旗揚げ前夜

 差し当たって社長室の体裁だけを繕った、という感じの殺風景な部屋で、
 大きな机一つを挟み、社長とその秘書の井上霧子が座って相対していた。
 本棚に揃えられるほどの書類もまだ無く、応接用のソファーに座る客もいない。
 ただ真新しい備品と、同じく新しい肩書きがついたばかりの人間がいるのみである。
「社長、おめでとうございます」
「と言われても、まだ肝心のレスラーが一人も集まっていないようじゃ、何の感慨も湧かないが」
 社長としては、苦笑するしかない。
「ともかくも、活動の目途はついた。今や数多くの団体がシェアを奪い合う女子プロレス界で、
 なんとかその隅の一角に自分の席を奪うことができたわけだ」
「はい。後のことは、ひとえに社長の手腕にかかっております」
「ああ、それで思い出した」
 社長は少し改まって、秘書の方へ向き直った。
「霧子君は、日頃プロレスを見るかね」
「は…?まあ、多少は」
 プロレス団体の社長秘書になろうというのだから、
 霧子にはある程度プロレスの知識が備わっている。
 最も、実は多少偏っているのだが。
「それはよかった。いや実は経営の方が意外に忙しそうでね。
 現場のことは霧子君に任せようと思っていたんだ」
「と、言われますと?」
「GMというやつさ。聞いたことがあるだろう?
 とりあえずマッチメイクと国内のブッキングは全て任せる。
 基本的に他団体との交流はやらない方針だが、
 その辺も含めて現場で必要な判断はある程度勝手にしてくれていい」
「私が、GM……?」
 GM、ゼネラルマネージャー。
 この言葉のイメージが、霧子の頭の中を駆け巡っていた。
 時に自らもリングへ上がり、悪役レスラー達の理不尽な要求を一喝する。
 かと思えば、実は裏で悪事の糸を引いている黒幕であったりして、
 歯向かうレスラーには自分の一存で酷い試合を組み、痛い目に合わせる。
 そんな華やかな映像が、霧子の頭に浮かんでは消える。
「ん?聞いてるかな霧子君」
「あ、は、はい」
(そんな役を、自分が……)
 そう思うと、普段は冷静を装っている霧子も嬉しくなってきて、
 俄然仕事への意欲が増した。
「是非、やらせてください」
 しかし、GMと言っても楽しいことばかりではなく、
 ある意味団体の中で最も苦労をするポジションだということは、
 所詮まだ素人に過ぎない霧子にとって、気づきようのないことだった。

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by right-o | 2008-11-05 22:55 | 書き物