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『エンジェルカップ』最終日第四試合 フレイア鏡VSディアナ・ライアル

 霧子が用意させた専用の控室で、鏡は相変わらず他の試合を見ることなく、
 静かに試合前の調整を進めている。
「あら」
 第一試合の結果を聞いた時には、床に座り込んで柔軟体操をしながら小さく驚きの声を上げた。
「意外?」
「ふふ……」
 床に開いて投げ出した両足の間に上体を沈ませたまま、低く笑う。
「あの子が、唯一の楽しみでしたのに」
 鏡はゆっくりと上体を起こして立ち上がり、左右に分かれた銀の流れを肩の後ろに押しやった。
 その様子に、霧子は壁にもたながら惚れ惚れと見入る。
 細く長い手足に優美な曲線を備えた体のライン、更に銀の長髪が相まって、
 誰がどう見てもプロレスラーとは思えない。
 それでいてここまでの戦績が示すように、十分過ぎる強さを持っている。
 「いかにも」なプロレスラー像を嫌う霧子の、理想そのものであった。
「油断しないで。あのディアナという子も相当に……」
 わざと余計なことを口に出した霧子の横に手をつくと、
 鏡は霧子にしなだれかかるようにして上から顔を覗き込み、囁く。
「相当に?」
「あ、いえ……」
 特殊な嗜好は持っていないが、それでも霧子は自分が赤面していないか心配だった。
 ちょうど目の前にある鏡の白く塗った唇が、それ自体意思を持つように一語ずつ切りだしていく。
「私以外に、優勝者など、いるはずがありませんわ」
 それだけ言うと、鏡は身体を離して控室を出て行った。
「うふ、うふふ、そうよ、そうよね……!」
 期待通りの返答を得た霧子は、改めて鏡の優勝――単に次戦の勝利ではなく優勝を確信した。
 苦戦を強いられたと言えるライラと中森は既に敗退、
 渡辺に勝利した楠木はリーグ戦で苦も無く退けている。
 そして足が癒えたとはいえ、ディアナは万全とは言い難い。
 この中で、鏡が以外の一体誰が優勝できるというのか。
 霧子でなくとも、こう考えるのは無理なことではなかった。


(どうしてあげようかしら)
 そして当たり前のように鏡はディアナを舐めてかかった。
 ようやく治ったらしい左足か、どうにか血の止まった頭部か、
 それとも先ほど散々痛めつけられたと聞いた首か。
 ゴングが鳴っても、依然鏡はディアナの体を品定めするように眺めている。
「ふざけないでくだサいッ!!」
 ディアナは、鏡の態度に反発するように突っ掛けた。
 打ち返す間を与えずにエルボーで押し切り、ロープに飛ばして打点の高いドロップキック。
 倒れなかった鏡の右腕を掻い潜って背後に回り、振り向きざまのローリングソバットで倒して見せる。
 今夜二試合目というのに、ディアナのスタミナは一向に衰えない。
 しかし、身体に刻まれたダメージはそうはいかなかった。
 途中、鏡はこれまでのリーグ戦と同じく、狙いすましたスタンガンで流れを変えにかかる。
 これをディアナは、持ち上げられると同時に自ら飛び上がり、
 首を打ちつけられるはずだったトップロープへ両足で着地。
 この身体能力とバランス感覚は本当に驚異的としか言いようがない。
 だが、そこからバック宙しつつ鏡を飛び越えてリング内に舞い降りたディアナへ、
 会場中がため息を漏らしたその瞬間、鏡がラリアットで首を刈った。
「う゛っ」
 薙ぎ倒したディアナの首を踏みつけ、快心の笑み。
「うふふ、捕まえましわ」
 ここから、鏡の時間が始まった。

