それいけ、鏡さん……?

 ヒールでありながら、フレイア鏡は絶大な人気を誇るスターであった。
 浮世離れしたルックスとそれに伴うカリスマ性もさることながら、
 恵まれた体格に重厚なテクニックを兼ね備えた硬軟自在の試合巧者として、リング上の才能にも恵まれていた。
 そんな現役のスーパースターの姿が、いつからか社長の傍にあることが多くなった。
 モデル並と形容される脚線美をタイトスカートに包んで付き従う様子は、「社長秘書」という言葉にふさわしい。
 とはいえ、会社から正式な秘書に任命されたわけではなかった。
 つまり社長が個人的な都合で連れ歩いていたわけで、当然社長の周囲の人々は眉をひそめたが、
 事情を知らない人から見れば鏡の姿は秘書そのものであったし、
 また正式な社長秘書とも表面上はうまくやっていたので、大きな問題にはならなかった。
 
 そんなある日、社長が何者かに襲われるという事件が起こる。
 興行終了後、遠征先の駐車場にて誰かと待ち合わせをしていたらしきところを、背後から鈍器で殴られたのだ。
 後頭部に深刻な怪我を負った社長は、命こそ失わなかったものの意識不明の重体に陥る。
 二人の目撃者の証言によって割り出された容疑者は、団体に所属するレスラーであった。
 そのレスラーは鏡と並ぶほどの大物であったが、このところ自分の扱いが悪いことに腹を立て、
 原因が社長であるとして恨みを持ち、犯行に及んだ――
 短絡的過ぎる推理ではあったが、日頃容疑者の素行があまりに悪かったのと、
 事件の翌日から姿を消していたことから、何か引っ掛かるものを感じつつも、多くの人がこの説を信じざるをえなかった。
 

「どうして、こんなことに……」
 鏡はリングの上から、会場とテレビの前のファンに向かって、社長の身に降りかかった惨事を説明していた。
「……さらに残念なことは、犯人が既に特定されていて、それがこの団体の……」
『まだ決まったわけではありません』
 悲痛な面持ちで語る鏡の言葉を、大型スクリーンに現れた人影が遮った。
 井上霧子。
 以前から社長の下で働いていた、正式な社長秘書である。
『社長の容態と捜査状況について、収容先の病院より、私からも皆様に報告させていただきます。
 社長の意識は依然として戻りませんが、捜査の方は進展がありました』 
「本当ですの!?」
 ここで一旦表情を明るくしてみせたのが、色々な意味で鏡の非凡なところだろう。
 それを見て、霧子の眉間が寄った。
『……ええ。事件現場の近くに備え付けられていた防犯カメラが、犯行の瞬間を捉えていました。映像をご覧下さい』
 画面が切り替わり、確かに社長らしき男が何者かに背後から殴り倒されるシーンが映し出された。
 しかしその映像は白黒で、またかなり遠目からの撮影だったらしく、決定的瞬間は画面ギリギリに小さく展開されるだけだった。
「遠すぎます。これでは……」
 落胆の色を示した鏡に対し、霧子の方はそろそろ自制心が限界にきていた。
『……最近の技術というのは凄いものでして、一部分だけ鮮明にして拡大することも可能なんですよ』
 凶行の瞬間だけが何度も繰り返して再生され、そして繰り返されるたびに、
 その部分だけが次第に大きく拡大され、少しずつ鮮明になっていく。
「くふっ、……ふふふふふ」
 六度目に映像が繰り返された時、そこには明らかに鏡本人と思われる人間が、
 一体何に使うのかわからないほど巨大な金槌を、立った社長の後頭部に振り下ろす瞬間が映っていた。
「ふふふ。迂闊でしたわ。まさか防犯カメラがあるだなんて」
 一転して歪んだ笑みを浮かべる鏡に、ついに霧子は激昂した。
『社長はうわごとであなたの名前を呼んでいます!あなたに全部任せるって……!!』
「それはそういう風に仕込みましたもの。ちなみに同じ内容が文書の形で鞄の中に入っていたはずですわ」
『貴女という人は……!!』
 大画面で歯ぎしりする霧子の顔を面白そうに眺めながら、鏡は続ける。
「私、欲しいものは何でも手に入れないと気が済みませんの。お金も名誉も、それに人の心も」
『手段を選ばずに奪い取って、それで飽きたら捨てるというの!?』
「確かに手段は選びませんけれど、欲しくて得たお金を捨てた覚えはありませんわ」
「ッ……!?」
 言葉の意味するところを悟って、霧子は怒りのために目眩を覚えた。
「そう、計算違いと言えばもう一つ、濡れ衣を着せた相手が行方不明になるとは思いませんでした。
 あの女はどこにいるんですの?」
『……彼女なら』
 落ち着きを取り戻した霧子が答えるより早く、当初の容疑者が入場ゲートに姿を現した。
 ボロ雑巾と化した二人の目撃者――村上姉妹――の襟首を片手で引き摺り、
 もう片方の手には有刺鉄線を巻いた角材を肩に担いで持っている。
 霧子とは異なる種類のものながら、目に見えそうな怒りのオーラを漂わせたライラ神威が、
 一歩ずつリングに向かって歩みを進め始めた。
「日頃の行いの悪さを悔いる、良い機会だと思ったのですけれど」
 人の神経を逆撫でする言葉を更に吐きながらも、鏡はさっさとリングを下りて逃走する姿勢を見せた。
『逃げると思いました。恐いでしょうから』
「ええ、だって丸腰ですもの」
 背中を向けつつも口の減らない鏡に向け、霧子は最後に言い放った。
『今日のところは逃がしてあげます。けど一週間後、あなたには必ず地獄を見てもらいますから……!!』
 観客の合間を縫って逃げる鏡を、村上姉妹を放り出したライラが一目散に追っていく。
 こうして、ある一つの凄惨な試合の舞台が用意されたのだった。


 ちなみに、何故そんなに都合良く防犯カメラがあるかとか、
 何故人を故意に殺しかけておいて警察に掴まらないかとか、細かいことを気にしてはいけない。

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by right-o | 2009-11-22 01:29 | 書き物