「ヘル・イン・ア・セル」 六角葉月VSサンダー龍子

+技 「逆落とし」

 実のところ、この試合の遺恨は既に収まってしまっている。

「大人気ないことをしていた」
 そう言って、龍子は試合前の六角の控え室で頭を下げた。
 傍では佐尾山が上目遣いでおっかなびっくり龍子を見上げている。
 
 龍子の言うところによれば、試合が荒くなった最初の切欠は単なる“はずみ”だった。
 しかし、それが妙に客ウケしたことが、龍子の気に入らなかった。
「お前らは試合が見たいのか。それとも人の傷つくのが見たいのか」
 そう観客に怒鳴ってみたかったという。
 その内に段々龍子の機嫌は悪くなり、
 それに連れて試合の内容が過激になっていくと、
 次第にそれが龍子の売りであるかのように思った一部の観客が期待し始め、
 それを感じた龍子の機嫌がさらに悪くなる。
 そういう悪循環に陥っていた。

 六角は聞きながら苦笑するしかない。
 聞いてみたければ実際に聞いてみればいいし、
 逆に消極的な試合をする等のことで、何らかの意図を周囲に伝えることもできただろう。
 大体、龍子の八つ当たりで散々な目にあった格下の選手達こそ報われない。
 そうは思ったが、とりあえず今までのところ一人失神させたぐらいで深刻な怪我人は出ておらず、
 しかも迷惑をかけた全員に龍子が謝って回ったと聞いては、許すしかなかった。
 ただ、それでこれから始まる試合が無くなるわけではない。
「で、試合はどうすんのさ?」
 聞くと、
「試合があるから謝る決心がついた」
 と言う。
「変な遺恨を抱えたまま、こんな馬鹿げた試合形式で戦えば、お互いにどうなるかわからない」
「確かにね」
 六角も真剣に頷いた。
「ただ、こんな状況でも客の期待には応えてやろうと思う」
 応えてやる、と言い切らなかったのは、「お前は?」という意味が言外にあったからだ。
「あたしも、同感だ」
 六角が真っ直ぐ見返した視線を一旦受け止めたが、龍子はすぐにやや俯いて視線を反らした。
「ただ、あの檻は高い」
「…ああ。高いね」
 龍子は俯き、六角は遠い目をする。
 この試合形式を利用して、最も観客の熱狂を引き出すにはどうすればいいか。
 そのことについて、二人は同じ図を思い浮かべていた。
 その景色は、傍らで聞いていた佐尾山だけでなく、誰の頭でも想像のつかないものだった。


 先ほどの試合で撒かれた画鋲が掃かれ、血の跡を拭いて消したリングの上に、
 上空から巨大な鉄の檻が被せられた。
 リングをすっぽり覆うどころか、縦・横とも場外フェンスにギリギリまで迫るほどの底辺に、
 6mの高さがあり、その上に天井が乗っている。
 花道へ向いた面に出入りのための開き戸が付いていたが、
 先に入場してきた龍子はこれを全く無視した。
 扉の側面の網目に足を掛け、登り始めたのである。
 そのまま、この扉は最後まで使われることがなかった。

 龍子に続いて後に入場した六角までもが網に取り付いて登りきり、
 二人は天井の中央、ちょうどリングの真ん中上空で向かい合った。
 お互い、相手の背後には普段と違い二階席の観客が、それも随分遠くに見えている。
 それでも天井の端からはだいぶ離れて立っているために、とりあえず高さによる恐怖は感じない。
(どう出るか?)
 いつものように腰を落として構えながら、六角は龍子の動きを待っていた。
 試合前に同じことを思い浮かべたといっても、別に勝敗まで取り決めてしまったわけではない。
 むしろ、同じことを考えていただけに、正直なところ尚更自分がそれをやらされたくはなかった。
(どうなっても、恨まないでおくれよ) 
 そう思いつつ、動かない龍子に向かって一歩足を踏み出し、体重をかけたところで、
 いきなり下の金網が破れ、その隙間に足を取られた。
 急造されたものだけに造りが荒かったらしいが、ただただ不運というしかない。
「うっ!?」
 思いもよらないことに声を上げて体勢を崩した六角の腹部へ、間髪入れずに龍子の膝が突き刺さった。
 そして六角の頭を掴んで花道と反対側の天井の端まで引き摺っていくと、
 まるでカットに入った相手のパートナーを場外へ放り出すのと変わらないように、
 六角を金網の天井から下に向かって投げ落としてしまった。

