更に煽る結果になるのだった。
「あっそ。じゃあ目隠しはそのままで、次は……と」
その次に神楽が取り出した物は音がしなかった。
また、美月を含む目隠しをしていない者たちの頭にも「?」が浮かんでいた。
見た目は、化粧水か何かの容器に見える。
が、その中から出てきた液体はやたら粘性があった。
それを見て、ようやく美月たち全員が(うわあ……)という呆れ顔になる。
観客たちと鏡は、今までと違って音でそれが何かを悟ることができなかったが、
それだけに不安と期待が膨らんだ結果、
「あっ……あああああああああ!!」
という屈辱的な声を上げさせられ、それに釣られて目隠しを外す者が続出した。
「ふふふ、染みるのかしら?それとも……」
神楽に塗りたくられたそれの冷たい感触が、打たれて赤くなった皮膚の上を通る度に、
鏡は自分の意思とは無関係に悲鳴を上げ、体をくねらせる。
そしてもちろん、神楽の手は傷跡以外も容赦無くなぞっていく。
この試合全体を通して、ここで目隠しを外した観客が最も多く、
また恐らく最もいい思いをしたと思われる。
「ああ……い、嫌ッ!」
更に神楽は、途中で目隠しを外した。
よくわからないぬるぬるを纏った自分の身体を弄られ、
それを他人から見られていることを恥じて赤面する鏡、
という一番良い構図が見られたのは、このタイミングでつまみ出された者だけである。
「はあ、はあ……」
神楽の手が落ち着くと、鏡はぐったりと頭を垂れた。
それを見て、神楽は最後の仕上げに掛かる。
「ふふふ……」
満面に邪悪な笑みを浮かべた神楽が取り出した物は、
これまでリング上から死んだ目をして試合を傍観していた美月でさえ、
思わずツッコミを入れずにはいられない代物であった。
「ちょ、神楽さん、それは……!!」
「んー?これ実は前回も使ったから大丈夫でしょ」
「いやダメ、絶対ダメ!!」
前回は神楽の使用方法が巧妙だったから見えなかっただけであり、
見えていたら色んな意味で絶対にアウトである。
何しろ、音だけでも危ない。
鏡と団体のイメージに大ダメージを与えることは間違いなかった。
「そこまでダメって言われると……使いたくなっちゃうわ!」
それを持って鏡に向き直った瞬間、神楽は金属で頭部を殴りつけられた。
「う゛っ!?」
倒れた神楽の両手をすかさず背中に回し、手錠で捕獲。
「ふん、余計な小道具が仇になりましたわね」
神楽を踏みつけながら、鏡は手錠の跡が残る手首をさする。
あの粘性のある液体が脱出の役に立ったようだ。
「ちっ、しまった……!」
あられもない姿のままで、立場を逆転した鏡は神楽をリングに転がし入れ、自らもリングに入った。
そして自分がされたように神楽のコスチュームを強引に剥ぎ取ると、
ついに自分が持ち込んだ凶器を取り出す。
この時、生き残った数少ない観客が聞いたのは、マッチを擦る音であった。
「げっ……!」
「ふ、ふふふふふふ……」
誰の目にも用途が明らかだったこの凶器を、馬乗りになった鏡は神楽の膨らんだ部分に近づける。
「熱ッ!ちょ、マジで熱いって!!」
これは神楽の趣味ではなかったらしく、ただ普通に熱がるだけであった。
鏡は構わず、徐々に垂らす位置を下に移して行く。
「ッ……本当にやめて」
紅潮した顔で初めて懇願する台詞を吐いた神楽に対し、
鏡もまたここで初めて普段どおりの表情を浮かべて返した。
「誰が」
さらに下へ行こうとする鏡に、神楽は本気で危機感を覚えた。
「いやホントにやめ……」
その時、心からどうでも良さそうな目で自分を見下ろしている美月に初めて気づく。
「ぎ、ギブ!ギブアップ!!」
というわけで、こうして試合としては一応の決着を見た。
神楽紫苑× (????→ギブアップ) ○フレイア鏡
※神楽が三度目の防衛に失敗。鏡が第18代王者に
しかし、鏡にとっては試合もベルトも関係無く、
前回と今回神楽にかかされた恥の仕返しをしてやりたいだけである。
当然手が止まるはずも無く、このあとはただ神楽の絶叫だけが夜の新木場に響き渡った。
「はあ……」
こうして、美月は観客のいなくなったリングを、何故か自分たちも帰ろうとしない先輩たちを残し、
ため息と共に後にした。