「ギロチンドロップ」 越後しのぶVSクリス・モーガン

 ニューヨーク、マディソンスクエアガーデン。
 1世紀以上の歴史を誇るアメリカスポーツの殿堂に、一人の日本人が足を踏み入れた。
 彼女の名前は越後しのぶ。
 今宵このMSGで争われる、IWWFヘビー級王座の挑戦者であった。
 白い鉢巻を巻いて入場ランプを下る越後の姿は、まるで時代が三十年も遡ったようである。
 同じように白鉢巻をして日の丸を背負った日本人が、今までに何人この会場に現れたことだろう。
 彼女たちと越後の違う点は、客席の反応に現れていた。
 満場の憎悪の中を歩かなければならなかったステレオタイプの日本人ヒールたちとは違い、
 越後は一定の敬意と期待をもって迎えられたのだ。
 多少のブーイングは、王者クリス・モーガンの絶大な人気の裏返しでしかない。
 越後の入場と同時に、この試合が一本勝負であることとIWWFヘビー級王座が懸かっていること、
 そして先入場の越後の出身地と名前が観客に紹介された。
 続いて大歓声とともにモーガンが現れてリングに足を踏み入れると、間を置かずすぐにゴングが鳴らされる。
 日本との形式の違いに戸惑うこともなく、越後は自分より20cm近く大きな対戦相手と向かい合った。
 金の長髪と古代の女神像のような肉体を持つ彼女は、
 まさに『天が生んだ逸材』と呼ばれるにふさわしいだけの才能と、それ以上の美しさを兼ね備えている。
 IWWFどころか、アメリカのプロレスそのものを象徴する存在であった。

「ふんっ」
 ロックアップで組み合うと、流石に越後は為す術なくロープに押し込まれてしまう。
 単純な腕力の差は歴然である。
 が、クリーンブレイクに観客が溜息を吐いた時、モーガンの右手が走った。
 重さのある見事な逆水平チョップ。
「Come on!!」
 手招きしながら後退するモーガンに、越後が応じる。
 バチッ、と火花が散りそうな音を立てて越後の逆水平が決まり、モーガンの表情が歪んだ。
 客席から歓声と溜息の中間のような声が漏れる中、越後はさらに右手を振るう。
 たちまちモーガンの真っ白い肌が赤く染まった。
 モーガンも負けじとやり返すが、今度は越後が打撃でロープまで追い詰める。
 そしてロープを背負ったモーガンへミドルキックを一閃。
 聞き慣れない鈍い音が響くと、客席は意外にも感嘆と歓声満たされた。
 このハードヒットを伴うジャパニーズスタイルこそ、
 会場に集った観客たちが越後に期待していたものだったのだ。

 試合は越後の鋭すぎる打撃とモーガンのパワーが均衡する展開が続いたが、
 見た目にはモーガンが押されているように見えた。
 白磁のようだった肌が、所々でピンク色を通り越して痛々しく腫れてしまっている。
「しッ!」
 もちろん越後はそんなことで躊躇しない。
 太股に鞭のようなローキックを放ち、一度前に傾いたモーガンの上体を今度はミドルキックで跳ね上げる。
 このまま越後が押し切るかに見えた時、モーガンの体が小刻みに震え始めた。
「む……?」
 同時に客席が沸き立ち始めたことに違和感を覚えつつも、越後はさらに蹴り続ける。
 が、モーガンは蹴られながらも踏み止まった。
 瞬間、前髪を振り上げて越後を睨みつける。
「You……!!」
 越後を指した指がチッチッと左右に振られ、これがモーガンの反撃の合図。
 重たいナックルパートを打ち込んでロープに押し込み、反対側に振ると、
 跳ね返ってきた越後の顔面を正面に振り上げた右足で蹴り飛ばした。
 越後が仰向けになったところで、一旦コーナーに寄りかかってタメを作れば、
 観客はもうそれだけで熱狂の渦を生み出している。
 そして越後の傍で垂直に飛び上がったモーガンは、振り上げた右脚の下に越後の頭を押し潰した。
 この世界一美しいギロチンドロップこそモーガン絶対の必殺技であり、
 これまで幾多の挑戦者を破ってきた彼女の代名詞である。
「………っ!?」
 しかし、今夜の相手はこの技をギリギリでクリアした。
 どよめいた観客たちを静めるように放たれた二発目をかわして自爆させ、
 逆にモーガンを引き起こしながら鳩尾へニーリフトのお返し。
 悶絶して上体を屈ませたところへ、さらに技名通り斬り捨てるような正確さの延髄斬り。
 こちらは越後の必殺技だったが、モーガンは倒れることなくこれを堪えた。
(流石だ……!!)
 感嘆しながらも、越後にはまだ手があった。
 正面に回り込み、下がりきったモーガンの頭を両足に挟む。
 まさかの声が上がる中、越後はモーガンを高々とパワーボムで持ち上げきってみせた。
 そこから一気に叩きつけ、体全体を浴びせてのフォール。
「やった……ッ!!」
 越後らしくないことだが、この時ばかりはカウント3が入り終わる前に両手が自然と真上に突き出ていた。


『Please come back!!!Please come back!!!』
 全ての観客が口々にそう叫ぶ中、日本人初のIWWFヘビー級王座となった越後は、リングの上でベルトを掲げた。 
 それまでてっきり自分をなじっているものとばかり思い込んでいた声が、
 興奮が醒めるに従ってそうではないことに気づく。
「な、何て言ってるんだ?」
 思わずさっきまでのチャンピオンに聞いてしまった。
「そうね……『逃がさないぞ』って言っているのよ。
 そのベルトを持ったからには、日本に勝ち逃げするなんて許されないわ」
 来日経験の豊富な元王者は笑ってそう答えた。
「望むところだ!」
 こうして越後は、しばらく日米を股にかけた忙しい日々を送ることになったのだった。

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by right-o | 2010-05-05 11:05 | 書き物