「火の玉ボム」「グラウンディング・シューティングスター」 菊池理宇VS武藤めぐみ


 とある大きな団体でのお話。
 この団体には、天才と呼ばれ、その将来に大きな期待をかけられた一人のレスラーがいた。
 武藤めぐみ。
 抜群の身体能力とプロレスセンス、ついでに客ウケする容姿まで兼ね備えた彼女は、
 マイクアピールがちょっと下手なのが玉に傷だが、
 大げさに言えば、その団体どころか業界全体の次代を担う存在として注目を集めていた。


 今日はそんなめぐみが、初めてタイトルマッチに挑む日だった。
 迎え撃つ王者は菊池理宇。
 団体に二つあるシングルベルトの内の一つ、
 いわゆる中堅層が奪い合う方のベルトを長く守ってきた菊池としては、
 急成長してきた若手に対し、この辺りで先輩の威厳を示しておきたいところである。

「っ!?」
 試合はまず、めぐみの強烈なローキックから幕を開けた。
 続けてもう一発入れてから、更にミドルキックへと繋ぐ。
(そっちがその気なら…!)
 打撃でやり合うのは菊池としても望むところ。
 背の高いめぐみへ飛び掛かるようにしてエルボーを返し、一歩も退かない気合を見せる。
 が、何度目かの応酬の時、菊池が振り抜いた肘が虚しく空を切った。
「えっ?」
 菊池の肘に合わせて、めぐみは自分から勢い良く後ろに倒れ、
 頭を下にして体を丸めていたのだ。
 その状態から身体のバネを使って即座に立ち上がると、
 意表を突かれた菊池へ、側頭部を狙ってのハイキック。
「うっ…!?」
 思わず腰を落とし、上体だけを起こして座り込んだ菊池に向かい、
 めぐみはさらにその胸板へローキックを蹴り込む。
 しかし菊池もやられっ放しではなかった。
 正面から来るめぐみの右足に合わせて自分から体を倒し、
 マットへ仰向けに寝る形でめぐみの足をやり過ごしたのだ。
(私だって、これぐらい…!)
 めぐみの赤いリングシューズが音を立てて目の前を通り過ぎたあと、
 当然菊池はすぐに起き上がろうとしたが、
「はっ」
 ローキックを避けられためぐみは、振り抜いた右足の勢いに任せて体を90°旋回させ、
 横になった菊池に背を向ける形でその左側面に立ち、バック宙。
 ふわりとその場飛びのムーンサルトで舞い上がり、起き上がりかけていた菊池を華麗に押し潰した。
(な、なんなの…)
 変幻自在としか言いようの無い動きで、まずは天才が試合のペースを握るのだった。

 とはいえ、やはり菊池も押されてばかりではない。
 ヘッドバットなど、負けん気を露わにした無骨な攻めで強引に流れを引き寄せると、
 めぐみの背後に組み付いてバックドロップの体勢へ。
「やぁッ!!」
 右脇の下に頭を差し入れたような状態から、左腕を相手の首の後ろへ回して左肩へ掛け、
 右腕は右の太股を下から支えるように股の間を通す。
 菊池はそのまま、自分より10cm大きい相手を背後より持ち上げた。
 そして上げきったところで肩に掛けていた左腕を放すと、
 そのまま開脚して尻餅をつき、変形のシットダウンパワーボムでめぐみをマットに叩きつけたのだった。
(一気に決める!)
 菊池はフォールが返されるのを待たずに自分から立ち上がると、
 ぐったりしためぐみを引き摺ってコーナーの前へ。
「いくよッ!!」
 一気にコーナートップへ飛び上がり、得意技のシューティングスタープレスで勝負に出た。
 宙返りしながら前方に飛ぶ、という、高低差が可能にした矛盾する動きで、
 今度は菊池がめぐみを押し潰しにかかる。
 しかし、めぐみの肩が上がらなかったにも関わらず、レフェリーはカウントをツーで止めた。
「なっ、どうして…!?」
 レフェリーが指で示した先に、めぐみの長い足がかろうじてサードロープに引っ掛かっていたのだ。
 こういったキャリアに似合わない冷静さも、めぐみの大物感を表す一部分かも知れない。
「くっ…!」
 ただ一旦は微妙な勝負のアヤに泣いても、以前菊池が優勢なことには変わりがない。
 今度はリング中央にめぐみを立たせ、
 エルボーの連打から会場中に鈍い音を響かせてのヘッドバットで棒立ちにさせると、
 正面のロープを飛び越えてエプロンに立つ。
(今度こそ!)
 トップロープを踏み台にして飛ぶ、見事なゼロ戦ミサイルキックだったが、
「…シッ!」
 逆転のチャンスを窺っていためぐみは、すかさず身をかわしつつ、
 体を横にして飛んでくる菊池へ強烈なミドルキックを入れて撃ち落とした。
「いっ…!?」
 驚きながらもすぐに立ち上がろうと膝をついた菊池に対し、さらに側頭部を蹴りつける。
 右から、左からと足を振り抜いて尻餅をつかせたあと、
 起きている上体へのローキックを今度は完璧に決めて薙ぎ倒し、完全なダウンを奪った。
 そこからめぐみはフォールへ行かず、横になった菊池の側面にあたるロープに向かって走り込む。
(まだま…だ…!)
 頭を揺らされ霞がかった意識の中、菊池は、
 高低差の全くない地点から、“宙返りしつつ前方に飛んで”自分に降ってくるめぐみの姿を見ていた。
 その場飛びのシューティングスタープレス、という目を疑うような挙動を、
 めぐみは全く初めての挑戦であっさりと成功させたのだった。


「あ、いりません」
 大歓声の中、めぐみは自分に贈られようとするベルトに対して両手を振って拒否し、
 代わりにマイクを要求した。
 この反応を見て、客席は冷めるどころか逆に盛り上がりを高める。
 こんなベルトは要らない、欲しいのは一番権威のあるベルトだけ――
 ファンとしては、大体こんなふうな内容の発現を期待していたのだろう。
 だが、
『あの、ええっと』
 プロレスラーとは思えない“素”のテンションで語り始めためぐみは、
『しばらく旅に出ます。探さないでください』
 頭を掻きながらそれだけ言うと、頭上に疑問符を乗せた観客をそのままにして、
 自分はさっさと引き上げてしまう。
 何とかと天才は紙一重と言うけれど、
 プロレスの天才も、他人には理解できない自分だけの世界を持っているらしかった。

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by right-o | 2009-05-31 14:47 | 書き物