 六角は、体の右側を下にしてちょうど実況席の上に落下し、
 固定マイクを吹き飛ばして机を真っ二つに折った。
 あまりのことに呆然として言葉が出ないアナウンサーの周囲では、
 会場中が割れんばかりの大歓声に包まれている。
 横になったままぴくりとも動かない六角を見て、すぐに担架が呼ばれ、
 その通行のために一旦檻全体がワイヤーで上に引き上げられた。
 檻の上で無表情に仁王立ちしている龍子は、下からは悪魔か何かのように見えたかも知れない。
 しかし、内心では六角の無事を一心に祈っていた。
 それが通じたのか、六角は花道を運ばれていく途中で意識を取り戻したように見えた。
 むくりと起き上がって担架を下りようとしているのがわかったが、
 右手は動くことなくだらりとぶら下がっている。
 六角は担架を下りたあと、急に姿勢を屈めて花道脇の場外フェンスへ右肩から突っ込んだ。
 度重なる激痛に脂汗を流しながらも、どうやら脱臼していた肩を自分で入れたものらしい。
 その後、追いすがるスタッフと佐尾山の手を払いのけた六角は、
 再び下りてきた金網に取り付いていった。

(なんてヤツだ……!)
 痛む右腕を庇いつつ、ゆっくり天井に近づいている六角を見て、龍子は心から感心した。
 この高さから落下して、まだ続きをやれる気力があるとは。
 意識を取り戻したところで、そのまま寝ていても誰も責めはしないだろうに、
 わざわざもう一度上まで戻って試合を続けようとしているのである。
 この姿に、観客の方はもう盛り上がりようがないほどに沸き立っている。
 相変わらず外面は憮然と保っている龍子は、心の中で、
(次は自分の番だ)
 という覚悟を固めていた。
 ここまでやって自分だけ無傷でいることは、龍子にとって恥かしかった。
「うおおおおっ!」
 天井に上がり、体を起こすところへ襲い掛かった龍子の脇を、
 六角が普段通りの器用さでするりと抜けて背後へ回る。
 龍子が余計な気をまわす必要は、実はなかったかも知れない。
 そのまま六角の右腕が龍子の首を捕え、必殺のラビリンス・スリーパーが決まった。
 痛めた腕では十分に締め上げることができないが、
 もちろん、それは六角もわかっている。
「覚悟決めな」
 六角は龍子の耳元にそう囁いた。
「次はアンタの番だ」
 スリーパーに捕えたまま、龍子の背後で体をずらして後ろを向き、
 背中併せに体を交差させるようにして龍子の腰を自分の腰で跳ね上げると、
 六角は首に腕を絡ませたまま、龍子を前面から自分の前方の金網に向かって叩きつけた。
 瞬間、急造で粗い造りの金網の上に二人分の体重が勢いを乗せて落ち、
 先ほど六角が足を取られた箇所の金網が大きく破れた。
 二人は金網の上から、マットまで貫通しそうな勢いでリングの中央に墜落した。
 両者ともうつ伏せで、下になった龍子の腰の上に交差する形で六角が乗っている。
(…いけない!)
 落下の衝撃で呆けかけていた意識を、六角は必死に引き締める。
 二回目の落下は意外にダメージを受けなかったが、つまりそれは龍子がクッションになったからで、
 マットと六角の間に挟まれる形になった龍子を案じたのだった。
「っく…は……!」
 現に龍子は言葉にならない呻き声を上げながら細かく震えている。
 六角が体をどけてやると、やや背中を丸めるような仕草を見せたところから、
 やはり二人分の体重がかかった腹部を痛めたようだった。
 六角はなるべく注意して龍子を仰向けにすると、形ばかり肩の上に手を置き、試合を終わらせた。

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by right-o | 2008-11-04 22:03 | 書き物