「バカタレスライディングキック」 越後しのぶVSキューティー金井

 とある大きな団体のお話。
 ここには、俗に「越後越え」と言われる儀式があった。
 デビューして暫く経った若手達は、まずは中堅の越後しのぶを倒すことを目標にする。
 越後を一度でも破ったなら、それからはアイドルレスラーを目指すなり、
 あるいはさらに腕を磨いて上に噛みつくなり、当人の自由な活動が周囲から容認されるようになる。
 しかし越後に勝つまでは、どんなに有望な新人であれ、過度の自己主張は許されない。
 越後しのぶは、そんないわゆる「若手の壁」の位置に落ち着いてから数年になる。

 
 この日も、キューティー金井が同世代最後になる「越後越え」に挑んでいた。
 試合はまず、基礎を確かめるようなアームホイップの打ち合いからグラウンドへ。
 そして次は気迫の勝負とばかりに、額を突き合せて顔を張り合う。
「うっ…ぐ……!」
 ほとんど涙目になりながらも必死に自分へ向かってくる金井を見て、
 「あの泣き虫がここまで…」と、越後は試合中ながら感慨深いものがあった。
 また、レスラーとしては度を越して気が弱かった金井と共に、
 デビュー戦でジャーマン以外の技を出さなかった永原と、
 同じくデビュー戦から自作のコスプレ衣装で試合をした富沢と併せて、この世代は問題児が揃っていた。
 今、金井を除いた二人は既に越後越えを達成し、リング下から最後に残った同期へ檄を飛ばしていることも、
 リングの内外を問わず三人の指導に当たってきた越後にとっては、なんとなく胸にくるものがある。
 
 その「越後越え」には名物があった。
 それは、試合が中盤に差し掛かり、
 基本技の攻防を経て、相手がそれぞれの個性を発揮し始めた頃合を見計らって仕掛けられる。
 今回の場合、金井が得意のノーザンライトを成功させた後、フォールに行かずそのままコーナーへ上ったところで、
 続く飛び技をかわして自爆を誘う流れから入った。
 起き上がりを見定め、名人芸と言われる低い軌道の延髄斬りを決めてふらつかせると、
 まずは金井を両肩の上でうつ伏せに担ぐ。
「はぁっ!」
 続いて右手側にある金井の両足を前方に押し出しつつ、自分は開脚して尻餅をつくように低くジャンプ。
 飛びながら、自分の正面に流れてきた金井の頭を左手で上から押さえつけてマットに激突させる。
「ふぇぇ……」
 と、鼻の頭を赤くした金井が、四つん這いから起き上がって上体を起こしたところへ、
 一度ロープに走って勢いを付けた越後が走りこんでくるのだ。
「こんの、バカタレがぁぁぁぁぁ!!!」
 そう叫びながら、相手の顔面に向かってマットを滑るような超低空ドロップキック。
 越後越えに無くてはならないと言われるこの技には、ついでにあるジンクスがついていた。
 くらった後にキックアウトすれば、そのレスラーはいわゆる正統派として上を目指すことになる。
 逆にこの技を避けたならば、アイドルレスラーの道を進む。
 いつからかファンの間でまことしやかに囁かれ始めたこの噂は、今までのところ大体当たっていた。
 言う間でもなく、くらって返せない場合は試合自体が最初からもう一回やり直しになる。
 ちなみに永原は自力で返し、富沢はあっさり避けた。
 その二人が、
「避けてッ!」
 と叫んだ甲斐も無く、金井は正面から越後の右足をまともに浴びてひっくり返った。
 見ている観客達も、先のジンクスからいって金井は避けるものだと思っていたため、
 会場全体が「これは越後越えそのものが失敗か」という雰囲気になったが、
 しかし、ここで金井の取った行動は前例に無かった。
 片エビでがっちり押さえ込む越後の下で、金井はレフェリーがカウント3を叩く寸前、
 マットとレフェリーの掌の間に自分の右手を滑り込ませたのだ。
「ま、負けたくないモン……!」
 目を真っ赤にした金井に手を押えられ、レフェリーの方はどうしていいか困惑している。
「お前な……」
 越後は、呆れるしかなかった。
 ならもう一発くらわせるまでと、金井を引き起こして再度両肩に担ぎ上げた時、金井が動いた。
 体をずらして越後の首を脇に抱え、そのまま前に落ちる勢いを利用して首固めに捕えると、
 小さな体を必死に強張らせた金井の横で、ちょっと早目の3カウントが下りた。


「まあ、負けは負けだからな…」
 リングに上がった仲間二人と一緒にわーいと喜ぶ金井の前で、越後はマイクを持ってそう告げる。
「ただしッ!」
 バシッ、と手に持った竹刀を青コーナーに叩きつけると、目の前の三人が一斉に硬直した。
「これからの方がもっと辛いんだからな。三人とも、どんな道に進むにしても、
 今まで以上に努力を怠らないように!」
「はいっ!」
 三人声を揃えた返事を聞くと、急に越後の表情が緩んだ。
 しばらくマイクを持ったまま頭を掻いていたが、それから何か決心したように顔を上げ、
 客席の方をぐるりと見回した後、もう一度視線を三人に戻す。
「お前らも一人前になったことだし、とりあえずはやり残したこともない。
 今日で私はこの団体をやめる」
 ええ~っ、というお定まりのリアクションが客席全体から起こる中、
 ざわつく会場を代表して、富沢がマイクを持った。
「ちょ、それってどういうことですか!?」
「どう、ってな……」
 ちょっと曖昧な表情に戻ってから、今度は少し寂しげな笑顔になった。
「誰も好き好んで中堅やってたわけじゃない、ってことかな」
 それだけ言うと、越後は静かにマイクを置いて引き上げて行き、
 後には呆然とする観客と、リング上の三人が残された。
 周囲に愛されてはいたものの、ほとんど自己主張すること無く「万年中堅」「若手の壁」であり続けた越後の心情を、
 すぐに察してやれた人間は少なかった。

 それから一年ほど経った後、三人と越後は意外な舞台で再会することになる。

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by right-o | 2008-10-26 22:03 | 書き物