「アイアンクロースラム」 アリス・スミルノフVS南利美

 アリス・スミルノフがまだ駆け出しだった頃、一時酷いスランプに陥った。
 技巧派の揃ったEWAには珍しいパワー型のレスラーであり、
 当時まだまだ未熟でもあった彼女は、試合の度に対戦相手の華麗なテクニックに翻弄されていた。
 そんなある時、その日も試合に惨敗を喫したアリスは、
 共用の控え室に帰るなり、他の誰かへの差し入れと思われる果物かごの中から一つのリンゴを取り出し、
「畜生ッ!」
 の一言と共に、怒りに任せてリンゴを握った手に力を込めた。
 するとリンゴは一瞬で飛沫になって飛び散り、果汁まみれの掌にはいくつかの欠片だけが残った。
「……!?」
 同僚は驚きの目でアリスを見ていたが、アリスもまた、自分の掌をしばし呆っと見つめていた――

(―と、こうして自分の隠された才能に気づき、その後レスラーとして大きく成長した。…なんて、本当かしら)
 南はリング上で本人と相対しながら、アリスの宣伝用プロフィールを思い出していた。
 彼女はこれから、来日したアリスの初戦の相手を務めるのである。
(まあいいわ。どれほどのレスラーか、今から手を合わせれば嫌でも分かることだし)
 身を沈めて構え、南が余分な思考を消すと同時に試合開始のゴングが鳴らされた。


 初参戦の外人レスラーに対し、観客はもちろん団体の選手達からも注目が集まる中、
 序盤でアリスが周囲に与えた印象は「意外に器用」というものだった。
 どう見てもラフファイト主体のヒールレスラーにしか思えない外見とは裏腹、
 技巧派の南に対して互角とは言えないまでも、腕の取り合いやグラウンドでそれなりについて行っている。
 このあたり、流石にEWAのレスラーだけはあるということだろう。
 しかし、技比べではやはり南に大きく分があったようで、アリスは次第に押されて行った。
 そんな展開の中、アリスは本性を現すと共に、先程とはまた別の意味での「器用さ」を見せる。
 コーナーに追い詰めたアリスを、南が対角線に振った時、
「フンッ!」
 と、アリスは一息で飛び上がり、振られたコーナー両側のトップロープを足場に外を向いて立つと、
 意外な動きに意表を突かれた南へ向かって後ろ向きのまま飛び掛り、空中で振り向きながらのダイビングクローズライン。
「うっ!?」
 棒立ちになっていた南の首を刈り倒すと、さらに引き起こして力任せのブレーンバスターで叩きつけた。
「気まぐれでちょっと大人しくして様子を見てやろうかと思ったけど、やっぱりアタシの柄じゃないねッ!」
 そこから一気にパワー全開、アリスが本来のスタイルを披露し始める。

(やっぱり見た目通り、力押しでくるタイプか…!)
 対して受けに回った南も、もちろんやられっ放しではなかった。
 むしろこの手合いのあしらい方を、南のような技術を売りにするタイプは当然に心得ている。
「遅いッ!」
 アリスがハンマーのように振り回した両手を掻い潜り、南は素早く正面から相手の首へ右腕を巻きつけると、
 そこから一気に体重を前に預けながら足を刈って、STOのようにテイクダウン。
 そしてわざと何も仕掛けず、そのままフォールへ。
「チッ!」
 余力を見せつけるように大きく上がったアリスの左肩を、間髪入れず南の両手が固定していた。
 あえてフォールを返させ、油断した瞬間を狙ったサザンクロス・アームロック。
 知らない相手はまず間違い無く引っ掛かる南の罠が、完璧にアリスを捕えた。
「ぐぁ…ッ!!」
 南は躊躇せず力を込め、一瞬で極めにかかる。
 思わずアリスの空いた右手がマットを叩きかけたが、寸前で止まった。
(我慢強いわね…!)
 ならばとさらに深く極めようとした時、不意に南の視界が暗くなった。
 同時に左右のこめかみに激痛を覚え、アリスを捕まえていた手から力が抜ける。
「な…ぁ…!?」
「ケッ…、そう簡単に負けられるか!」
 右手を上になった南の肩越しに大きく回し、アリスが南の額を鷲掴みにしているのだ。
 アイアンクロー。
 技自体は有名でも、今時なかなか目にする機会の無い古典技である。
「くぅっ…!」
 親指と薬指がこめかみに食い込んで起こす、今まで体験したことの無い種類の痛みに、
 南はつい両手でアリスの右手を掴んで防ごうとしてしまう。
 これで完全に自由になったアリスは、焦らずゆっくりと立ち上がった。
「ギブアップはしそうにないか。それならぁッ…!」
 頭を掴んだまま、立っている南の足を刈ってのSTO。
 受身の取りようも無く後頭部をマットに激突させて倒れた南に対し、
 アイアンクローをかけられた姿勢のままでフォールが数えられる。
「ッ!?」
 南はなんとか体をよじって肩を上げたが、
「ほう、根性あるなぁ。ならもっと痛い目を見せてやろうか!!」
 アリスは右手に一層の力を込めると、やはりアイアンクローをかけたままで南を強引に引っ張り起こす。
 そこから真上に持ち上げ、今度は高さを加えて南の頭をマットに叩きつけた。
 相手の頭を掴んで、チョークスラムの要領で落とす。
 頭を固定され、どんな名人でも受身の取れない一撃が完璧に決まった。


「…ハッ、どうやら日本では楽をさせてもらえそうだな。
 今日から一人ずつ、この団体の奴らを握りつぶしてやるよ!!」
 リング上で悪態を吐くアリスに対し、会場のファンも裏で見ていた選手達も、
 好き嫌いはともかく既に一目置いていた。
 この試合で見せた彼女の実力と決め技は、大きな印象を残すことに成功したのだ。
 そして話の真偽は不明だが、団体の宣伝は当たりそうだった。

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by right-o | 2009-03-15 23:13 | 書き物