「張り手」「ナックルパート」 サンダー龍子VS八島静香

 TNAの経営がだいぶ軌道に乗った頃の話。
 霧子は、「ロックダウン」という全ての試合が金網戦で行われるPPVに向けての準備を進めていた。
 カードも大方決定し、後はメインをどうしようかという段になった時、
 急に、新女から殴り込みがあるという情報が耳に入った。
(何が楽しくて、わざわざ他団体の興行まで押しかけて来るんだろう)
 という感覚が、この団体の人間にはある。
 基本的に鎖国の方針を採ってきたせいか、
 他の団体に出掛けて行ってまで自分達の優位を証明したいとも思わないし、
 逆にこちら側へ殴り込まれた場合にも、意地になって迎え撃とうという気にならない。
 大体、マッチメイクを組む霧子の側からして、「頭数が増えてラッキー」ぐらいにしか
 考えていないため、例えばトップ同士のシングル対決のような、
 両団体の対立を浮き立たせて煽るようなカードを組んだりはしない。
 せいぜいタッグか六人タッグでお茶を濁す程度である。
 そして今回も、
(提供試合ってことにして、新女同士で前座でもやってもらおうかしら)
 などと考えていたところ、珍しく団体の軟弱な方針に異議を唱えるレスラーが現れた。
「あいつらに舐められてたまるか!!」
 と言ってきたのは、他でもない世界王者のサンダー龍子である。
「今までそうやって軟弱な対応をしてきたから、ウチは甘く見られてるんだよ!」
 こう迫られても、
(…そういうものかしら?)
 ぐらいにしか霧子は感じなかったが、ちょうど龍子の出るメインが空いていたこともあって、
 とりあえず新女組の頭である八島静香とのシングルマッチを組むことにした。


 両者が金網の中で組み合ってスタートしたこの試合、
 互いに派手な力技がぶつかり合う、プロレスの醍醐味のような戦いになる――
 ように思われたのは、開始からほんの数分だけ。
「せいッ!」
 と、いつも以上に容赦の無い、龍子の強烈なステップキックが八島の額に決まってから、
 試合の流れが一変する。
「テメェ……!」
 反撃を待つかのように悠然と構えている龍子の前で、
 怒りに燃える八島がゆらりと顔を上げた。
 蹴られた部分には、靴紐の跡がはっきりと残っている。
 目を据え、改めて向かい合った二人は、無言のまま頭を擦るような至近距離で睨み合った。
 そして突然、
「ざけんじゃないよッ!!」
 大きな気合と一緒に、その自分の声を掻き消すほどの音を立て、
 八島の大きな掌が龍子の横っ面を張り倒す。
「がっ…!?」
 龍子としては、怯まずすぐにやり返したい場面だったが、
 この一発が予想外の痛みを伴っていた。
 張られた部分ではなく、もっと頭の深いところに気味の悪い感覚がこびり付いている。
 どうやら、八島が掌を広げて打ったせいで、衝撃が耳の奥まで突き抜けてしまったらしい。
「フン、もう終いかい。だらしない」
 が、どんな状態であっても、体が動く限りやり返さずにはいられないのが龍子である。
 八島が挑発を終えた瞬間、その頬桁を、力一杯に固めた拳で思いっきり殴り飛ばした。
 意図したものかはわからないが、拳骨の最も突き出た部分がちょうど頬骨を捉え、
 必死で踏み堪えた八島にとって、素手で殴られたとは思えないような鈍い痛みが後を引く。
「やりやがったな……!」
「お前の方こそ……!」
 こうなってしまったら、互いに後はもう喧嘩である。
 今時立ち技の格闘技でも滅多にやらないような、完全に足を止めての殴り合い。
 それも素人が及び腰で繰り出す拳とは違い、それぞれが腰の入った一発をひたすら顔ばかり狙って打ったために、
 客席の一部には目を背けてしまう人まで出た。
「フン、もう少し手応えがあるかと思ったんだけどね」
 ただし決着がついた後、動かない八島を見下ろして拳を上げた龍子には、
 いつも以上の大喝采が送られたが。


「盛り上がるわねえ…」
 その様子を裏で見ながら、霧子は試合の熱さを感じていた。
 しかし、その熱気を見るにつけても、わざわざ他団体の興行を盛り上げる結果になってまで、
 殴り込んで来てくれた新女勢の感覚は、霧子には今ひとつわからなかった。

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by right-o | 2008-11-22 21:42 | 書き物