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「ハイフライバム」 ノエル白石VS杉浦美月 後編

 前を見ていたはずの視界に天井の照明が映り、次いで白いマットが壁のように迫ってくる。
 ノエルの腕に引っ掛けられた首を支点に、美月はその場で綺麗に一回転した。
 顔からマットに激突したあと、何が起こったか把握する間もなく喉の痛みにのたうちまわる。
 たった一発での形勢逆転。
(こんな……)
 これまでノエルの試合では何度か見てきた光景ながら、自分でやられてみると不条理極まりない。
 相変わらずの無表情で美月の身体を裏返すと、ノエルはゆっくりとその両肩を押さえ込んだ。
「……うぅッ!」
 先ほどのノエルよりも際どいタイミングで美月が返し、「おお……」という意外そうな声が客席から上がる。
 ここから美月にとって試練の時間が始まった。

 カウンターのラリアットをクリアした美月へ、まるでぬいぐるみでも投げているようなボディスラム、
 フロントスープレックスに続き、今度は自らが走り込んでのラリアット。
 これもカウント3ギリギリで返されると、ノエルは、美月を肩の上でうつ伏せに担いだ。
 決め技の体勢だが、これを美月は再度の高速横十字固めで切り返してみせる。
 この技は元々ノエルの必殺技を切り返すために編み出されたものであった。
(負けるか……負けるか!)
 歯を食いしばり、今まで見たこともないような必死の形相で立ち上がった美月は、
 今度はノエルに向かって真っ直ぐに突進する。
 しかし片足立ちになっていたノエルは、その低い姿勢のままで美月の懐に飛び込み、小さな胴体を右肩で受け止めた。
 一度立ち上がって美月を浮かせ、担ぎ上げた美月の両足をそれぞれ引っ張りながら自分は開脚して尻餅をつく。
 スパインバスター、という力技である。
 美月の背中を思い切り叩きつけたノエルは、ついに本気で試合を終わらせにかかった。
 パイルドライバーを挟み、続けざまにパワーボムで友人を軽々と抱え上げると、
 「く」の字にマットへ打ちつけた美月の上へ全体重を乗せてフォールへ。
 これを返された時、ノエルははっきりと目を見張っていた。
「ハァ、ハァ……!」
 うつ伏せで横に向けた口を半開きにしている美月の、一体どこにそんな力が残っているのか。
 どう見ても死に体だが、フォールを返される限り試合は続けなければならない。
 友人の左手首を左手で掴んだノエルは、肩が抜けそうな勢いで美月を引っ張り、強制的に自分の前へ起立させた。
 と同時に右腕を振り抜き、美月を薙ぎ倒す。
 起こしては倒す、という行動を五回繰り返したあと、両足を抱え込んでのエビ固めでがっちりと全身を押さえ込んだが、
 それでも美月は死ななかった。
「み、美月ちゃん……!?」
 これまでの美月からは想像もできない粘り。
 とはいえ自分から動ける状態ではないため、またしてもノエルによって引き起こされ、今度はブレーンバスターの体勢へ。
 あっさりと持ち上げられて地面と垂直になったところで、美月はようやく自発的に動き出した。
 垂直落下式のブレーンバスターで叩きつけられる寸前、右膝を真下に落としてノエルの頭頂部を一撃。
 ノエルの首に掛かっている腕を放さないまま背中で着地し、DDTに切り返して見せる。
「……!!」
 流石のノエルも動きが止まった。
 すぐに立とうとしても足が動かず、膝立ちの姿勢で固まってしまう。
 そんなノエルより早く立ち上がっていた美月は、
 このあと自分が何をしたかを、後に映像で見るまでよく思い出せなかった。
 実際のところは、まず左右の手で思い切り友人の顔を張り倒し、右脚を側頭部に振り抜くと、
 返す足でトラースキック気味に額を蹴り飛ばしたのだった。
 それでも立ってこようとするノエルの首根っこを捕まえて再度DDTを決めると、
 両者とも糸が切れたように動かなくなる。
 しかし少しずつ、目を真っ赤にした美月は這ってノエルから離れ始めた。
(コーナーに……)
 この日のために練習した技を放つため、美月はただコーナーに上りたい。
 しかし何度も頭に衝撃を受けたせいか、むしろロープの真ん中に近づいていた。
 マットを這っていた手がロープの下をくぐってリングの縁を掴んだ時、初めてそのことに気がついた。
(コーナーもロープも変わるか……!)
 エプロンに出た美月がロープを支えに立ち上がる。
 リング中央のノエルは、寝返りをうつようにして仰向けに姿勢を変えた。
 すぐには動けそうもないが、上下する胸は確かな呼吸が息づいている証拠である。
 目を真っ赤に充血させた美月は、その息を断つためにトップロープへ飛び乗った。
 足元の感触の違いなど気にする余裕も無い。
 とにかくノエル目掛けて飛び上がり、身体を縮めて回転しようとする。
(あ……)
 この時美月の両足はロープの反発を確かに捉えていたが、遠く高く飛ぶことに注意が向きすぎたらしい。
 気がついて背中を丸め始めた時には、とても間に合うとは思えなかった。
 もうどうにでもなれ、と投げた時、やわらかい感触が背中を包んだ。


「美月ちゃん!美月ちゃん!!」
 相羽が必死に呼びかけても、美月は一向に反応を示さない。
 ノエルまで心配そうな視線を送る中、美月は用意された担架で搬送されていった。
 ぐったりと横たわった小さな身体の上に、金色のベルトが掛けられていた。
 
by right-o | 2010-03-22 16:04 | 書き物