 まずは首を抱えて引き起こし、ゆっくりと首をねじ切るようなネックブリーカードロップ。
 すぐにまたボディに膝を入れつつ立ちあがらせてブレーンバスターで持ち上げ、
 ロープに相手の両足を引っ掛けて、落差をつけて放つエグいDDT。
 ディアナは、首を押さえながらもどうにか転がって場外に脱出。
 これを鏡は楽しそうに微笑みながら追いかけ、鉄柵へのスタンガン。
 そして場外を覆っているマットに手をかけ、大きく引き剥がしすと、
 剥き出しの床へジャンピングパイルドライバー。
 これまでのリーグ戦を総括するように、鏡はディアナの首を容赦無く攻めた。
「くぅぅ……!」
 それでも諦めることなく立ち上がるディアナの姿は、観客の人情と鏡の嗜虐心を一層に煽る。
「思ってたより頑張るのね。さあ、次はどうして欲しいのかしら……?」
「は、反則でス。離れなサい……ッ!!」
 上から圧し掛かられ、両手で首を絞められながらもディアナは言い返した。
 この期に及んでも毅然とした光を失わないディアナの瞳は、鏡の想像力をかきたてる。
 こういった相手がついに膝を屈する瞬間こそ、鏡にとっては何物にも代えられない楽しみなのだ。
 しかしここで、レフェリーのカウントも意に介さず締め続ける鏡に業を煮やし
 、ついにレフェリーが割って入った。
「やれやれ……ですわね」
 あくまで職務に忠実なレフェリーに、若干興醒めしたような様子で鏡が離れ、ディアナは身体を起こす。
(ま、マだ動く?ワタシの身体……!!)
 失われきった体力を気力で補い、ディアナは覚悟を決めて両足に力を込めた。
 間に入っているレフェリーと鏡の脇を一気にすり抜け、ニュートラルコーナーへ。
 一足飛びにコーナー上へ飛び上がり、ディアナは宙を舞った。
(低い……?)
 前回は華麗な放物線軌道を取ったディアナのムーンサルトアタックが、
 弧を描くことなく、振り向いた鏡目掛けて一直線に落下してくる。
 結果、鏡とディアナが逆さまになったまま抱き合うような形で重なった。
 そして落下の勢いに任せ、鏡を後ろに倒しつつ反対にディアナが両足をマットにつく。
 得意のツームストーンパイルドライバーの体勢だったが、
 そこから鏡は体格差を活かして体重を後ろに預け、また自分が両足をついた。
 しかし、足を必死にバタつかせたディアナが更にもう一度逆転。
 着地した瞬間、即両膝を折って鏡の長身をマットに突き刺した。
「ぐっ……!」
 受身が用をなさない垂直落下技を受け、一瞬視界が真っ黒になる。
 それでも、鏡は冷静に状況を見た。
 倒れた場所はリングの中央であり、真上を向いた視界にはいずれのコーナーも入っていない。
 落差のある飛び技は無い。
 そう漠然と頭で考えた鏡は、まさかここが試合の境目……というより終点であるとは読めなかった。
 ツームストーンを決めたディアナは、そのまま即座にロープへ跳躍。
 両足でしっかりとトップロープの反動を受けると、そこから振り向きつつ450°前方回転。
 必殺のフェニックススプラッシュを、なんとスワンダイブ式で放って見せた。
 コーナーより不安定な足場からいつも以上の勢いで舞ったディアナは、
 無防備な鏡の胴体へ垂直に交差する形で落下。
「がッ……!?」
 そして確かに、レフェリーはマットを三回叩いた。


 ×フレイア鏡 (8分55秒 スワンダイブ式フェニックススプラッシュ) ディアナ・ライアル○

「馬鹿な!どこを見ているの!?」
「そうよ!今ので三つ入ってるわけないでしょ!?」
 鏡と、エプロンに上がった霧子の猛抗議に対して、レフェリーは頑として突っぱねた。
 大半の観客が彼女らを無視して、勝利したディアナに惜しみない声援と労いの言葉を送る中、
 鏡はレフェリーを殴り倒してリングを下りた。
 確かに鏡は微妙なタイミングで肩を上げて見せたのだが、
 2.999と3の違いを客観的に証明できるはずがない。
「くっ……」
 カウント3を取れば勝ち。
 詰まるところそれだけの単純な事柄がプロレスの本質。
 そんな自分の理念を、霧子は鏡と共に唇を噛み締めながら嫌というほど味わったのだった。

by right-o | 2010-09-05 23:47 | 書き物