「KUBINAGE」「逆打ち」 ノエル白石VS杉浦美月 前編
その初防衛戦の青コーナーに、美月が立っていた。
「ジュニア規格外」という言葉そのものの強烈な腕力を誇る初代王者に、
これから誰がどのように挑むのか注目されていた中にあって、何の実績もない若手の挑戦はいささか拍子抜けだったと言える。
が、当の美月にしてみれば、周囲の評価を気にする余裕などなかった。
(勝てなかったら、辞めよう)
本気でそう思っていた。
他人から見れば滑稽なことながら、デビュー二年に満たない美月は自分の才能を見限っている。
「二人ともガンバレー!!」
どちらのセコンドかわからない相羽が声を上げる中、両者はリング中央で暫く見合った。
ノエルの方はいつもと変わらない無表情、対して美月は汗をかきそうなほど緊張している。
正面から向き合っては何をしても通じる気がしないのだ。
組んでも打ち合っても腕力の違いがものを言うし、それに対抗できるようなスピードも無い。
ひたすら相手の出方を見て、ミスに付け入る以外に考えられなかった。
幸いノエルはそんな相手の事情に構いはしない。
真正面から両手を伸ばして組み合おうと距離を詰めた。
(今ッ)
その脇を屈んですり抜けながらノエルの両足にまとわり付き、美月は背後を取りながら足を掬って倒すことに成功した。
すぐさま側面に滑り込んでサイドヘッドロック。
頬骨に沿って腕を巻き付けながら体重を後ろにかけ、うつ伏せにしたノエルを立たせない。
じりじりと這い進んだノエルがロープに手を伸ばせば、その手を取って脇固めに移行し、さらには素早く腕を捨ててSTFへ。
最終的に足も捨てた美月は、細い腕をノエルの首に絡ませ背後からの胴締めスリーパーで極めにかかる。
見た目にはノエルを思うさまにコントロールしているようであった。
が、うつ伏せのままでいいようにやられていたノエルは、背中に美月を背負ったままで両手をマットにつき、次いで片膝を立てた。
(まさか……っ!)
なんとスリーパーホールドを仕掛けられたまま立ち上がったノエルは、背後にくっついている美月の頭を両手で挟む。
「ん……!」
そのまま力任せに真上へ引っ張り上げ、しがみついている美月を強引に引きはがしながら、
腕の力だけで自分の頭上へ掲げて見せた。
そしてリングの中央へ向き直り、宙吊りにした美月を前方へ軽々と投げ捨てる。
(やっぱりダメか……)
マットに背中から叩きつけられた美月は、圧倒的な身体能力の前に技術は通用しないということを再確認していた。
しかし、小手先の技術で勝負にならないことは事前にわかっている。
ここからが美月にとって本番であった。
「ふんっ」
引き起こされてロープに飛ばされた美月は、ノエルの数歩前で大きく踏み切った。
両足を開いてノエルの頭を挟み込み、その周囲を半回転してのヘッドシザースホイップ。
思わぬ飛び技に意表を突かれたノエルが場外に転げ落ちると、すかさず美月が反対側のロープへ走る。
(どうにでもなれッ!)
トップロープとセカンドロープの間から飛び出した美月が頭から突っ込み、ノエルの身体を場外の鉄柵に突き飛ばした。
見様見真似の付け焼き刃、美月らしからぬ勢い任せの空中技に見えたが、それも美月なりに考えた末のことである。
とはいえ突っ込んだあとのことは考えていなかったので、特に何をするでもなくノエルをリングに転がし入れると、
美月は一気に勝負を決めに行った。
立ち上がったノエルの右腕に自分の右腕を絡め、そのまま背後に回り込むように飛びついて右足を左腕に引っ掛ける。
「ん……!」
このまま後ろに倒れ込んで相手の両肩を押さえ込むのが「横十字固め」というフォールだが、
美月はそうせず、逆に宙ぶらりんの左半身を持ち上げて勢いを溜めた。
そして倒れるまいと気張っていたノエルの力が弱まった一瞬、体重を一気に後ろへ預ける。
後ろに向かって思い切りひっくり返ったノエルは後頭部を強打。
そこを美月は横十字固めと同じ要領で押さえ込んだ。
(決まれ……ッ!)
必死にそう願いながら、美月は生涯で最も長い二秒半を過ごした。
が、三秒は待てなかった。
三回目にレフェリーの手がマットを叩く直前、折れ曲がっていたノエルの身体が勢いよく伸びて美月を跳ね飛ばしたのだ。
「くっ」
立ち上がろうとしたノエルが後頭部を押さえているのを見て、悔しがる間もなく美月は奮い立った。
自分からロープへ飛び、もう一度ノエルへ飛びつこうとする。
目標への距離を考え、歩数を考慮して踏み切るタイミングを図った。
このあたりが付け焼き刃の限界と言えるかも知れない。
飛び技に慣れない美月は、ノエルが一歩大きく踏み出したことに気づかなかった。
「……ぶっ!?」
何気なく振り回したように見えたノエルの右腕が、美月の首を刈り取った。