『エンジェルカップ』初日 第一試合 小川ひかるVSソフィア・リチャーズ

 第一試合開始前。
 TNA組は割り当てられた控え室に固まっていた。
(おや)
 初日は試合が組まれていないため、何をするでもなくボーっとしていたジョーカーの目が、
 小川にとまった。
 折り畳みの椅子に腰を下ろし、タオルを被ってうつむいている。
「小川が緊張している」
「真帆もキンチョーしてるぞ!」
 メロンパンを頬張りながら返事をしたパートナーに水を向けたことを後悔しつつ、
 ジョーカーは腰を浮かせた。
(しかしまあ)
 他の二人に振ったところで同じか、とも思う。
 鏡は頬杖を突きながら宙を見つめて自分の世界に入っているし、
 中森も何か一人で思いつめている様子だ。
 今日これから試合が組まれているというのに緊張とは無縁な二人だが、ちょっと可愛げがない。
 そこをいくと、普段は落ち着いていながら慣れない舞台で若手らしい緊張を見せる小川を、
 なんとなく構ってやりたくなった。
「小川」
「はいっ?」
 背後から両肩を掴まれた小川は、驚いて体を硬直させた。
 小川にジョーカーと会話した記憶はほとんど無い。
「余計なことは考えるな。どんな手を使ってでも勝つことだけを考えろ」
「……余計なこと?」
「イベントの開幕戦だとか、第一試合だとか、そういうこと」
 所詮今日は他所様の興行さ、とジョーカーは付け加えた。
「相手のガキは見たことがある。実力は大したことないが、硬くなってると付け込まれるぞ」
 ここで不意に控え室のドアがコンコンとノックされた。
 どうやら試合開始の時間ということらしい。
「リーグ戦とトーナメント戦では一試合の重みが違う。負けたらそこで終わりだということを忘れるな」
「はい。……ありがとうございます」
「よし、行ってこいっ!」
 立ち上がった小川の尻を叩いて、ジョーカーは送り出してやった。


 大阪府立体育センター別館の扉をくぐりながら、意外に広くないなと小川は思った。
 セレモニーの時と違い、満員の客が入った上でリング以外の照明が落ちているせいでもあるが、
 このことは小川を何となく落ち着かせた。
 流石に客席に目を向ける余裕は無かったが、イスの間の短い通路を通ってリングに上がると、
 既に入場していた対戦相手、ソフィア・リチャーズを冷静に観察することができた。
「ふん、さっさと始めなさいよっ!」
 こちらも緊張はしていないらしく、コーナーにもたれかかって毒づいている。
(これは、いけそうかも)
 慎重とか用心とかいった言葉とは無縁そうなソフィアを見て、小川はまた少し肩の力を抜いた。

(あらっ……)
 ゴングと同時に突っかかってくる――と思っていた相手が、
 意外にも腰を落として組み合う姿勢を見せたので、
 小川はちょっと肩透かしをくらった。
 が、それでも攻撃的な性格ではあるらしく、自分から積極的に動いて掴みかかってくる。
 対して小川は素早く身を屈めつつソフィアの脇をすり抜け、巧みにバックを取った。
「このッ!」
 ソフィアは背後に回った小川を強引な腰投げで振りほどこうとした。
 素直に前方へ投げられた小川は、左手をマットへついて体を浮かせる。
「わッ!?」
 次の瞬間、左手を支点にして体を回転させた小川の右足がソフィアの両足を一度に刈った。
 尻餅をついたソフィアへ、小川はさらにもう一回転。
(余計なことは、考えない……!)
 通常の試合であれば、いきなりこの技を使うことはなかっただろう。
 小川はソフィアの頭を両足で挟み込み、そのまま回転の勢いを利用して横に倒す。
 頭の上に乗るような、フランケンシュタイナーと同じ形でソフィアをがっちりと押さえ込んだ。
「え、ちょ……」
 こうして、エンジェルカップの開幕第1戦は30秒に満たない内に幕を閉じたのである。

 ○小川ひかる(0分27秒 月食)ソフィア・リチャーズ×


「ちょ、ちょっと待ちなさいよコラッ!!」
 3カウントと同時にリングから脱出した小川は、ソフィアに手を振りながらさっさと退場して行った。
「お前、……いくらなんでもなあ」
「どんな手を使ってでも勝たなきゃ、でしょう?」
 ものの数分で控え室へ戻って来た小川を、ジョーカーは苦笑とハイタッチで出迎えたのだった。


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by right-o | 2010-08-08 18:00 | 書き物